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長崎市東小島町にある正覚寺は浄土真宗仏光派のお寺で光寿山正覚寺という。創建は慶長9年(1604年)で、開基は僧道智である。道智は文禄3年(1594年)、仏教の再興のため長崎の鍛冶屋町付近に拠点を構え布教活動を始めるが、当時、長崎はキリシタンの全盛期で仏教徒への脅迫、投石、さらには井戸に毒薬を混ぜるなどの行為があって布教活動はなかなかうまくいかず危険がおよぶこともあった。正覚寺という布教活動の拠点ができると、慶長9年(1604年)道智は立山の「山のサンタマリア教会」と翌10年(1605年)には舟津村(現 本蓮寺)の「サン・ジョアン・パプチスタ教会」の信徒らと宗論を戦わす。こうした行為はキリシタンへの挑戦でもあり、キリシタンから憎悪を持たれるようになる。慶長12年(1607年)にキリシタンのより正覚寺は放火され全焼し、一時は、伊良林郷(現・浄安寺付近)地の再建する。次第に仏教再興のために多くの僧が長崎に入り出した。慶長19年(1614年)にキリシタン禁教令が発布すると、キリシタンの勢力も衰え、多年にわたる道智の活躍が実を結ぶことになり幕府から絶大な恩賞を受けた。
元和4年(1618年)に正覚寺は新橋町の地へ移転するが、寛永7年(1630年)に 本古川町からの出火で類焼し、延宝4年(1676年)には境内狭溢を理由に、現在地である小島郷に移転した。門前からは長崎茂木街道が始まる。長崎市矢上町にも曹洞宗のお寺で正覚寺がある。
正覚寺は路面電車の行き先になっており、油屋町に長崎電気軌道本線の正覚寺下電停がある。長崎市内には2社14寺あるといわれている。江戸時代には長崎奉行が置かれたが、10万石の格式があった。その寺社を巡る最初がここ正覚寺である。
(表紙写真は正覚寺山門)
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