Images of ウィリー・キーラー
2001年4月2日のオークランド・アスレチックスとの開幕戦に、1番・右翼手で先発出場。第4打席にセンター前へメジャー初安打を放ち、第5打席にはバント安打を記録して2安打1得点の活躍でチームの勝利に貢献するという好スタートを切った。4月11日は敵地オークランドで三塁を狙ったテレンス・ロングを完璧な送球で刺して大きな話題を呼んでいる(後述)。その後も順調に安打を積み重ね、4月から5月にかけて2か月連続でこの年から制定されたルーキー・オブ・ザ・マンスを受賞。オールスターゲームではファン投票で337万票を獲得。日本からの68万票を差し引いても両リーグ通じて1位となる得票数で初選出された。オールスターゲームでは先発のランディ・ジョンソンと対戦。内野安打を放ち、盗塁も記録した。7月はキャリアを通じて自己ワースト(当時)となる21打席連続無安打を喫し失速するが、翌月から復調。8月28日には132試合目での200安打に到達。9月8日には1996年にアレックス・ロドリゲスが記録した球団最多安打記録の215安打を更新。再び8月と9月の2か月連続で月間新人MVPを受賞する活躍で、シーズン116勝(MLBタイ記録)でのチームの地区優勝に大きく貢献した。マリナーズのこの活躍は、コミッショナー特別表彰を受けとることになる。9月17日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦で遊撃手への内野安打を放ち、8年連続200安打を達成。ウィリー・キーラーが1894年から1901年にかけて記録して以来、107年ぶりの記録を達成した。9月26日のオークランド・アスレチックス戦では8年連続100得点を達成。同一シーズンでの200安打100得点を8回記録したのはルー・ゲーリッグ以来2人目、連続記録としては史上初(19世紀の記録を入れるとウィリー・キーラーも達成している)。シーズンを両リーグトップタイの213安打で終了。MLBタイ記録となる3年連続最多安打(史上7人目)、史上初となる3年連続両リーグ最多安打を記録した。シーズンを終えての連続記録を「打率3割」「200安打」「100得点」「30盗塁」「オールスター選出」「ゴールドグラブ賞」について8年連続と伸ばした。2011年4月2日のオークランド・アスレチックス戦、自身のメジャーデビューからちょうど10年となったこの試合で、エドガー・マルティネスの持つ球団最多安打記録を更新するMLB通算2248安打を達成。4月ではMLB移籍後4番目に高い月間打率.328とともに39安打10盗塁を記録するなど快調な滑り出しを見せた。しかし、これまで最も相性の良かった5月は一転して極度の不振が続き、メジャーデビュー以降全ての月で最低となる月間打率.210を記録。6月15日のエンゼルス戦でMLB通算400盗塁およびNPB/MLB通算600盗塁を記録。シーズンを通しては自身初となる2年連続40盗塁を達成。37歳ながら走塁による貢献値を示すEQBRRはメジャー全体で3位の8.9を記録した。また、9月8日のロイヤルズ戦ではMLB通算36本目の初回先頭打者本塁打を放ったことでボビー・ボンズを上回る歴代6位となった。守備に就くイチロー2001年7月8日のロサンゼルス・ドジャースとの試合にて。強肩で知られ、2006年に行われたメジャーリーガー415人による投票「最も肩が強い外野手」で48%の得票率を占め1位となった 1998年に行われたオールスターゲームの遠投競争では、ナゴヤドームのセンターフェンス手前からバックネット近くの城島健司まで推定130mの遠投を披露している 強肩であることに加えて送球のコントロールも良いため、ブラディミール・ゲレーロの送球が「バズーカ」などと呼ばれていたのに対してイチローの送球は「レーザービーム」と称されている これは2001年4月11日の対オークランド・アスレチックス戦で、ライト前ヒットで三進を試みた一塁走者のテレンス・ロングを正確かつ力強い送球で三塁に補殺した際、実況アナウンサーであったリック・リズが「びっくりだ!レーザービームがイチローから撃ち込まれた!」と叫んだことが由縁 この補殺がイチローのメジャー最初の補殺でもあり、正確無比な強肩を相手に強く印象付けるだけでなく、イチロー自身をMLBに認めさせるプレーにもなった なお、NPBでは「レーザービーム」という表現が定着しているが、MLBにおいては特段そのように呼ばれることはない。インパクトのある送球を全般的にthe Throw と表現することが多く、この時の送球もそう表現されている。この非常に精度の高い送球は、引退直前まで変わることは無かった。オークランド・アスレチックスGMのビリー・ビーンを描いた映画『マネーボール』(製作・主演ブラッド・ピット)の中で、短い時間だが画面に映っている。ピット扮するビーンが試合中継に映るイチロー(アスレチックスと同地区球団マリナーズに所属)を見つめているシーンで、実際の試合映像が使われている。このシーンについて監督を務めたベネット・ミラーは「中継カメラがアップで捉えたイチローとそれを見つめるビーンの図は、まるで西部劇の決闘みたいだよね このときビーンは主力選手を引き抜かれ、新たな選手を獲得したいのにお金がない ビーンにとってイチローはぜひとも欲しい選手だが、高給取りの彼には手が届かないんだ イチローはそんな苦しい立場のビーンに脅威を与える“敵”のようにも見える そんな雰囲気を感覚的に表現してみたかったんだ」と語り、「日本人向けのサービスではない」と断言している。
