Images of ヒッカム空軍基地
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ハワイ、オアフ島の旅、第四弾です、
あの真珠湾攻撃の地 ヒッカム、米空軍基地から、まずお届けいたします、
まさか先月トランプ大統領が訪れ、昨年阿部総理が初 訪問し、テレビで騒がれたあの地に、日本人である私が足を踏み入れるとは!
一般人の私には 遠い話と思っていたはず、
このパールハーバーの地、で、なん度も涙する すごく印象的な深イイ話をお話しいたします
ここまで書いて。 止まってしまいました、、
実はあれからずっと思い悩んでいてこの体験を、どうお話ししようかと、!
この3週間悩み続け、、やっと決心しました、
思い切って書こうと思います 長くなりますが、できればご意見をいただきたいのです、
今年は、不思議な年でした、
ワシントンの友人から、海を越えたメッセージをいただき、遠方のご先祖様のお墓参りに行くようにと、、実はずっと体調が悪くワシントン帰国時にも彼女に助けられやっと起き上がれたほど、 彼女は、施術の力があり、手をかざすだけで。身体の毒素がとれるのです
彼女の勧めがあり、今夏。思い切って、30年ぶりに祖母のお墓参りに出かけました、(フォートラに載せてあります、)実はそこで、驚きの話を叔父からきき あるものをいただきました、、、、
戦死した、祖父が、戦地から、母や叔父に宛てたハガキでした。
素晴らしく整った 美しい 祖父の文字!
私は、生まれて初めて見ました
子供達を案ずる戦地からの祖父の思いが溢れ、涙が止まりませでした。丁度映画 永遠のゼロのようでした
祖父が戦死し、祖母は、疎開先の祖父の家に幼子4人を連れ世話になります そこでも、壮絶な経験をしています、ご飯がもらえず、祖母は井戸でお米を研ぎながら。溢れた生米を食べていたといいます、馬小屋で暮らしながら、、叔父は、泣きながら話しました、
祖父が、沖縄で戦死したと祖母から聞いていた私は摩文仁の丘に行き不思議な体験をしていました、戦没者慰霊碑の前で、祖父の名前を探していたら 身体が固まり、辺りが暗く感じ 寒気と 何より恐ろしさが!
真夏の太陽の下で、、、悪霊、、怖くてその場にとどまれず、一枚だけ記念に写真撮った写真にはドクロが沢山写っていました、
前書きが長くてすみません
真珠湾には、私なりにおもいがあり、観光や一般の訪れはしたくない、行くのなら、個人できちんと訪ねてみよう。と、
ヒッカムが何処にあるか?ハッキリと真珠湾と知らなかったものの、graigに偶然 基地内に連れて行ってもらえた事は私には、少し誇りでした
基地入り口で、機関銃を肩にかけた兵士に 彼女は日本からハワイの小学校に書を教えにきてるよ!と、
私をgraigが友人と認めてくれている事が、誇りでした、
まさか?
その真珠湾の前で アメリカ空軍のVIP会員のみの館で食事するなんて、。複雑でした
真珠湾を散歩しながら。足が重くて皆についていけず。いつも距離があきました どうしたの? と遠くからgraigが呼びます、
きれいな海、想像していた以上に透き通った水!そこに泳ぐ色とりどりの熱帯魚を指差しながら皆は、笑います、、私には 無理でした
ここに、爆弾が落ち
火の海になったなんて!真っ黒な水になったなんて、
無邪気に笑う仲間をみながら、ことばになりません
胸がつまりそう、、
次にまさかの出来事!
graigが基地内のストアーに買い物で立ち寄った時の事です、基地内には、何かと出かけて行くgraig。長年の、地元、慣れ親しんだ土地だから、当たり前なのです、私も一度は、遠慮したものの、今度チァンスあれば。挑戦しようと決めていました、基地内のストアーをみてみたいと、、、日頃、何事も挑戦しようとチァレンジ精神旺盛のわたし、気を取り直して、、勇気を出して、私も入っていい? OK
まさか、ここでも 又又驚きの偶然が、!!?
入り口に、白髪の老人と、お付きの人が1人テーブルを前に座っていました テーブル上には、本が積まれていました、サイン会かしら?
その老人にサインを求める人、写真を一緒に撮るため、数人順番待ちをしています、
あー、アメリカ人には、有名人なんだなぁ と思いながら、横を通過しながら、何やら、少し嫌な予感がしました、ここは、基地、
多分軍人さんです、
私は距離をおきました、が、graigがコーナーに気づき本を購入、 連れを呼んでその老人のところへ、、
彼は。満面の笑み、何か 話しています、
一緒に写真を撮りたくて連れを呼んだのです、サインをしてもらっています、(この写真を載せますね)それにしても嬉しそう、、あの老人はやはり、アメリカ人にとって余程の英雄なのです!、
一体誰なのか?
