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東京に3泊する旅の二日目の朝、赤坂にある「勝海舟・坂本龍馬の師弟像」を見に行くことにした。近所には勝海舟邸跡もあるし、赤坂氷川神社もある。この名前を聞くと、昔読んだ勝海舟の「氷川清話」を思い出す。本は誰かに貸したまま戻っていないので、今回、確認できないのだが、勝海舟の語録集として、彼の良くも悪くも人物像を覚えている。
勝海舟というと、むしろ、近年読んだ萩原延壽「江戸開城 遠い崖―アーネスト・サトウ日記抄ー」(朝日文庫)の227ページ以下を、今、読み直した。そこには、イギリスの外交官である日本語の達人、アーネスト・サトウが、親しかった勝海舟を1868年8月18日(陰暦7月1日)に訪問している。サトウは因みに、西郷、小松、大久保、木戸、伊藤、井上薫(この伊藤と井上とは同じロンドン大学繋がりである。)らとは、既に親しかったが、同時に元の幕府の側の大物とも親しかった人物である。大変な日本語力だったし、信頼されていたのだ。
勝海舟はこの時、サトウに、勝海舟の考える「有能な人物のリスト」を見せてくれ、それをサトウは書き写していた。数年前に作成したものだそうだ。
そのリストが同書に詳しく記録されている。仲間の幕臣からは15名並ぶ。山岡鉄舟などがはいる。さらに、佐久間象山、高野長英、渡辺崋山、藤田東湖などが並ぶ。
その後、土佐から5人で、後藤象二郎、坂本龍馬、武市半平太など。肥後から7人で、横井湘南など。その後は、越前、会津、紀州、尾張、芸州など。肥前から副島種臣。宇和島、仙台、阿波とならぶ。次が薩摩で、西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀など7人が並ぶ。
ところが、驚くことに長州からは19人もリストアップされている!それらは、周布正之助、木戸孝允、伊藤博文、大村益次郎、井上薫、高杉晋作、楫取素彦、久坂玄瑞、玉木文之進らである。
サトウの日記を深く研究した萩原延壽氏の書物は、多くは信頼に足る内容だと思っているので、退職後、ほぼ、読破した。私も実は、それらがきっかけで、Earnest Satowの日記類や出版物は原書などでかなり読んでいる。公平性が高いからだ。
幕末維新関係の書物は、日本人が書くと、幕府か、維新側か、どちらかの見方や味方になって書いているものがほとんどで、偏りが当然あるから、私は、第三者の外国人や外交官などの記述のほうを重んじている。一番怖いのは、小説家などのいい加減な歴史小説を読んで、歴史がわかった気分になっている人達だ。。。感情的な人を大量生産するので怖い。。。大河ドラマもそれと同じだろうと思うが殆ど見ていない。。。大学で証明実験をし、証拠を揃えて学術論文を書いてきた人間から見ると、証拠もなく、よくあんな話を書けるなといつも感心する。。。近年はますます、小説家の書く歴史小説は、ほとんど読まなくなった。(多くのジャーナリストも似たようなものだろう。)
一枚目は、「勝海舟・坂本龍馬の師弟像」。