Images of ルイス・ソテロ
慶長遣欧使節(けいちょうけんおうしせつ)は、慶長18年(1613年)に仙台藩主伊達政宗がフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正使、支倉常長を副使として、スペイン国王・フェリペ3世、およびローマ教皇・パウロ5世のもとに派遣した使節である。
徳川家康は、オランダの商船リーフデ号で豊後国(現・大分県)に漂着したイギリス人ウィリアム・アダムス(三浦安針)を外交顧問としていた。 伊達政宗は家康から許可を得て欧州へ使節を派遣することにした。
慶長遣欧使節の主目的は仙台藩とスペインの通商交渉であったと言われる。
政宗は一行180余人を現在のメキシコ、スペインおよびローマへ派遣した。
使節団は、慶長18年(1613年)に現在の宮城県石巻市を出帆。
出航から3か月、アカプルコ入港。3月24日、常長らがメキシコシティ入り。
6月10日、使節団はスペイン艦隊のサン・ホセ号で出港した。
10月5日、セビリアに入った。10月27日、常長はセビリア臨時市議会に臨み、使命を述べた。
11月25日、使節団はセビリアを出発した。
12月20日、使節団はスペインの首都マドリードに入った。
1615年1月30日、常長ら使節はスペイン国王フェリペ3世に謁見した。
2月17日、常長はフェリペ3世ら臨席のもと、王立修道院の付属教会で洗礼を受けた。
10月29日、使節団がローマで、栄誉あるローマ入市式を行った。
11月3日、常長、ソテロらが、ローマ教皇・パウロ5世に謁見。
11月20日、常長らにローマ市民権証書が授与される。
1616年1月7日、使節団はローマを出発し再びスペインのセビリアへ。
1618年アカプルコを出港。同年8月10日、フィリピンのマニラに到着。
サン・フアン・バウティスタ号をマニラで売却し、常長は便船で1620年9月20日帰国。1622年8月7日、常長死去。
ソテロは、1624年8月25日大村で火刑により殉教した(49歳没)。
常長がスペイン、ローマから帰国したとき、日本は幕府の方針によって、キリスト教禁止の時代になっていた。日本でのキリスト教取り締まりに伴い、この外交交渉は成功しなかった。
政宗がローマ法王へ宛てて書いた芸術的な親書、ローマ法王の肖像画、常長の肖像画、常長のローマ市民権証、常長がスペイン・ローマ・フィリピンから持ち帰った品々などは、現在仙台市博物館に収蔵されている。これらは「慶長遣欧使節関係資料」として、歴史資料としては日本で初めて国宝に指定された。2013年6月18日、「慶長遣欧使節関係資料」は、御堂関白記とともにユネスコ記憶遺産に登録された。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)
慶長遣欧使節 については・・
https://www.santjuan.or.jp/history.html
仙台市博物館は、宮城県仙台市青葉区川内にある仙台市立の博物館である。伊達家が仙台市へ寄贈した文化財を保管、研究するために1961年(昭和36年)に開館した。
現在の建物は1986年(昭和61年)に竣工したものである。敷地面積1万9758平方メートル、建築面積5283平方メートルの鉄骨鉄筋コンクリート構造で、1990年(平成2年)に第2回公共建築賞・優秀賞を受賞した。
資料展示室のほかに、レストランやミュージアムショップがある
江戸時代の仙台藩に関連する歴史資料、文化資料、美術工芸品約約9万7000点がここに収蔵され、そのうち約1000点が展示されている。伊達氏や慶長遣欧使節に関連するものが充実し、その中でも『奥州仙台領絵図』は、幅8メートルもある巨大な絵図であり、人気の展示となっている。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)
仙台市博物館 については・・
https://www.city.sendai.jp/museum/
https://www.sentabi.jp/guidebook/attractions/8/