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この年に初開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表に選出される。イチローはこれまで国際大会については「オリンピックはあくまでもアマチュアのための大会 自分はプロ」という考え(アマチュアリズム)で、オリンピックなど国際大会への参加を断り続けていたが、WBCはメジャーリーグ主導によるプロの初の世界大会とあって進んで参加した。1次リーグこそ本調子でなかったものの、2次リーグ、準決勝、決勝と試合が進むごとに調子を上げ、アメリカ戦では先頭打者本塁打を記録。マリナーズでは見られなかった感情・闘志むき出しのプレイを見せ、疑惑の判定で敗れたアメリカ戦の後には、決起集会を開いてチームを鼓舞するなどTBS系のスポーツ番組で西岡剛が語った内容によれば、その際、イチローは出席者全員分の食事代を一人で全額負担したという。、日本の野球選手の顔として、日本チームを牽引。決勝の対キューバ戦では、中押しのきっかけとなる二塁打と、1点差に詰め寄られた後に突き放す適時打を放った。最終的に一次予選から決勝まで全ての試合で安打を記録すると、打率.364(33打数12安打)、1本塁打、5打点、5盗塁、7得点、4四球を残して外野手部門のベストナインに選ばれた。川崎宗則は中学生の頃からイチローの大ファンであり、2006WBC日本代表でチームメイトになってからは、合同自主トレを行っている。2011年オフ、川崎はイチローと同じチームへの移籍を希望してマリナーズとマイナー契約。スプリングトレーニングで結果を残して念願の開幕メジャー入りを果たした。しかし、イチローは半年でヤンキースに移籍、このときイチローは川崎の存在について「迷った中の要素」とした上で「一緒の場所にいることが必ずしも一緒にやっているということではない 違うところでも一緒にやれるという考えが僕の中にある」と話した。イチローと川崎は別々のチームになってからも合同自主トレを行っている。WBC日本代表で共に戦った選手では川崎以外に今江敏晃、青木宣親、松坂大輔、内川聖一上原浩治らと親しい。城島健司はマリナーズ時代のチームメイトであり、2009年にはWBC日本代表でも共に戦った。マリナーズ時代はベンチに並んで座り、ゲームの流れや技術、野球観などを話し合った。現在もオフには必ず神戸で当時の関係者を交えて会食し、一緒にゴルフに出掛ける間柄である 2012年に引退を決断した城島について「メディアを通して知る前に伝えてくれる 律義な男ですよ」としんみりと話した 城島が不振でダッグアウトで涙を浮かべていた時も「その翌日、声を掛けたらすごくうれしそうだった 人間らしい男ですよね」と引退を寂しがるコメントを出している。日本プロ野球のシーズン歴代最多安打記録を2015年に更新した秋山翔吾は、イチローが1994年に日本記録(当時)を樹立した翌1995年に幼稚園の卒園文集に「やきゅうせんしゅになりたいです いちろうみたいにひっとうちたいです」と書き記していた 柳田悠岐は、サンフレッチェ広島の本拠地に近いサッカーが盛んな土地で育った 当然のようにサッカーを始めたが、1996年の日本シリーズをテレビで見てイチローのプレーに衝撃を受け、翌年少年野球クラブに入部したという また、MLB機構が中国に設置した野球アカデミーの出身者から初めてMLB球団とマイナー契約を結んだ許桂源(シュー・ギアン)は、イチローが憧れの選手で、「一生懸命練習して、イチローのようにうまくなりたい」と抱負を語った 韓国出身のメジャーリーガー秋信守(チュ・シンス)は、2009年のWBCを前に行われた韓国代表チームの記者会見で、日本代表チームのリーダーであるイチローとの対戦について「イチローは米国でもスーパースター 自分とライバルだと言うのはおかしい」と話し、敬意を表した。2006 ワールド・ベースボール・クラシック - 2006年2月5日に放送されたスーパーボウル中継の中でWBCのCMが放映された。アメリカ代表のロジャー・クレメンス、デレク・ジーター、ドミニカ代表のアルバート・プホルス、イタリア代表のマイク・ピアッツァらと共に、日本代表からイチローが出演。2009 ワールド・ベースボール・クラシック - 前回に引き続き出演。アメリカ代表のデレク・ジーター、ドミニカ代表のアレックス・ロドリゲス、メキシコ代表のホルヘ・カントゥと共に、日本代表として出演。
様々な記録を打ち立て、NPBで最多タイ記録となる首位打者を7回獲得し、パ・リーグ最多記録となる最多安打を5回獲得している。MLBでは10シーズン連続で200安打以上を達成。アジア人史上唯一の首位打者と盗塁王のタイトルを獲得。アジア人史上初のシーズンMVP(アジア人のシーズンMVP受賞は2001年のイチローと2021年の大谷翔平のみ)やシルバースラッガー賞、ゴールドグラブ賞(10シーズン連続)も受賞している。またアジア人史上3人目(日本人史上3人目、アジア人打者史上初)の新人王も受賞した。MLB1年目の2001年シーズンは、MVP,新人王,首位打者,盗塁王,シルバースラッガー賞,ゴールドグラブ賞のタイトルを同時に獲得している。この年、1930年のビル・テリー(ジャイアンツ)以来となるシーズン242安打(当時歴代9位)を放ち、MLBの新人最多安打記録を更新するとともに、アジア人打者初の新人王を受賞。さらに首位打者・盗塁王・シーズンMVP・シルバースラッガー賞・ゴールドグラブ賞という数多くのアジア人初のタイトルや表彰を獲得した。打率.350はアメリカンリーグ1年目選手の歴代最高打率。新人王とMVPに同時に選出されたのはイチローのほかには1975年のフレッド・リンのみであり、新人王と打撃タイトルの同時受賞はトニー・オリバ(首位打者)、ジャッキー・ロビンソン、ビンス・コールマン(盗塁王)、ウォルト・ドロポ(打点王)、マーク・マグワイア(本塁打王)以来6人目である。