Images of 屋上の狂人

1999年、主演舞台『蒲田行進曲』の作・演出のつかこうへいから「大天才」と評価された。同年から男性ベストジーニストに5年連続で選ばれ、殿堂入りを果たす。草彅は劇作家・演出家・直木賞作家のつかこうへいから「大天才」と評価されている日本映画magazine 2013、33頁 つかは草彅主演舞台『蒲田行進曲』の作・演出を務めており、本作の公演期間前に草彅について「俺の想像を超えてた あの子を待つためにこの20年近く、芝居をしなかったんだろうと思わせる」と発言しており、のちも「衝撃的だったね」と振り返っている。つか作・演出の『蒲田行進曲』について、つかは草彅がヤス役で主演したあとの作品において、草彅以外からヤス役の俳優を決めなくてはならない状況に際しての難航をその作品の日記(つかこうへい事務所公式サイトのコンテンツ)に書いており、さらに、以下のように記している。ヤス役の俳優が主演した作品も、「蒲田行進曲」のみがタイトルの作品も、草彅主演作が最後となった。草彅とつかがともに仕事をしたのは1999年・2000年の『蒲田行進曲』のみとなったが、つかは本作以外にも草彅主演作品の構想を述べてきており、つかが肺癌で闘病のすえ2010年に死去後は、つかと長年仕事をしていた制作スタッフがつかについて、「『もう一度草彅くんとやりたいな』といつも言ってらした それが叶わなかったのは残念だったんじゃないかなと思う」とコメントしている。演出家・脚本家・直木賞作家の松井今朝子は草彅について『蒲田行進曲』に主演したとき天才だと確信しており、草彅主演舞台『父帰る/屋上の狂人』(菊池寛の古典で前者「父帰る」は高松の、後者「屋上の狂人」は讃岐の方言を使った戯曲の作品)観劇後には「本当にふしぎなくらいピュアな役者」と形容し、そのことについて「たとえば梅沢昌代は巧い女優さんだけれど、舞台に立つとやはり女優がやっているようにしか見えないのに、草彅は舞台でただ座って新聞を読んでいるだけで、逆に明治の青年がそこにいるようにしか見えないのである これって本当にスゴイことだと思う 役者がだれでもそれを目指してほとんどができないことをすらっと出来てしまう 天才の天才たる所以だろう」と綴っている さらに、松井は本作の制作者が草彅にこの戯曲をもってきたことについてでも「今どき舞台でこんな芝居ができるのは、この人しかいないことを改めて知らしめたようにも思えるのだった」と記しているなお、草彅主演作の舞台はチケット入手困難と言われており、そのキャンセル待ちの行列ができる状態について松井は異常な事態と形容している。。つかこうへいは、小西真奈美所属の事務所の社長が小西に抱く願望をつかに伝え、つかのもとに小西を連れて来た際に、つかが小西の相手役の能力次第という旨を説いたこと、および、その後に決定した草彅主演『蒲田行進曲』に小西出演のことを振り返って、「相手役は、天才・草彅剛君でした」と記し、草彅による小西への影響について「真実の天才は、相手役を成長させ、明日を予感させてくれます」と書いている。広末涼子は草彅について「『蒲田行進曲』を観て、二度も行ってしまいました」と述べており、「草彅さんのは全部行かせていただいてます」「大好きで」と発言している。