Images of シュトゥットガルト大学
ハイデルベルク
今日もいい天気だ。
ビンゲンにローカル電車が止まるのは1時間に1本。
マインツまで30分、4番線からハイデルベルク行きのIRに乗るつもりだったが、50分も遅れている。
その後のECが先に来て、これに乗る。マンハイムの次がハイデルベルク。ここで2泊することにする。
ホテルはゴールデン・ローズ。ビスマルク広場から大学側に入った静かなところにある。
大学へのにぎやかな通りを通っていく。出店がいっぱい。ハイデルベルクといえば「アルト ハイデルベルク」を思い出す。ゲーテもここで恋をしている。
学生牢が有名だというので、落書きだらけの牢をのぞきにいく。もっとも当時の落書きが、現在のこころない人々の落書きで消えうせていく、ときいている。
ラートハウス(市庁舎)の前で一休みして、ハイデルベルク城まで登る。けっこうこの坂はきつい。汗びっしょりになってのぼる。上に行くと、次から次へと観光客が絶えない。日本人観光客にもここでぶつかる。いままでの旅で、日本人に会わなかったのが不思議なくらいだ。ツアー客は、私より年配の人たちも多い。
えらいものだ、この坂を登ってきたとは。
城から見るハイデルベルクの家々の赤がわらがとてもきれいだ。緑の丘とネッカー川も雰囲気を盛り上げている。城には薬事博物館もあり、ちょっとたのしい。
噴水の側で一休みし、一杯飲んで元気をつけてまた歩き出す。
他の門から帰ろうとすると、そこにはケーブルもあり、バスも来ている。なーんだ。みんなバスで来ていたんだ。気がつかないで損した。
ケーブルでそのまま上に行くと、途中乗り換えて山の頂上まで行くことが出来る。乗り換えたケーブルは木製、揺れるとキュ、キュっとなく。
頂上は公園になっていて、テレビ塔が建っている。2DM払ってエレベーターに乗る。下の町は360度一望にできる。
哲学の道を通って帰る。空は高いのに、いきなり雨がふりだした。それもかなり強い。通り過ごすために、のんびりお茶を飲んで外に出ると、まだ降っていた。ホテルは近い、濡れて行こう!
シュトゥットガルトのマーンさんに電話をかける。
チュ−ビンゲンへ行くつもりなので、駅でお目にかかれればうれしい、と。10時06分のECでシュトゥットガルトに行く。
マーンさんが駅に出迎えてくれた。
「チュ−ビンゲンはハイデルベルクと同じような大学の町ですよ。前以て知らせていただければ、おふたりをホーエンツォルレン城へぜひご案内したいんです」と説得されて、車でお宅へ行く。緑いっぱいの環境のいい住まいだ。ご主人はベイルートへ出張中。
たまたま見えていた、ご主人のお母さんにお目にかかる。この方が、と私は思う。向こうはしらない。でも、感じのいい人だ。
玄関を入るとすぐホールになっていて、グランドピアノが置いてある。彼女はピアニストである。ここで仲間達と室内楽をしているのだそうだ。
森の中のレストランでお昼をご馳走になった。
玄関を入るとすぐホールになっていて、グランドピアノが置いてある。彼女はピアニストである。ここで仲間達と室内楽をしているのだそうだ。
もう一度家に戻り子ども達に「さよなら」を言うと
「もう帰っちゃうの」と可愛いことを言われてしまった。
ここでマーンさんを紹介しよう。彼女は川口マーン恵美さんという。ピアノの勉強にドイツに留学し、ご主人と知り合い、結婚して、ドイツで暮らしてもう20年になる、きれいな、文才のある女性である。
知り合ったのは、県主催の環境視察のとき、彼女の著書「ドイツからの報告」がテキストとして使われた。シュトゥットガルトでは講師兼通訳、ガイドとフルに働いてもらった。
そんな付き合いから、日本へ来るたびに子ども達をつれて我が家に訪ねて来るようになり、親しくしている。
彼女の著書のひとつ「あるドイツ女性の20世紀」(草思社)は読ませる本だ。彼女の連れ合いの祖母の生涯を書いたノンフィクションである。ズデーテン地方から引き上げるドイツ人たちの悲惨さはなんともかなしい。そして一人家族と離れ離れになって、苦労してなんとか家族のもとに戻ってきたのが、彼女の連れ合いの実母、さっきお目にかかった女性である。
チュ−ビンゲンを諦め、ハイデルベルクに戻る。
暑いくらいだ。町を歩いて、昨日のケーキ屋でアイスを食べ、デパートの2階の美容室で二人して髪をカットしてもらう。男も女も区別がない。手早くて、切りっぱなしで、不精の私にはラクだった。ただし首や胸に髪の毛が入り、ちくちく痛い。やむなくホテルに戻り、風呂に入り洗髪する。
8時過ぎ、近くの中華飯店に行く。美味しくなかった。ケルンの方が美味しかった。