Images of 宮城県小学校の廃校一覧
■広島県山県郡の廃校めぐり~山奥の秘境集落で現存する廃校舎~
【 手記 】
ぽかぽか陽気の平日、県北の山県郡まで廃校めぐりに出かけてきました。足腰が痛いので乗り降りの楽な軽自動車(ホンダディーバ)で自然豊かな山間地域をのんびりゆっくりと走り回ってきました。
国道191号から安芸太田町役場を過ぎて狭い山道(県道296号)へ入って行きました。山道を突き進み山奥秘境の集落で現存する廃校舎に遭遇したときにはまるでタイムスリップしたかのような感覚になりました。分校を設けなければならないほど不便な地で、冬場の環境は相当厳しかったのだろうと思いました。
小中高別にみた場合、小学校の廃校の7割、中学校の 5.5 割が過疎化による廃校であるのに対して、高等学校等では、再編による廃校が6割以上を占めているそうです。学校は地域のシンボルであり、なくなってしまうことは、地域の活気が失われることになります。
近年、少子化による児童生徒数の減少、市町村合併などの影響により多くの廃校が発生しており、その施設の有効活用が求められています。
仰げば とうとし わが師の恩
教(おしえ)の庭にも はや 幾年(いくとせ)
思えば いと疾(と)し この年月(としつき)
今こそ 別れめ いざさらば ♪
撮影会や飲み会の写真が何ファイルか溜まっています(アップ予定なし)が、とりあえず4トラ記らしいこちらの「廃校めぐり」をアップしてみました。
▽広島県山県郡とは
広島県山県郡は中国山地の標高300~800mに位置し、西中国山地国定公園に指定された1,000m程度の山々に囲まれた山間地域で島根県と接しています。
広島県山県郡安芸太田町と島根県益田市との境にある標高1346mの恐羅漢山は、中国山地西部の冠山山地に属しています。広島県・島根県の最高峰で西中国山地国定公園に属しています。県内有数の豪雪地帯で、中腹北東斜面にスキー場があります。
▽打梨中学校小学校跡/広島県山県郡安芸太田町
打梨小学校は広島県山県郡安芸太田町(旧・戸河内町)にあった学校。1971(昭和46)年3月、戸河内小学校に統合され閉校。木造校舎と校門と石段が当時のまま残されています。石段を上がって左が中学校、向かいが小学校だったようです。傷みが進む打梨中学校。他にも教員住宅が残っています。昭和12年時点では約170名の生徒が通っていたそうです。打梨小学校のすぐ近くには立岩ダムがあります。
▽那須小学校跡/広島県山県郡安芸太田町
戸河内町立那須小学校は広島県山県郡安芸太田町(旧・戸河内町)にあった学校。打梨と同じく秘境の集落です。入母屋屋根の木造校舎が残り、現在は「那須ギャラリー」となっておりますが、この山奥の集落まで見に来る人は少ないと思われます。
開校は結構古く、明治24年3月に打梨尋常小学校那須文教場として開始されたそうです。
▽松原小学校小板分校跡/広島県山県郡安芸太田町
松原小学校小板分校は広島県山県郡安芸太田町にあった学校。1994年、本校の戸河内町立松原小学校が廃校になり、戸河内小学校に統合され閉校。木造平屋建て校舎が残っています。
▽雄河原小学校橋山分校跡/広島県山県郡北広島町
雄鹿原小学校橋山分校は広島県山県郡北広島町にあった学校。1874(明治7)年、橋山に明徳舎として創立。1892(明治25)年5月、雄鹿原小学校橋山分教室となりました。
1946(昭和21)年10月、橋山国民学校となり、1964(昭和39)年4月、雄鹿原小学校橋山分校と改称。1972(昭和47)年3月、雄鹿原小学校に統合され閉校。長い歳月を風雨に堪えた瓦屋根と板張りの壁は、何とも言えない渋い色合です。
入母屋風の平屋建て木造校舎が残り、現在は橋山老人集会所として利用されています。
▽雄河原小学校空城分校跡/広島県山県郡北広島町
広島県山県郡北広島町にあった学校。現在は「こぶしの里ふれあいセンター」として使われているようです。
1887年(明治20年)橋山簡易小学校として創立。1970年(昭和45年)雄鹿原小学校へ統合、閉校。統合時の生徒数は2名だったそうです。