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サラリーマンになって3年目25歳の時に出張で初めてアメリカへ渡りました。当時未だ東名高速道路は勿論自動車専用高速道路は日本には有りませんでした。空港に迎えに来てくれた取引先のアメリカ人のコルベットに乗せられて映画でしか見たことの無いフリーウエーをロスアンゼルスのダウンタウンまでの興奮と感激は今でも忘れません。その時以来“何時かはこの広大なアメリカ大陸を自動車で横断したい”と強く心に刻みました。
ニューヨークとカリフォルニアでの駐在員生活や年に数度の出張を繰り返し取引先メーカー訪問、日本からの来客の案内、個人的な旅行等で大都市やメジャーな観光地は殆ど訪問しました。しかし本当のアメリカを見るにはローカルを旅しなければと云う思いと50年前の何時かは大陸横断をと云う夢は消えることなく初渡航以来50年が過ぎてしまいました。今年は遂に後期高齢者の仲間に入りし体力の問題も気に掛かるようになりました。特に視力の低下は自動車運転には一番重要で夏時間で日照時間が1時間遅くなっている6月25日にカリフォルニア州アーバイン市(ロスアンゼルスの50?南)を出発し一路東へアリゾナ州、ニューメキシコ州、テキサス州、オクラホマ州、アーカンソー州、ミシシッピー州、テネシー州を走り南カロライナ州の大西洋に面した町チャールストン市へ7月7日に到着。チャールストン湾の入口に築かれ南北戦争以来海防の要となった戦跡モウトリー要塞の前の砂浜に立ち押し寄せる大西洋の波を見て往路の横断は完了。
帰路は少し北側を走り北カロライナ州、バージニア州、西バージニア州、ケンタッキー州、インディアナ州、イリノイ州、ミズリー州、カンサス州、コロラド州、ユタ州、(ニューメキシコ州、アリゾナ州)を走って7月23日に振出しのアーバイン市にゴール。28泊29日11,280kmの旅でした。後期高齢者のジジババと幾分くたびれたカーナビの付いて無い2008年製トヨタ・サイオンxB(日本名トヨタbB)でAAA(アメリカ自動車連盟)の無料地図を頼りにi-Phoneも持たずに元気に迷子にならずに走りきれました。改めてアメリカの大きさ、多面性、多様性を実感し、多くの人と出会いがあり大学時代の恩師の「出会いは宝なり」の教えを実践し楽しんできました。
ガリラヤ湖ほとりにて・・ 【ユダヤ戦争】2回目です(இдஇ; )前回より【ローマ帝国】 支配下(BC37年)に落ちる前に 【ユダヤ】は非常に ”不安定”に状態にあった事が解ります。【ユダヤ】は、700年も前の”南北分裂”から 【ダビデ・ソロモン王】に並ぶ強力な指導者も出ず、国力は衰退の一途を辿り、 【列強】 『新バビロニヤ王国』 『アケメネス朝ペルシャ王国』 『ローマ帝国』の超長年支配下に喘いでいました。BC140年代に【アケメネス朝ペルシャ】の衰退の隙をつき”ユダヤ”の【祭司】【ハスモン家】”が 反乱を起し、独立を勝ち取るも、 【祭司優遇・権利集中】の【神権政治】に、 国内は反発!【ユダヤ教・サドカイ派・パリサイ派・エッセネ派・熱心党(過激派)】などが次々に生まれ、 民衆は新たなる ”強力な指導者”メシヤ”を待望 するようになる。この火種は大きく、国民・民衆の統合は崩れ、 内部で反発と内乱の火種となる。【ローマ帝国】の支配下に移ると、傀儡の 【ヘロデ王】はやり手だったが、”エドム人”(民衆の支持は無し)! 長年の”リーダー不備”に国内の分裂状態はさらに悪化する。 【ヘロデ王】は完全な 【ローマ帝国】の傀儡政権で、 ”ユダヤ”に圧政を引いたため、 ”不安定なユダヤ”はさらに崩壊 が進む。 ( つ•̀ω•́)つ・・*:・:・゜:==≡≡Σ=͟͟͞͞(✡)`Д´)グヘッ! 【最列強】(『バビロニヤ』『ペルシャ』 『ローマ帝国』)に翻弄された歴史は同情に価するが【ユダヤ民族】の不備も甚だしい! ◎常に『強力なリーダーを欠いた国』 国民のまとまりが非常に低い。 ”強いリーダー”は集団をまとめる【要(かなめ)】 ◎【国家体制】が0! ”強いリーダー”が出ない理由に、国民の教育程度、財政程度が超低い。 国民は皆貧乏人が多く教育程度が低い、 中央の【祭司】だけに”金”が集まるシステム。 (超ド級格差社会) 【ユダヤ】はまるで”太古の国家” ◎時代の進歩に依然、 【古代シャーマニズム国家】 から抜けられない”グズ”過ぎる国。 (【モーゼ】は『シャーマニズム国家』の代表例! 【モーゼ】は男版”卑弥呼”! 【モーゼ】は言わば”シャーマン”であり、【神】と語らい託宣を受け、民に伝え、国民を導く【シャーマン】だった。 ٩(๑`^´๑)۶というような ”脆弱な古代体制国”だった【ユダヤ】の崩壊は起こるべくして、起こったと言えよう。 しかし、だからこそ 【神】はこの民を選んだ!【神】と 語らえるのは、このような【民】しか居ない。 ヾ(。