Images of フランス委任統治領シリア
平成20年2月17(日)
クラク・デ・シュバリエ見学後、シリア領内を長躯しホムスを経由してハマのホテル(APAMEE CHAM PLACE)へ到着した。
道中車窓から石油精製所を目撃した。砂漠から採取できる石油がこの国の経済を支えているのだ。
このホテルの夕食のセットメニューで供された料理の一部の写真を掲げておこう。
部屋の窓から大水車が展望できたことは鮮明に脳裏に刻まれている。
シリアの国勢についてウイキペデイアから以下を引用しておく。
歴史
紀元前305年-マケドニアのセレウコス将軍が王号を名乗る。首都はアンティオキア。
紀元前304年-インド領からの撤退始まる。
紀元前301年-シリア地方獲得。
紀元前274年-ガリア人侵入を撃退。
紀元前271年〜紀元前205年-シリア戦争
紀元前130年-パルティア軍に敗北。全東方領土を喪失。
紀元前64年-ローマ軍首都制圧。併合され、セレウコス朝滅亡。
661年-ムアーウィヤがカリフとなりウマイヤ朝創設。ダマスカスを首都と定める。
15世紀ごろ-オスマン帝国の支配下に置かれる。
1918年-オスマン帝国より独立。ファイサル1世がシリア王国の国王に即位する。
1920年-セーヴル条約によりフランスの委任統治領となる
1946年-フランスより独立
1958年-エジプトと連合、「アラブ連合共和国」成立(首都:カイロ)
1961年-連合を解消、シリア・アラブ共和国として再独立
1963年-バアス党政権樹立
1967年-第3次中東戦争 ゴラン高原を失う
1970年-バアス党で急進派と穏健・現実主義派が対立、アサドをリーダーとした穏健派が クーデターで実権を握る
1971年-アサド、大統領に選出
1976年-レバノンへの駐留開始
2000年-ハーフィズ・アサド死去。息子のバッシャールが大統領就任。
2005年-レバノンより、シリア軍撤退
2007年-バッシャール・アサド、大統領信任投票で圧勝し、2期目就任。
政治
シリアは共和制、大統領制をとる国家である。現行憲法は1973年3月13日に制定されたも ので、国家を社会主義、人民民主主義国家と規定しており、バアス党(アラブ社会主義復 興党)を「国家を指導する政党」と定めている。
国家元首である大統領は、バアス党の提案を受け人民議会が1名を大統領候補とし、国民 投票で承認するという選任方法を採っている。大統領の任期は7年で、イスラム教徒でな ければならず
、再選制限は無い。大統領は絶対的な必要性がある場合は、人民議会の閉会中でも立法権も行使することができ、シリア軍の最高司令官も兼任する。首相は大統領により任命される。内閣に相当する閣僚評議会のメンバーは、大統領が任命する。
議会は一院制で、正式名称は人民議会。定数250議席。人民議会議員は国民の直接選挙(15選挙区)で選出され、任期は4年である。定数250議席のうち、127議席は労働者と農民の代表でなければならないと規定されている。
前述のように、シリア・アラブ共和国憲法はバアス党を「国家を指導する政党」と規定しており、バアス党によるヘゲモニー政党制が採られている。
バアス党のほか、アラブ社会主義連合党やシリア共産党などの政党は与党連合国民進歩戦線を結成している(国民進歩 戦線議長はバアス党書記長)。合法的な野党というものは存在せず、事実上の野党勢力は 無所属という形で人民議会選挙に立候補することとなる。 非合法政党はクルド人勢力が大半。
司法制度はフランス法およびオスマン帝国法を基礎としている。
イスラム法は家族法の分野で用いられている。大統領を議長とする最高司法評議会が置かれており、裁判所判事の任命に当たる。最高司法機関は最高憲法裁判所である。
実質、大統領による独裁政権であるが、その実情は前政権時代の官僚が政治を牛耳っており、また、バッシャール・アル=アサド大統領自身も、政治的経験も少ないため憲法で定められた
大統領の強い権限もあまり行使されていない。バッシャール・アル=アサドは大統領就任後には、民主化も含む政治改革を訴えて、腐敗官僚の一掃、政治犯釈放、欧米との関係改善などを行い、シリア国内の改革派はバッシャールの政策をダマスカスの春と呼んだ。
