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加藤清正の熊本城も見事なものだが、さらにそれを上回る築城の名人が藤堂高虎。宇和島、大洲の2藩にプラスして、ここ今治20万石が彼の領地となった。漸く松山を領有する加藤嘉明と伊予1国を二分する形になった。藤堂は早速ここに海の要塞今治城を築城し、宇和島からこの地に移って来た。松山城の向こうを張る大きな縄張り、天を衝く天守だ。北は北海道から南は沖縄まで、国内に100の名城が登録されているが、藤堂高虎が造った城は5城も登録されている。一人の武将が城の築城主として複数登録されているのは、自分は藤堂以外には知らない。この城も多分穴太の石工衆により造られたものと思うが、藤堂の人使いの上手さは、こんな処にも出ているのか・・。今治20万石、天守閣からの眺め。彼は格別な思いを持って眺めたに違いない。「今治や 20万石の眺めかな」。子規が松山城を詠った句ではないが、藤堂もこの天守から360度の景色を眺め、独りごちたかも知れない。今日はあいにく快晴ではなく、薄雲がかかった感じで、高さ30m程の天守閣からは瀬戸内、来島海峡もはっきりとは見えないが、空気の澄んでいた江戸時代初めには間近に見えただろう。瀬戸内の島々も箱庭のごとくに眺められたに違いない。前方に超高層ビルが見える。失礼だが、四国の田舎町には似つかわしくない程の高層ビルだ。後で係の人に聞くと、今治国際ホテルだという。23階建、優に100mは越えている。四国で一番高いビルに違いない。ここ10数年、広島へは行っていないが、広島にもないような超高層。多分福岡にもないと思う。大阪以西の西日本で一番高いビルかも知れない。この町の直ぐ近くに西日本で一番高い山、石鎚山があるが、その石鎚山と高さを張り合うような今治国際ホテル。いやー、この町はすごいものを作った。2年前、加計学園がこの町に獣医学部を新設するに際し、加計理事長と安倍総理との親しい関係がやり玉に上り、国会で散々追及されたが、その時、前県知事加戸さんが、ガンでかすれた声を振り絞って、国会参考人質問に答えていた。この豪華な国際ホテルを見ていて、2年前のそうした情景を思い出した。加戸さん、加計さん、総理等々、このホテルを舞台に丁々発止の議論が戦わされていたか。いやいや、そうじゃなくて華燭の宴だったのか・・。しかし今はコロナ禍で閑古鳥。果たして営業しているかどうかも分からない。「憂き我を 寂しがらせよ閑古鳥」。芭蕉にこんな句もあった。

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