>﹏<。)ノ゙✧*何故【ユダヤ】は ”宗教思想”で卓越した才能を発揮するも、これほど現実では ”グズ”だったのかは、後に話すとして、 【ユダヤ戦争】について話しましょう。 【ユダヤ戦争】紀元66年~紀元73年に起きた、【ユダヤ】の【ローマ帝国】への独立戦争。 これは【イエス・キリストの十字架刑】から35年ほどたった頃に起きました。 発端は【カイザリヤ】(皇帝に”ヘロデ王”が献上した港の大きな町。)での”ユダヤ人虐殺事件”でした。 【ユダヤ人】は以前から、【ローマ帝国内】に離散してコロニーを沢山作っていました。 (例【アンティオケヤ】(【使徒パウロ】の活躍中心。裕福なユダヤ商人の町) 【カイザリヤ】では、”ユダヤ人”と”ギリシャ人”が対立し、”ギリシャ人”が”ユダヤ人”を大量虐殺する事件が起き、また【エルサレム】では、当時の”総督”が【エルサレム神殿】の宝物をインフラ整備の為、持ち去る事件が連発し、 【過激派】(ゼロータイ)が反乱を起した事によります。 【ローマ帝国】は当時【ユダヤ】を直轄領としていて(ヘロデの後継者の死)、【ユダヤ】反乱者を処刑する事で鎮圧しようとしたが、これが 【ユダヤ】のさらなる反発を煽り、”独立戦争”へつき進んだ。 【ローマ帝国】は”シリヤ総督”から援助軍隊を送えり対応するが、一時は【ユダヤ反乱軍】に負けてしまう。当時の【皇帝ネロ】は時代を重くみて、援軍を要請。”ヴェスパシアヌス”と”ティトス”が 【ユダヤ】に向かい、【サマリヤ・ガリラヤ】を平定して、【エルサレム】を孤立化に成功する。あ(”ティトス”さんは後の【皇帝】です。) 紀元68年、皇帝ネロ自殺後の、【エルサレム包囲戦】では【ティトス】の【ローマ軍】に【ユダヤ人】は【アントニヤ要塞】や【神殿】に籠って闘ったが、【エルサレム神殿】は焼け落ち110万人を超える犠牲者を出して鎮圧、9万人以上が捕虜となりローマへ連行された。【神殿】は人が住んでいた事が信じられないほど破壊され、残された【壁】が現代の【嘆きの壁】である。 この時、あの高名な【歴史家ヨセフス】も【ガリラヤ】を率いて闘いに参戦しましたが、後で自決前に降伏し、戦争に参加した歴史家として【ユダヤ戦記】【ユダヤ年代記】を著作し、 【歴史的な需要な資料】をなります。 【マサダ要塞の戦い】 【エルサレム包囲戦】を逃れた【熱心党員】を中心とした967名は、【マサダ要塞】に立て籠り2年間闘ったが、執拗な【ローマ軍】に婦女子を数名を残し自決して果てた。 【第2次ユダヤ戦争】 【第一次ユダヤ戦争】後にも”ユダヤ独立”の気運は高く、紀元115年にも”離散ユダヤ人”が一斉武装蜂起”をしています。その頃【バル・コクバ】という男が”メシヤ”を名乗り登場、【祭司】の承認を得て、【星の子】を名乗り、民衆に受け入れられる。 5賢帝の一人【ハドリアヌス帝】は【エルサレム神殿】の再建を約束するが、【エルサレム神殿】に【ローマ神・ユピテル】の神殿を建てる事を知った【ユダヤ人】は激怒して、【バル・コクバ】を中心に反乱を起す。これが【第2次ユダヤ戦争】です。 この反乱は一時成功し、【バル・コクバ】は政権を取って【エルサレム神殿再興】に着手したが、【ハドリアヌス帝】の再度の攻撃で、鎮圧され、【バル・コクバ】は戦士した。 【ハドリアヌス帝】は「ユダヤの不安定は宗教にある」と考え、【ユダヤ教】の根絶を図り、【旧約聖書】を遺棄し、【ユダヤ歴】を廃止、【エルサレム】への立ち入りを禁止し、【ユダヤ】から【シリヤ・パレスティナ】と名前を変えた。これが【パレスティナ】の語源である。 実はですね、確かに【ユダヤの超不安定さ】にも原因があるのですが、暗に 【ローマ帝国】も歴代総督が挑発行為をしたという方も居ます。 その代表例が 【イエス・キリストの処刑】 なのです。 【総督ポンテオ・ピラト】は、帝国政界の実権者【セイヤヌス】から指示を事前に受けていた。 と言われます。 (ง `ω´)۶”赦せん!【ポンテオ・ピラト】 (# `)3')▃▃▃▅▆▇▉ブォォォォ また【ユダヤ戦争勃発】当時の総督の高圧的な悪政で”ユダヤ市民”の婦女子まで犠牲になるようなありさまで、【過激派】の神経を煽りました。 やはり【パレスティナ】という”交通の要所”な 国土【国政・財政の不安定脆弱な国】 (ꐦ°д°) これは狙われてもしかたが無いですね。 やはり【国】の存続には「優秀なリーダー」 「国政の安定」「国家財政の安定」は欠かせません。 又【ローマの歴史家】”タキトウス”は【ユダヤ人】について「「ユダヤ人の習慣は卑しく忌まわしく、ユダヤ人がその習慣に固執するのは、彼らが腐敗堕落しているからである。ユダヤ人はユダヤ 同士では極端に忠実であり、いつでも同情を示す用意ができているが、異民族に対しては憎悪と敵意しか感じない。」について書いていて、 【ユダヤ人の慣習】が”ローマ人”に批判的に受け取られた事が解ります。 【ユダヤ戦争の原因】