Images of ラプラタ川
Meet Juan Diaz de Solis: 10 Things You Didn't Know About the Spanish Explorer Who Discovered Uruguay
2017年11月25日(土)の午後、ブエノスアイレス(Buenos Aires)を飛び立った飛行機は、ほぼ真東に200㎞ほど離れたモンテビデオ(Montevideo)に向かうが、この両都市の間に広がるのがラプラタ川(Rio de la Plata)。川と呼ばれているが、実際には河川が沈水して出来た三角状の入り江、三角江(Estuary)で、湾あるいは海とみなす地理学者もいる。ブエノスアイレスの北、パラナ川(Rio Parana)の三角州(Delta)にウルグアイ川(Rio Uruguay)が流入したところから南東へ約300km、ウルグアイ側のプンタデルエステ(Punta del Este)とアルゼンチン側のサンアントニオ岬(Cabo San Antonio)を結んだ線あたりまでがラプラタ川とされ、幅は最奥部の約30kmからしだいに広がり、大西洋への出口では約220kmとなる。どう見ても海やん!
先住民がもっていた銀製品に強い関心をもったスペイン人が、「銀の川」を意味するラプラタ川と名付けた。パラナ川を本流とするラプラタ水系の流域は、西はアンデス山脈(Cordillera de los Andes)、東はブラジル高原(Planalto Brasileiro)に達し、その間に広がるグランチャコ(Gran Chaco)とパンパ(Pampa)の平野を含む。流域面積は310万平方㎞に及び、アルゼンチン、ウルグアイ、ブラジル、パラグアイ、ボリビアの各国にまたがっている。川からの土砂の堆積が著しく、平均水深は湾奥部で1.2m、湾口部で12mと遠浅で、各所に浅堆(Ocean Bank)が形成されており、航路の確保のために常時浚渫が行われている。
2時半、ブエノスアイレスから約50分でモンテビデオのカラスコ国際空港(Aeropuerto Internacional de Carrasco General Cesareo L. Berisso)に無事到着。モンテビデオのダウンタウンから約19㎞東北東にあるこの空港は1948年開業のウルグアイ最大の空港。現在のターミナルは09年末に開業したもので、14年にイギリスのBBCが選んだ10の美しい空港の一つに選ばれている(ちなみに関空も選ばれている)。3200mと2250mの滑走路、計2本を持ち、2018年の取り扱い乗客数は約207万人。実際にはシウダ・デ・ラコスタ(Ciudad de la Costa)と云うモンテビデオの隣町にあるが、モンテビデオのカラスコ(Carrasco)地区に接しているのでカラスコ国際空港となった。正式名称に含まれるセサレオ・ベリーソ将軍(General Cesareo L. Berisso)は20世紀初めのウルグアイの航空の先駆者。
入国審査を終え、荷物を受け取って税関を抜けると、まずは両替を済ます。空港ロビー、オープンしてまだそんなに経っていないターミナルなので、近代的できれいだが、閑散としている。旅行に出る前の計画では、ここからはバスでダウンタウンのバスターミナルへ行き、ホテルまで歩くだったが、スーツケースを押して歩くのは大変だと分かったこと、到着が1便遅くなったので、日が暮れるまでの時間が予定よりかなり短くなったと云うことで、タクシーかシャトルサービスを探す。インフォメーションで聞くと受付を教えてもらえたので、ダウンタウンとの往復タクシーを頼む。カードで払ったが結構高い、1550ペソ(6078円だった)。これで明朝早い出発も安心(なはずだった、この時点では・・・)。
タクシーは一路モンテビデオに向かう。この旅に出て半月余り、全く雨にあってない訳ではないが、ほとんどの日がいい天気。この日のモンテビデオも気持ちのいい青空。空港からダウンタウンまでの間のラプラタ川沿いには美しいビーチがいくつも連なり、南米随一のリゾートとなっている。ずっと川岸を走るのではないが、時折見えた川岸近くにはホテルが立ち並び、確かにそんな雰囲気。東からカラスコビーチ(Playa Carasco)、マルビンビーチ(Playa Malvin)、ブセオビーチ(Playa Buseo)、ポシートスビーチ(Playa Pocitos)と続く。