graigは興奮しながら話してくれましたが、英語力ないわたしには、戦争で戦った軍人さん!かれは、英雄で、歳が104歳!、、と言った話だけはわかりました
、興奮冷めやらない彼に、年齢104歳にだけ、私は驚きを示してみせました。
graigの事を少しお話しします、graigはアメリカ空軍の元大佐、ベトナム戦争でかなり功績を残して国から多額の褒賞金をえています、
たくさんの戦友を失い、銃弾を潜り抜けてきた人、心の闇は、計り知れません、未だ夜は眠れない、、月に、何回もカウンセリングをうけています、
でも、彼は、ラッキーよ!と彼を紹介してくれた友人はいいます、アメリカでは、殆どの軍人は、何も国から貰えず、苦しい生活していると、。彼女は言いました、
お話しに戻ります、
この老人に会えただけでハワイに来たかいがあった!と未だご満悦な彼、ここまで、興奮する彼は、見たことがありません、余程の方!なのかと思いながら、でも調べたく無いおもいがあり、そのままにしました、事実を知るには、帰国後、、追記に送ります、
はしゃぎ過ぎな彼は、クルマに乗り込み レッツゴーと、大きな動作で、ハンドルを切りながら 次にシークレットな場所に案内するよ!と
この案内してくれる場所で、、、
この地での出来事が、私の長い前書きの話と繋がります!
私のこれからの人生の指針になる出来事に!
次に行った場所、
そこは大きな塔、でした(この後写真載せます)
たぶん基地でのシンボルなのでしょう?私は、察して 周りの基地内の住居写真を撮るつもりでその場を離れます、graigにとってシンボルでも、私達日本人には、心の傷です、特に心の隅に前述の記憶がある私には、、
ところが、遠まきに、graigが、連れに熱心に説明する姿をみながら、写真をとっていた私、。
連れは、英語がわからないはずなので、少し間をおけば、話しは終わるはずでした、、
しかし、なぜか?10分たっても、15分たっても、話し込んでいて、然も、言葉のわからないはずの彼女は、頷きながら、話しているではないですか??
なぜ?どうしたの?
一向に話しが終わらない、、、ついに このまま、遠くから見つめている自分が嫌になり、意を決して彼らの話に入る事にし、彼らに近づき、思い切ってgraigに尋ねました、どうしたの?
彼女は 号泣しています、何があったの?
graigは困り顔で、わからないけど、彼女は泣いてしまったといいながら、この塔は、、水の塔と呼ばれている と話し始めました。
戦争時に、水に餓え死んでいった何千人ものアメリカ兵と家族!そのために、水路を整備し、水の供給ができるように、、、、と彼が話している中、まるで何かに 吸い寄せられるように
私は、初めて 水の塔 の前に立ちました
すると グゥーと、あついものが、込み上げてきて、
涙が溢れだしました、
そして、自然に、ある言葉がスゥと口から出てきたのです、
そうです、本来なら皆が、お互いに言って良い言葉、
I am sorry
この言葉が、後にこれからずっと考えていく、キーワードになるなんて、およびもしないくらいスゥっと、でできた言葉
I am so sorry と口にしながら、
泣きながら 、私は、戦争を知らないけれども、日本人は、戦争をした、、、と I am sorry.
そう話す私に
彼は素晴らしい言葉を返しました、
おそらく 一生、私には忘れられないこの瞬間
今後の私の指針になるであろう出来事!でした
graigは 私に向かい、身体を自分の方にむけながら、しっかり、私の肩に手をあて、真っ直ぐに、ジッと私の目を見て、こう言ったのです
僕の方こそ I am sorryと、、、、
この一瞬で、
人と人、日米が、ひとつにつながった!とかんじました!お互いのこころが、繋がった瞬間でした!
彼は、涙が止まらない私達を車に乗せ、しばらく黙って車を走らせていました、
彼が 僕も I am sorry と口にした時、真っ赤な目をしていたこと、その後、しばらく無言で運転をしながらそっと涙を拭う姿は、忘れる事は出来ないでしょう、
そして沈黙のあと、私にこう質問してきました、
あなたは、戦争で肉親を亡くしていますか、
私は、祖父を沖縄で亡くしたと話し、彼は、叔父を亡くしたと答えました、
そして又沈黙の後、戦争は、お互いに辛いと私が話すと、僕も、。そう思う、、と答え、戦争は、いけない、、と言いました
皆様、最後までお読みいただきありがとうございます、
でも、ここで終わりではないのです、
後で、、謝ってしまった私は、、これでよかったのか!??
深い疑問がおしよせます、ハワイ在住の友人に話したら、なぜ?何故 あなたは、謝ってしまったの?と問われ 戦死した祖父や、その為に一生苦しんだ祖母の事を考えると、、複雑でした
でも、この1ヶ月考えて私なりに出した答えは、やはり謝って良かった!ということ。
憎しみからは、何も生まれない。!お互い素直に自分の非を認め合い、水に流し、新たなスタートを、、手と手をあわせて、、仲間になる!それが戦争を無くす第1歩になる!と考えつきました。
戦争がない世界を!世界中の人と、手を繋いで行こう!その活動が私の使命と!そう願いながら今まで、漠然と活動してきたわたしですが、、、今は、強く確信しました、
graigが私の目をみて、僕も I am sorry と言ってくれたあの一瞬を、私は 一生忘れる事は出来ない 思い出の旅 となりました、
あの美しい透明な真珠湾の水に、たった一滴 青いインクを垂らす、、
たった一滴でも、何度も繰り返すうちに、少しだけ、ブルーに染まったら、、
そんな小さな平和への活動を、続けていきたいと、心に刻みました、
長い間お付き合いありがとうございました、ぺこり
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