Images of フィンランドの歴史
フィンランド中学校現代社会教科書 (フィンランドノチュウガッコウゲンダイシャカイキョウカショ) 15歳 市民社会へのたびだち (ジュウゴサイシミンシャカイヘノタビダチ) 原書: YHTEISKUNNAN TUULET 9
Gebirgsjäger in Petsamo, Finland, october 1944 - pin by Paolo Marzioli Luftwaffe, Panzer Iv, Military Artwork, Military Photos, Ww2 History, Military History, Star Wars Artwork, War Artwork, Vietnam War Photos
朝トゥルクの港へ上陸して、荷物が出てくるのを待っていると、一人のフィンランドの老人がボトルペットを加工したメガホンを口にあてがい、縦長の台形に切った薄い鉄板を胡弓のように膝に支えて、これに弓を擦り哀愁に満ちたメロディーを奏でては歌を口ずさんでいた。やはりフィンランド人にはアジア系の血が流れているなと実感した。
トゥルク城は一三世紀にアウラ川の河口に建てられた砦が起源で丸形で素朴な味わいのある城である。トゥルクの街は1812年までフィンランドの首都であった。
続いてロシア正教教会の前の広場の朝市を見学した。ベルゲンで見た魚市よりも数倍規模が大きい。ここはトゥルク市民の胃袋を賄っている市場の観がある。美味しそうなのでこけ桃2個、紫色のすももらしきもの五個と姫林檎2個を買った。秤り売りしてくれるから観光客には楽しい限りだ。最初買ったこけ桃は2個で1マルカであったから、サービスしてくれたのかもしれない。全部で10マルカほどを払った。1マルカは20円だから200円程の買い物をしたことになる。
ガイドから聞いたフィンランドの国情について記しておくと、
トゥルクでは信者の98%がルーテル派である。フインランド全体としても信者の過半がルーテル派である。もともと1155年にこの地へカソリックが伝わったが1500年代にルーテル派の教会に変わった。ここの大聖堂はルーテル派の大本山である。
フィンランドの面積は33万8,000平方キロメートル。人口500万人。森林面積60%で81,00の島がある。トウルクの人口は16万8,000人でフィンランドで5番目の都市である。フィンランド語とスェーデン語が公用語になっていて、民族的にはウラル、アルタイ語系に属しアジア系のフン族が祖先である。
消費税は22%である。失業者には一日118マルカが支給される。フィンランドでは日露戦争で日本が勝ったことを喜んで旅順(ポルツア)という地名に変更したところさえある。そして日本の北方四島の返還交渉に多大の関心を寄せている。
フィンランドで世界一のものは、森林資源に関係のあるパルプや紙の大型加工機、砕氷船等の特殊造船、羽毛製品がある。
フィンランドの国土は毎年数ミリずつ隆起している。そして山のない国で湖が世界一多い国である。直径200メートル、面積500平方メートル以上の基準で数えると18万7,885もの数になる。
デザイン感覚に優れ北欧デザインの70%がフィンランド製である。またアイスホッケーが強く、長距離走が得意である。パーボヌルミは3回のオリンピックに出場し金メダル9個銀メダル3個を獲得している。また槍投げも得意で昭和27年に開催されたオリンピック競技場の塔は槍投げの選手が出した記録を記念して73メートルの高さに作られているし、ヌルミのブロンズ像が会場の入口に建てられている。
シベリュウス公園にはパイプの造形とシベリュウスの顔の彫刻が飾られていた。
大聖堂はルーテル派の教会で一四七年前に建てられたものであるが、ロシア統治時代の時の皇帝アレキサンダ12世がフィンランドを自治領として認めた時、この教会と大学を建ててフィンランドに贈ったものである。
北欧4ケ国を周遊して気のついたたこと纏めれば、デンマーク、ノルウェー、スェーデンフィンランドの国旗はいずれも十字架が真ん中にデザインされていて色だけが違う極めて類似性の高いものであるということである。そしてノルド語と呼ばれる北方ゲルマン人が往古に使用していた言語のバリエーションにすぎない自国語を話す兄弟同志の国でありいずれの国も面積の割りには人口が少なく高福祉を実現している高負担の国々であるということである。