さて、これから入るモンテビデオだが、ラプラタ川左岸、河口から約130㎞に位置するウルグアイの首都で、人口140万人。都市圏全体では180万を越えるので、国の全人口の半分以上が暮らす、一極集中の街(2番目に人口の多い都市は北西部のアルゼンチン国境のサルト(Salto)で約10万人)。ウルグアイ最大の貿易港を有し、温暖な気候で知られる。ブエノスアイレスやサンティアゴ(Santiago de Chile)を上回る、ラテンアメリカで最も生活水準の高い町とも云われる。
町の名前の由来は諸説あるが、モンテ(Monte=山)が港となっているモンテビデオ湾(Bahia de Montevideo)の入口西側の丘を示すことは共通している。この丘は現在はモンテビデオの丘(Cerro de Montevideo)と呼ばれ、19世紀にはセロの要塞(Fortaleza del Cerro)が築かれていた。市の観光案内ではこの丘にポルトガルの聖人、聖オヴィディオ(Santo Ovidio)の名前を付け、聖オヴィディオ山(Monte Ovidio)と呼んだことから来たと云う説が採用されている。他は、この丘を見つけたマゼラン(Ferdinand Magellan)の艦隊が「Monte vide eu(我、山を見たり)」と叫んだことから来たと云う説、河口のある東から西に向けて6番目の丘(MONTE VI De Este a Oeste)が省略されたと云う説など。3つ目の説はまるでパズルやなあ。
1726年、ブエノスアイレスに拠点を置いていたスペインのリオデラプラタ(Rio de La Plata)総督のブルーノ・マウリシオ・デ・ザバラ(Bruno Mauricio de Zabala)が、ブラジルから南下してくるポルトガル人を阻止するために築いた砦を元に建設したサン・フェリペ・イ・サンティアゴ・デ・モンテビデオ(San Felipe y Santiago de Montevideo)が今の町の基礎となった。その後100年余りは城塞及び貿易港として利用され発展し、1828年の独立に伴い首都となる。1870年代以降鉄道の建設もあって後背地の内陸部が開発されると、その積出港として発展し始め、20世紀に入ってから急速に発展、南米の主要都市の一つとなった。
ウルグアイ最大かつ唯一の大都市で、あらゆる分野の活動の大部分がここに集中している。大規模な羊毛と食肉の加工プラントが立地し、織物、靴、石鹸、衣料など消費物資の製造が盛ん。港はかつてははしけによる荷役が必要であったが、近代的港湾施設が完備したことにより、ブエノスアイレス港と並ぶラプラタ川沿岸の主要港として、ウルグアイの外国貿易の大半を取り扱い、羊毛、食肉、皮革、穀物などを積み出している。
市街は,馬蹄形のモンテビデオ湾を囲む南側の低い岬を占める旧市街(Montevideo Ciudad Vieja)を中心に、その東および北に向かって広がっている。旧市街には石畳に歴史的な建物が並ぶ植民地時代の面影が残されているが、新市街は概して近代的で、広い街路に沿って高層ビルも立ち並ぶ。
南緯34°54'にあり、今回の旅で訪ねる一番南の町になる。飛び立って来たブエノスアイレスが34°37'で、モンテビデオの方がわずかに南。南半球ではオーストラリアのシドニー(Sydney)がこれまで私が行ったことがある一番南の町だったが、南緯33°56'なので、ブエノスアイレスで更新したのをさらに更新。ちなみに私が行ったことのある最も北の町はフィンランドのタンペレ(Tampere)の北緯61°30'で、アメリカのアンカレッジ(Anchorage)の北緯61°13'よりもわずかに北だった。
45分ほどで新市街にあるホテル、メディテラネオ(Hotel Mediterraneo)に到着(表紙の写真)。メイン通りの7月18日通り(Av. 18 de Julio)からは3ブロック北と少々離れているが、静かな位置にある3つ星ホテル。「地球の歩き方」に全体的に古いが、清潔とあったがその通り。エレベータも設置されている。フロントはちゃんと英語が通じた。1泊でUS$50(5697円)だった。
モンテビデオ旧市街観光に続く。