その他にも安打試合数の135試合は歴代1位タイ、127得点はリーグ2位、得点圏打率(.445) は両リーグを通じて1位を記録した。2007年5月3日に41連続盗塁成功を達成し、シーズンを跨いでのアメリカンリーグ連続盗塁成功記録を更新したが、5月18日のエンゼルス戦、7回裏盗塁死になって連続盗塁成功記録は「45」でストップし、メジャー記録の更新はならなかった。7月には5年9000万ドルで契約を延長。7月11日、7年連続で出場したオールスターゲームにおいてクリス・ヤングからオールスター史上初のランニング本塁打を含む3打数3安打2打点の活躍でオールスターゲームMVPを受賞した。7月29日には近代野球では3番目のスピード記録となる1060試合目でのMLB通算1500安打を達成。9月3日のニューヨーク・ヤンキース戦ではロジャー・クレメンスから本塁打を放ち、7年連続200安打(史上3人目)を達成。最終的にマグリオ・オルドニェスとの首位打者争いには敗れたものの、リーグ2位の打率.351(1位のマグリオ・オルドニェスとは1分2厘差)と同1位の238安打を記録。MLB史上初となる3度目の230安打以上を達成。リーグ9位の出塁率.396に加え、リーグ2位(125打席以上)の得点圏打率.397、満塁では13打数8安打、打率.615という驚異的な勝負強さを発揮。2001年以来2度目となるシルバースラッガー賞を受賞した。今シーズンは右翼手ではなく中堅手としてプレーしたが、中堅手としてもゴールドグラブ賞も受賞。アンドレ・ドーソン以来となるシーズン途中のコンバートなしでの右翼手と中堅手両方での受賞となった。9月17日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦で遊撃手への内野安打を放ち、8年連続200安打を達成。ウィリー・キーラーが1894年から1901年にかけて記録して以来、107年ぶりの記録を達成した。9月26日のオークランド・アスレチックス戦では8年連続100得点を達成。同一シーズンでの200安打100得点を8回記録したのはルー・ゲーリッグ以来2人目、連続記録としては史上初(19世紀の記録を入れるとウィリー・キーラーも達成している)。シーズンを両リーグトップタイの213安打で終了。MLBタイ記録となる3年連続最多安打(史上7人目)、史上初となる3年連続両リーグ最多安打を記録した。シーズンを終えての連続記録を「打率3割」「200安打」「100得点」「30盗塁」「オールスター選出」「ゴールドグラブ賞」について8年連続と伸ばした。4月から10月まですべての月で月間打率3割以上を記録。前年の8月から続いていた2試合連続無安打なし記録を9月下旬まで継続。併殺打の数も出場1試合目に記録した1のみに留めるなど、シーズンを通して抜群の安定感を見せた。4月に故障者リスト入りしたこともあり一時は連続200安打の記録更新も危ぶまれたが、終わってみればシーズン225安打を記録。220安打以上は自身5度目で、ジェシー・バーケットが4回の220安打を記録して以降108年間更新者が現れなかった記録を破った。このシーズンはジョー・マウアーと首位打者争いを繰り広げ、リーグ2位の打率.352(1位のジョー・マウアーとは1分3厘差)と、MLB史上初となる4年連続最多安打を記録。また、MLB移籍後では自己最高の長打率を残した。自身3度目の最多敬遠も記録。2007年以来3度目となるシルバー・スラッガー賞を受賞した。シーズンを通じての「100得点」「30盗塁」の連続記録は8年で途絶えたが、「打率3割」「200安打」「オールスター選出」「ゴールドグラブ賞」については9年連続と伸ばした。2006年以来のフィールディング・バイブル・アワードにも選出された。2010年6月5日のロサンゼルス・エンゼルス戦でMLB通算1000得点を達成。23日には自身が持つ9年連続200安打の記録を伸ばし10年連続200安打とした。10度のシーズン200安打はピート・ローズと並ぶMLB史上1位タイ記録。安打数は最終的に214安打とし、自身8回目の210安打を記録。タイ・カッブが持つ通算7回の210安打という記録を86年ぶりに更新した。シーズンを終えての連続記録を「打率3割」「200安打」「オールスター選出」「ゴールドグラブ賞」について10年連続と伸ばした。2年連続3度目のフィールディング・バイブル・アワードも受賞した。5月以降は一度も月間打率3割を記録できないまま、打率.272、184安打でシーズンを終了。メジャー移籍後10年連続で達成してきた「打率3割」「200安打」「オールスター出場」が途切れた(中でも「打率3割」と「オールスター出場」に関しては、NPB/MLB通算ではレギュラーの座を確保した1994年以降17年連続で達成していた)。守備でも、この年から各ポジション別に選ばれた最終候補3人の中から受賞者が決定となるよう方式が変更されたゴールドグラブ賞選考では、最終候補にも名が挙がることはなく、他の記録と同様に10年連続(NPB/MLB通算では1994年以降17年連続)で途切れてしまった。2008年3月、それまでイチローのグラブを作っていた坪田信義が引退し、坪田の弟子である岸本耕作がイチローのグラブ製作を引き継いだ。イチローは2008年シーズンいっぱいを岸本のグラブで過ごし、ゴールドグラブ賞を受賞。このことについてインタビューで「岸本さんのグラブになってゴールドグラブ賞がとれなかったら、おそらく岸本さんは自分を責めたでしょう 僕はそれを何としても阻まないといけないという思いで守っていました」と答えている。
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