Images of ラオス内戦
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12/31から1/3まで奇跡的に4日間の年末休暇を頂けたので、ラオス一の観光地と呼ばれるルアンパバーンに行ってきた。現地のラオ人達が乗るバスで行けば片道10時間弱で行けるのだが、貴重なお休みの半分(丸2日)を移動に費やしたくなかったので、ちょっとリッチだが飛行機で行くことにした。と言っても私たちが住んでいるところが超ド!田舎ということを忘れてはいけない。直接ルアンパバーンに飛んだ方が距離的には断然近いのに、直行便がないために一度首都ビエンチャンまで遠回りし乗り継ぎをしないと目的地には辿り着けない。
長きに渡ってフランスの植民地だったラオスの中でもその面影が濃く残るルアンパバーンは、想像をはるかに超えたお洒落な町だった。緑豊かで空気も美味しく、排気ガスと土埃にまみれた私の駐在するど田舎とは月とスッポンだった。また年末ということもあるだろうが歩いているほとんどが外国人で、私が駐在している町と比べて、まるで数十年は未来にタイムスリップしたかのような印象を受けた。建物の壁や窓枠が黄色や水色、薄緑色などで、中には南仏の家々そのものと思わせる素敵なレストランやホテルもあった。私も一緒に旅行した子も、「キャー!かわい~町~ッ!住みた~いッ!」を連発してしまうくらいだった。今から30年以上前にフランスから独立しラオス人が自分たちで築き上げてきた町であるのにもかかわらず、私が暮らすラオス現代の片田舎より随分都会に感じるとは、植民地主義とは皮肉なものだと思わずにはいられない。
ルアンパバーンは、14世紀にラオス一栄えた王国を持ったが他国からの侵入を避けるため現首都ビエンチャンへ遷都、その後フランス占領下時代やラオス内戦など様々な歴史が刻まれた町だ。仏教が強く根付く寺院の数々が、ラオス風のオレンジの屋根の家々の中に散在する姿を高く聳え立つプーシー寺から見下ろすと、どこか物哀しい気分にさせられた。この町の持つ重みと美しさを考えると、1995年に町自体が世界遺産に登録されたのも頷ける。
町を散策していて素敵だと思ったのが、ウェイター・ウェイトレスはもちろんのこと経営者のほとんどがラオ人だったこと。フランス人らが上手に手を引いたのか若しくは裏で操っているのかは分からないが、今はラオ人たちが自分たちでこの町を作っているんだ、というのがヒシヒシと伝わってきて少し感動した。
そんな世界遺産の町中で我々が泊まったのは1人1泊800円の超安宿。確かに物価が安い東南アジアではあるが、こんなに安い宿に泊まったのは高校時代のバックパッカー旅行を入れても人生初だ。NGO職員なのでこれくらい我慢②。記念すべき年越しだろうが2011年の幕開けだろうが、悪臭漂う部屋でも我慢②。
ルアンパバーン旅行の目玉は4つ。
① 不吉!? カウントダウンの直後に火事!
② 憧れの、象に乗りながら森林浴
③ 早朝からイケメンのお坊さん探し放題
④ 悪魔のナイトマーケット
31日の大晦日の夜、人々がカウントダウンに集まる広場へ行こうとゲストハウスを出た瞬間、不気味なくらいオレンジ色に明るく光が無数も空に散らばっている光景を見た。星でもなく飛行機でもなく。何が起きたのか分からない私たちは目的地であった広場に着いた途端その怪奇現象の正体がわかった。人々が、円柱状になった大きな和紙の中に油が塗られてあるスポンジのようなものに火を灯し、そこら中で小気球を飛ばすかのように空に打ち上げていたのだ。
それはカウントダウン直前まで続き、夜空を見上げると20,30個のオレンジ色の光の群れが果てしなく高く飛んでいき、すごく神秘的だった。私たちも記念にと、観光客用に複数あった和紙屋さんの屋台で購入してみたが、2人だけでは和紙を支えながら火をつけるのが困難なため近くのイタリア人らに手伝ってもらった。仮設舞台で大勢のラオ人がラオ語で「・・サーム、ソーン、ヌーン!」とカウントダウンし(ラオ語を勉強中の私は3の数になってようやく今年があと3秒というのが理解できたのだが(笑))、地元のラオ人と観光客で100人以上はいたその場は更に大騒ぎになった。
2011年を迎えた直後、火を灯してもらったら既に和紙に油がついてしまっていたのか、ぼぉっといきなり炎が立ち、辺りは一瞬その火事を消すのに騒然となった。私も友達も恐怖でその場に立ちすくんでいたが、周りのお祭り騒ぎの空気に流され大笑いしながら再度トライすることになった。燃え上がった炎が脳裏にあり怖かったが恐る恐る、今度は2人で口を揃えて“現在立ち上げている新事業”の成功を祈り、その願いを乗せた灯が空にふわふわ浮かび上がっていくのを見守った。
象。ラオス赴任で初めて東南アジアに足を踏み入れる私にとって、東南アジアと行ったら“象にまたがれる!”というイメージがあった。タンザニアに住んで4度のサファリを経験し、池でどろんこ遊びする赤ちゃん象をまつ毛や皺まで観察しその可愛さに感動したことや、ウォーキングサファリの最中、すぐ目の前をのそのそ通る象の集団に気付かれぬよう地面に伏せたことや、ライオンより強いと言われる象の群れの争いを見てその恐ろしさを知ったことなどで、私はいつの間にか象が大好きになっていたのだ。駐在している田舎町ではいつ象に乗れるか分からないので、2000円で2時間乗り放題の格安ツアーを見つけられたので参加することにした。
象に乗ると言っても、ちゃんとラオ人の象使いのお兄ちゃんが耳の上に乗りながら操り、私たちは象の背中に括りつけてある椅子の上に座るというものだが、途中その耳の上に乗せてもらって象さんがのらりくらり歩いてくれたときは、これまで乗ったジェットコースターで一番エキサイティングだと思った。だって上り坂や下り坂はどちらも落ちそうになるくらい角度が急になるのだから。
最高なのは、太陽の光が木々の間から降り注ぐ森林の中や、象さんの足はもちろん、自分の足が濡れるギリギリのところまで水深のある川の中を歩いたりと、2時間たっぷりラオスの大自然を味わえたこと。大満足の元旦を過ごせた。昨年末、タンザニア・ヴィクトリア湖の漁村に滞在し、現地の漁師さんと一緒にボートに乗って過ごしたことがもう随分前のように思える。果たして来年私は世界のどの辺りで新年を迎えるのだろうか。
山裾に落ちる2010年最後の夕陽をメコン川沿いに拝む。
ラオスに駐在する私の詳しい写真記は、
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