この年、1930年のビル・テリー(ジャイアンツ)以来となるシーズン242安打(当時歴代9位)を放ち、MLBの新人最多安打記録を更新するとともに、アジア人打者初の新人王を受賞。さらに首位打者・盗塁王・シーズンMVP・シルバースラッガー賞・ゴールドグラブ賞という数多くのアジア人初のタイトルや表彰を獲得した。打率.350はアメリカンリーグ1年目選手の歴代最高打率。新人王とMVPに同時に選出されたのはイチローのほかには1975年のフレッド・リンのみであり、新人王と打撃タイトルの同時受賞はトニー・オリバ(首位打者)、ジャッキー・ロビンソン、ビンス・コールマン(盗塁王)、ウォルト・ドロポ(打点王)、マーク・マグワイア(本塁打王)以来6人目である。その他にも安打試合数の135試合は歴代1位タイ、127得点はリーグ2位、得点圏打率(.445) は両リーグを通じて1位を記録した。2006年は、5月にMLB通算200盗塁を達成。オールスターゲームファン投票では3位でオールスターに選出。会見では6年以上連続選出がアレックス・ロドリゲスとマニー・ラミレスだけであったことについて、「残りのひとりになりたいと思う それは大いにある目標です」と語った。7月26日には戦後最多となるウェイド・ボッグスの連続6シーズン通算1274安打を更新。8月16日にロジャース・ホーンスビーが持つ連続6シーズン最多安打1296本を超え、8月29日にはMLB通算400単打を928試合目で達成。これは6年目ではMLB最速。9月には19世紀以降最多となるウィリー・キーラーの連続6シーズン通算1313安打を抜いた。9月7日にNPB/MLB通算800単打も達成。9日にはジョージ・シスラーが持つ6シーズン最多安打1317安打を超え、一週間後となった16日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦でMLB史上3人目となる6年連続200安打を達成した。この試合において三盗を成功させたことで33連続盗塁成功となり、アメリカンリーグ新記録も達成。満33歳になるこのシーズンに自己3番目の記録となる45盗塁を残し、盗塁成功率.957を記録した。2007年5月3日に41連続盗塁成功を達成し、シーズンを跨いでのアメリカンリーグ連続盗塁成功記録を更新したが、5月18日のエンゼルス戦、7回裏盗塁死になって連続盗塁成功記録は「45」でストップし、メジャー記録の更新はならなかった。7月には5年9000万ドルで契約を延長。7月11日、7年連続で出場したオールスターゲームにおいてクリス・ヤングからオールスター史上初のランニング本塁打を含む3打数3安打2打点の活躍でオールスターゲームMVPを受賞した。7月29日には近代野球では3番目のスピード記録となる1060試合目でのMLB通算1500安打を達成。9月3日のニューヨーク・ヤンキース戦ではロジャー・クレメンスから本塁打を放ち、7年連続200安打(史上3人目)を達成。最終的にマグリオ・オルドニェスとの首位打者争いには敗れたものの、リーグ2位の打率.351(1位のマグリオ・オルドニェスとは1分2厘差)と同1位の238安打を記録。MLB史上初となる3度目の230安打以上を達成。リーグ9位の出塁率.396に加え、リーグ2位(125打席以上)の得点圏打率.397、満塁では13打数8安打、打率.615という驚異的な勝負強さを発揮。2001年以来2度目となるシルバースラッガー賞を受賞した。今シーズンは右翼手ではなく中堅手としてプレーしたが、中堅手としてもゴールドグラブ賞も受賞。アンドレ・ドーソン以来となるシーズン途中のコンバートなしでの右翼手と中堅手両方での受賞となった。ポストシーズンでは全試合で2番打者として出場。オリオールズとのアメリカンリーグディビジョンシリーズ(ALDS)第1戦では3安打の活躍を見せる。第2戦では二死一塁の場面でロビンソン・カノの二塁打の間に生還。この場面では、完全にアウトのタイミングで三塁を回ったが(三塁ベースコーチは本塁突入を指示している)、相手捕手のマット・ウィータースのタッチを2回かわしてホームインする活躍を見せた。このホームインは各所で話題を呼び、「忍者」と言った呼び方や、映画の『マトリックス』にちなんで「Matrix」、「サルサダンス」などと呼ばれ大きな反響を呼び、ESPNはこのスライディングを「ひょっとしたらヤンキースの歴史の中でも最高のスライディング (Ichiro Suzuki made perhaps the best slide in the history of the Yankees.)」と報道した デトロイト・タイガースとのアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ(ALCS)第1戦では、9回にホセ・バルベルデからポストシーズンで初となる本塁打を放つなど6打数4安打4打点の活躍を見せたがチームは敗れ、その後チームは4連敗を喫し敗退 敗退後は、「悔しい思いしかないが、こういう本来持っている気持ちを思い出させてもらったことに感謝している 色んなものを僕に与えてくれた ここでしか味わえないものは確実に存在する」と語った。実際に盗塁の成功率は高く、NPB時代に通算199盗塁で.858、メジャー時代に通算509盗塁で.813の記録を残している。成功率.813は、通算500盗塁以上の選手中でMLB歴代4位に位置する。シーズン記録では、NPB時代に30盗塁以上を残しながら成功率9割以上を2回(1996年、1997年)、MLB時代に40盗塁以上を残しながら成功率9割以上を2回(2006年、2008年)達成している。特に2006年シーズンは45盗塁を記録し、盗塁死を2に留め、.9574という数字を記録した。シーズン盗塁成功率.957は、記録が残る1951年以降、シーズン40盗塁以上を決めた選手の中でMLB歴代1位となっている。また、「シーズン連続盗塁成功」と「シーズンをまたいでの連続盗塁成功」両方のアメリカンリーグ記録保持者でもある。