Images of ビルマ族
11月7日、いわゆる文化三角地帯(Cultural Triangle)のダンブッラ、シーギリヤに続いてポロンナルワを訪れた。いずれも古代から続いた仏教王朝が造り上げてきた世界有数の大遺跡である。
ポロンナルワはスリランカ中部の古都。11−13世紀、スリランカの首都であった。1017年、シンハラ王朝は首都をポロンナルワに遷都、交易と農業により大いに栄えた。特に灌漑設備の充実に努め、国の東部地域で乾季でも農耕可能にした。彼は農耕と防衛の両方の目的で、首都の周囲にパラークラマ・サムドゥラと呼ばれる巨大な灌漑用貯水池を建設した。この時代、首都は自給自足の体制を保った。
しかし、その後南インドの王侯貴族が勢力を増したため、シンハラ王朝の力は衰え、1232年に首都をダンバデニヤに遷都、1255年ポロンナルワは放棄され廃墟となった。
ポロンナルワの遺跡は南北5kmに渡って広がっており、すべてを見て回るには1日では不十分であるが、それでも駆け足で主要な5ヶ所を巡って、写真に収めた。写真は順に、バラークラマ・バーフ1世の宮殿跡、7階建ての仏塔であるプラサーダ、高さ55mもある巨大なダーガバ(仏陀の右鎖骨を祀るモニュメント)、ガル・ヴィハーラの3石像(座像、立像、涅槃像)である。タクシーをハイヤーしないととても短時間に見て回ることは不可能である。貴重な仏教遺跡がジャングルの中に忽然と姿を現す様は、世界にも類を見ない。
伝承によると、釈迦は3回スリランカを訪れたと言う。釈迦の生誕には諸説があり、前463年 - 前383年、前560年 - 前480年、前624年 - 前544年など、約2500年前の話である。別名をゴータマ・シッダールタと言い、私は何とドイツの作家、ヘルマン・ヘッセの小説により彼の生涯を知るようになったのである。ヘッセの描いたインドの青年シッダールタ(釈迦と同名だが別人)は、生の真理をもとめて修行し、世俗の中に生き、極めて人間的、多感な青年で、家族愛、性愛、友情、裏切りなどを経験し、人生の最後に悟りを開くまでの過程を描いている。
釈迦の入滅後、仏教はインドで大いに栄えたが、大乗仏教の教義がヒンドゥー教に取り込まれるとともにその勢力を失っていく。ヒンドゥー教は仏教を弾圧の対象とし、釈迦に新たな解釈を与えた。釈迦は、ヴィシュヌのアヴァターラ(化身)として地上に現れたとされた。偉大なるヴェーダ聖典を悪人から遠ざけるために、敢えて偽の宗教である仏教を広め、人々を混乱させるために出現したとされ、攻撃の対象になった。結果、仏教はインドを逃れ、周囲の国、タイ、ビルマ、チベットはじめ、スリランカで信仰されるようになったのである。
<概要> かなり昔から余り近代化されていないビルマ(旧名)という仏教国へ行きたいと思っていましたが、航空機も便利な便がなくて、ツアーはかなり高額な旅行費用がかかり、なかなか行きにくい国でした。しかし軍政だったミャンマーも、スーチー氏率いるNLDによる政権へ移行し近年は比較的治安も良くなり、ついに昨年10月より日本人のビザは不要となりました。この機会に今まで行きにくかったアジア最後のフロンティアと言われる待望のミャンマーの三都市を友人と訪れることにしました。また昔ビルマと言われていた時代に第二次大戦で日本軍が大勢無くなっています。実は義理の父親がビルマで戦い、義父の小隊は幸いにも全員無事帰国しましたが、その後同僚の遺骨収集に義父が何度も訪問していたこともあり、すでに亡くなった義父の代わりに戦時中に苦労された日本人の慰霊碑にお参りをすることも第二の目的としました。
ヤンゴンに3泊、バガンに3泊、マンダレーに2泊、バンコクに2泊しており11回に分けて旅行記を作成しています。
今回の使用カメラ
SONY α7RⅢ レンズ 16-35mm
SONY α7 レンズ 24-240mm
SONY RX100 Ⅲ レンズ 24-70mm
<1月31日>マンダレー観光
早朝に飛行機でマンダレーへ移動し、タクシーでホテルへ着いたところ予約していたホテルが改装のため閉館していました、”Oh My Good"と思わず叫びました。途方に暮れているとタクシーの運転手さんが近くに良いホテルがあると教えてくれ幸いにも良いホテルへ泊まることができました。
当日はホテルのフロントでチャータータクシーをお願いし、王宮、チャウットヂー・パヤ、サンダムニ・パヤ、クドードー・パヤ、シュエナンドー僧院、マンダレーヒル、日本人の慰霊碑にお参りをし、丘の上からサンセットの撮影をしました。素足で土の上を歩いていたときに棘が刺さり2カ所負傷しました。夜はミャンマー食にも飽きたのでタイ料理にを戴きました。