Images of カール・テオドール・イン・バイエルン
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昨夜はボーデン湖から帰り着いたのが遅かったので、今朝はゆっくりいたします。
今日の予定はニンフェンブルク宮殿とノイエピナコテーク、それに夜はホーフブロイハウスと、かなり緩いスケジュールです。それなのにまたまたアクシデントが発生して、予定変更を迫られる場面が。
まあシニアの旅にはよくあることです。
ところでニンフェンブルク宮殿は、妖精の城という乙女チックな名前のヴィッテルスバッハ家の夏の離宮です。
ここは歴代のバイエルン選帝侯バイエルン皇帝、その妃たちの思い出が詰まっている宮殿です。
また例によって似たような君主の名前の連続、私の頭は大パニック!
ベルリンのホーエンツォレルン家でもさんざん悩まされましたが、ここヴィッテルスバッハ家も負けてはいません。
私の覚え書きとして、歴代の君主にナンバーを付けて整理し、文中にもそれを書き込みました。
下記参照。
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☆バイエルン選帝侯
在位 妃
①マクシミリアン1世 1623-1651
②フェルディナント・マリア 1651-1679 ②a アデライデ・エンリエッテ
③マクシミリアン2世エマヌエル 1679-1726 ③a テレーゼ・クニグンデ
④カール1世アルブレヒト 1726-1745 ④a マリア・アマーリエ
⑤マクシミリアン3世ヨーゼフ 1745-1777 ⑤a マリア・アンナ・ゾフィア
⑥カール・テオドール 1777-1799 ⑥a エリーザベト・アウグステ・ ⑥b マリア・レオポルディーネ
⑦マクシミリアン4世ヨーゼフ 1799-1806 ⑦a アウグステ・ヴィルヘルミーネ、 ⑦b カロリーネ・フォン・バーデン
☆バイエルン国王
⑦マクシミリアン1世(同上) 1805-1825 (同上)
⑧ルートヴィッヒ1世 1825-1848 ⑧a テレーゼ・フォン・ザクセン
⑨マクシミリアン2世 1848-1864 ⑨a マリーフォン・プロイセン
⑩ルートヴィヒ2世 1864-1886
以下 オットー1世、ルートヴィヒ3世と続くが省略
*文中ではマクシミリアムを省略してマックスと呼んでいます。
≪ドイツ バイエルン州;バイエルン王国の周遊≫
:アルペン街道・キーム湖・ドナウ、イザール、イン川を巡る:
期間: 2008年4月17日(木)?5月1日(木)15日間の旅
総走行距離1,412km
Chiemseeキームゼー(湖) ・Fraueninseフラウエンインゼル(女島)
;聖母マリア女子修道院・2008.04.23.
≪聖イルメンガルドの聖人承認と現代のDNA鑑定≫
聖イルメンガルド崇拝は1928年、ローマ法王Piusピウス11世により、初めて認められ、1929年7月17日、イルメンガルドは聖人に列せられた。何故、聖人に列せられたのか、興味もあったので帰国後に調べてみた。その結果は面白いものだった。(2008.07.30.)
イルメンガルドは聖母マリア女子修道院の最初の院長でしたが、東フランク王国の王Ludwigルートヴィヒ二世(カール大帝の孫・昨年訪れた世界遺産Lorschロルシュの帝国僧院に墓がある。)の娘としてRegensburgレーゲンスブルクに生まれ、866年7月16日、33歳の若さで死去しました。遺骸は大理石の柩に入れられて、Abtei Frauenwoerth女子修道院聖堂の南西の円柱の下に、葬られた。柩の上の蓋には崇拝(敬意)を表す言葉が書かれていたと云う。
1631年10月17日、ある人がイルメンガルドの”現世の肉体は7月16日に埋葬された。”と書かれた小さな石板を発見した。墓を開けてみると遺骸は現世のままに埋葬されたはずなのに、驚いたことに柩の底には“首のない遺骸”が置かれていただけであった。
(この事は一種の“奇蹟”あるいは首だけが“復活”?!として、イルメンガルド崇拝の再開?あるいは列聖の話に繋がった・・・。)
その日から、600年以上の昔、1004/1010年、イルメンガルド崇拝という事もあってか?Kloster Seeon(ゼーオン僧院)の手により、初めてイルメンガルドの墓が開かれたと云う。(その際、首だけがゼーオンに運ばれたものと思われるが、さてどうだったか!?)その経緯は17世紀に至るまで、ゼーオンやフラウエンインゼルでもイルメンガルド崇拝といったことは公にはならず、何事もなく、忘れられた存在であった。
1922年、列聖の為の手続きの必要から、イルメンガルドの墓を開けることになった。墓を開くのはこれで三回目となる。
それと共に、今までゼーオンの僧院にて保持されてきた、“されこうべの聖遺物”を聖母マリア修道院に戻し、”イルメンガルドのGebeine遺骸”と”Schaedel-Reliquieされこうべの聖遺物”が一致するか? 検証した。しかし、当時の科学ではこのことを明らかにすることはできなかった。
2003年4月27日、”イルメンガルドの遺骸”と、うやうやしくガラスの櫃におさめた“されこうべの聖遺物”を現代の手法・DNA鑑定にかけたところ、その鑑定結果は合致を肯定するものであったそうである・・・。
聖母マリア女子修道院では命日の7月16日を聖女イルメンガルドの記念日として、毎年祭りを催している。
写真は聖母マリア修道院・聖女Irmengardイルメンガルド
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