Images of 大槻憲二
訃報に、新日本プロレス、早河洋、ドラディション、ストロングスタイルプロレス、在パラオ日本国大使館、早稲田予備校、弟子からは藤波辰爾、長州力、佐山聡、木村健悟、藤原喜明、髙田延彦、船木誠勝、前田日明、山崎一夫、藤田和之、馳浩、蝶野正洋、武藤敬司、佐々木健介、永田裕志、大谷晋二郎、獣神サンダー・ライガー、小島聡、小川直也、棚橋弘至、中邑真輔、リョート・マチダらが追悼コメントを発表したほかプロレス界からアメリカのWWE、ハルク・ホーガン、アブドーラ・ザ・ブッチャー、タイガー・ジェット・シン、スタン・ハンセン、リック・フレアー、ジョシュ・バーネット、トリプルH、AEWからスティング、ウィリアム・リーガル、当日に自身の団体FMWEの試合前に哀悼の意を表する大仁田厚、渕正信、高山善廣、桜庭和志、村上和成、真壁刀義、オカダ・カズチカ、竹村豪氏、藤波怜於南、ヨシタツ、ウルティモ・ドラゴン、長与千種、北斗晶、ジュリア、新間寿、富家孝らが、芸能界からはアントキの猪木、アントニオ小猪木、石橋貴明、松本人志、加藤浩次、武井壮、三村マサカズ、有田哲平、増田英彦、有吉弘行、古坂大魔王、ハチミツ二郎、ラサール石井、徳光和夫、生島ヒロシ、羽鳥慎一、宮根誠司、永島優美、谷原章介、辻仁成、デーモン閣下、大槻ケンヂ、ダイアモンド☆ユカイ、松山千春、黒沢年雄、ファンキー加藤、桑田佳祐、和田アキ子、美川憲一、江川達也、にわのまこと、有田芳生、古市憲寿、橋下徹、有村昆、デヴィ・スカルノ、ヒカル、坂口憲二、らが、政界から小沢一郎、山本太郎、玉木雄一郎、須藤元気、世耕弘成、佐藤正久、杉田水脈、山田宏、野田佳彦、馬場伸幸ら、スポーツ界から原辰徳、江本孟紀、松井秀喜、三浦大輔、朝青龍、若元春、吉田沙保里、武田修宏、亀田興毅、但馬ブランドンミツロ、石井和義、榊原信行、ジェロム・レ・バンナ、芦田崇宏など各界からもコメントが寄せられた。「延髄斬り」は海外マットでも''enzuigiri''と呼称され、名詞として定着している。袂を分かってからジャイアント馬場を執拗に敵視し挑発してきたが、私生活ではホテル(キャピトル東急など)で馬場に会った際、「どーもどーも」と笑顔で握手に行き食事に勝手に同席した上、会計を馬場にまかせて去っていったなどの逸話が残されていて、馬場の付き人をしていた大仁田厚は「猪木さんは馬場さんに挑発を繰り返していたじゃないですか でも、馬場さんの前に来たときに、ちゃんと一礼して『お疲れさまです』と言ったのは忘れられない」と語るなど、公私は別にしていた 渕正信は、1979年の「プロレス夢のオールスター戦」の控室で、両者がゴルフの話題で談笑していたことを証言している 和田京平は、ホテルで偶然会ったときには馬場に猪木は小走りで近づき挨拶をしたと言い「公では仲は悪いことになってたし、馬場さんも相当、猪木さんに悪口を言われていたでしょ だからあまりに和気藹々で驚いた 」と語り「我々には分からない兄弟のような信頼関係があったと思う 」と続けた プライベートでは「馬場さん」「寛ちゃん」と呼び合う仲であった 馬場も挑発には乗らなかったが(そもそも馬場は「猪木をライバルと思ったことはない」と生涯語っていた)、新日本のNWA加盟に対して妨害工作を行うなど、内心ではかなり猪木を意識していたと考えられる。また、猪木が自らのタニマチであった佐川清を馬場に紹介し、佐川宅を二人で訪れて統一コミッション設立に向けた計画を話し合うなど、利害が一致する場合は両者は積極的なビジネス関係を結んでいた。 「プロレス夢のオールスター戦」の開催が危ぶまれた際、東京スポーツと二階堂進コミッショナーの話し合いにより、次善の策としてBI砲の復活を決定、そして晴れてオールスター戦開催の正式発表にこぎつけた 正式発表後の猪木と馬場は衝突することもなく、お互いを尊重するコメントを連発 猪木に至っては「雰囲気を掴むためにオールスター戦前に全日本プロレスのリングに上がろうかな」とコメントし、馬場も「次のシリーズからでもどうぞ」と応えるなど、和気藹々としたムードだった。