しかし、改革に反対する守旧派や軍部の抵抗で改革は思うように進展せず、また2003年のイラク戦争でアメリカ軍の圧倒的な軍事力で隣国の同じバアス党政権のサッダーム・フセイン体制がわずか2ヶ月足らずで武力で崩壊させられたことに危機感を覚え、以後、体制 の引き締め政策を行い、デモや集会の禁止、民主活動家の逮捕、言論統制の強化、移動の自由制限など、民主化とは逆行する道を歩む。近年、レバノン問題で欧米との対決姿勢を鮮明にしてからは、この傾向がますます強くなっている。理由として、グルジアやウクライナなどで、いわゆる「カラー革命」といわれる民主化運動により、時の強権的政権が 次々と転覆したことに
脅威を覚えたからだと見られている。
対外関係では、政権はバアス党の伝統として「アラブの大義」「パレスチナを含むイスラエルによる全アラブ占領地の解放」を前面に押し出した主張をすることが多い。とりわけ、イスラエル軍によって占領されているゴラン高原の奪還は政権の最重要課題となっている。
イスラエルを牽制するため、1976年以降レバノンに軍を進め以後駐留を続けたが、レバノン国内からの反対と国際的圧力により、2005年3月に軍と情報機関の完全撤退を表明した 。軍は4月12日までに完全撤退した。情報機関の撤退については不明である。
レバノンの反シリア派は、同国で頻発する政治テロの犯人はシリアである非難している。
また、ハマースやヒズボッラー、イスラーム・ジハード等の欧米諸国やイスラエルが「テロ組織」と呼ぶ組織を支援しており、アメリカからは「テロ支援国家」に指定されている。
首都ダマスカスにハマースやその他のパレスチナ・ゲリラの拠点があり、武器援助や軍事訓練拠点を提供しているとされる。
イラク・バアス党政権との対立関係から、イラン・イラク戦争ではイラクと戦争状態にあったイランを支持した背景から、イランとは事実上の盟邦関係にあり、反米・反イスラエル、国際的孤立化にあるなど利害が一致する点が多い。最近は政治面の他、経済・軍事面でも一体化を強めつつある。
近年では、イランの他、ベネズエラ、スーダン、キューバ などの反米路線の国との関係を強化している。
ロシアとはソ連時代からの友好国であり、最新鋭の弾道ミサイル等の武器援助国でもある。中国ともシリア国内の資源開発や投資分野で関係を深めている。北朝鮮とはハーフィズ・アサド政権からの伝統的友好国であり、軍事交流や弾道ミサイルなどの北朝鮮製兵器の買い手でもある。共同の核開発計画も行っているとされ、2007年にはイスラエル空軍が核開発施設と見られる建物を爆撃した。
アサド大統領の出身部族はイスラームの少数宗派であるアラウィー派に属しており、多数派であるスンナ派を抑える形になっている。
地理
東地中海に面する一部を除いて、国土は隣国と地続きであり、北部ではトルコと、東部ではイラクと、南部ではヨルダンと、西部ではパレスチナやレバノンとそれぞれ国境を接している。
国土のうち、北部は半乾燥地帯、中部は山岳地帯が大半であるが、南部は肥沃 な土地が広がっており、国内農業のほとんどを負担している。
乾燥地帯の延長上には、アラビア半島に続くシリア砂漠がある。
地中海沿岸部は典型的な地中海性気候で、夏季は高温乾燥、冬季は温暖多雨である。内陸部に入るに従い乾燥の度合いが激しくなり、イラク国境周辺は砂漠気候となっている。
この地域では冬季には氷点下まで下がり、降雪による積雪も見られるなど季節毎の差が激しい。
ダマスカスの年平均気温は5.8℃(1月)、26.5℃(7月)、年降水量は158.5mm。
経済
現在のシリア経済は、バアス党の強力な計画経済により農業、商工業、鉱業ともに偏りがなくバランスが取れた形となっているが、米国による禁輸措置もあり経済は低迷状態が続いている。
2004年現在の政府発表の国内失業率は20%を超えている。現在、中国の改革・解放を手本として資本主義経済の導入を計っており、外国企業の投資受け入れやインターネット導入を進めている。
国民
住民は、アラブ人が90%で、その他にクルド人、アルメニア人などがいる。
アラブ人の中 にはシリア語を母国語とする部族もいるため民族性も多様化している。
少数民族としてネストリウス派(アッシリア人)、北コーカサス系民族、南トルコ系民族もいる。
言語はアラビア語が公用語である。その他、シリア語、クルド語、アルメニア語が使われる。
宗教は、イスラム教スンナ派が74%、他のイスラム教の宗派(アラウィ派など)が16%、キリスト教(非カルケドン派のシリア正教会、東方正教会のアンティオキア総主教庁、マロン派の東方典礼カトリック教会など)が10%である。
文化
古代より文明が栄えた土地のため、また各文明の交流地点のため、高度な文化が発達した。国内の各地にアッシリア帝国時代の遺跡が点在する。 西洋風の町並み・服装が浸透している。