Images of 攻撃斜面
![[コウモリの棲家の陣地と猫マンション]海軍は足摺岬同様(http://4travel.jp/travelogue/11081750)、室戸岬にも複数の電波探信儀見張所(レーダー基地)を設営していた。昭和16年末から大阪海軍警備隊によって複数の電探施設が建設され、翌年から紀伊防備隊によって運用されていた。足摺岬の基地のような、複数のきれいな状態のレーダーの台座基礎は、室戸スカイライン造成や各種電波塔建設時に破壊され、残っていないが、工事が中断されたレーダーの基礎の一部や隧道跡、機銃陣地が現存する他、出入り口が二ヶ所ある地下陣地がきれいな状態で残っている。一方、室戸岬山頂展望台(津呂山)の駐車場隅のゴミ置場跡のような箇所には、何段にも積まれ、マンション化した猫ハウスがあり、高知県随一の野良猫スポットとなっている。地下陣地は南北に走る素掘り隧道と東西の隧道を地下広間で結ぶような形状で、広間には沢山のコウモリが棲息しており、地面にはグアノ(コウモリの糞)が堆積している。隧道入口は室戸スカイライン沿いの四国霊場第24番札所・最御崎寺駐車場の東方、寺田寅彦先祖住職墓所案内板のやや手前。山中に鳥居が見えると思うが、その東側に南北に走る隧道入口がある。因みに、二つ目の駐車場の斜め向かい辺りの斜面に、狭い擁壁のような不自然なコンクリート壁があるが、これも隧道跡だと思われる。隧道に入って数十メートル行った突き当たりには広間があり、天井一面にコウモリが張り付いている。そこで隧道は直角に向きを変え、東に向うが出口までずっと上り坂になっている。東進の隧道も長さは南北の隧道と同じ位で、出口は寺田寅彦先祖住職墓所の谷(涸れ谷)を挟んだ西の斜面に開口している。この陣地は恐らく、上陸してきた敵軍を南北の隧道から広間に誘い込み、東西の隧道から攻撃するようにしていたのではないだろうか。涸れ谷は軍道としても利用されていたようで、登りつめた丘には室戸岬測候所、西方には無線方位信号所がある。この丘の地形はそれらの造成で原形を留めていないが、位置的にここにも何らかの軍の施設があったことだろう。無線方位信号所の西には隧道入口近くにあった鳥居の神社(祠)がある。そこから尾根を下ってみたが、特に壕跡はなかったため、北の谷状地形を下ってみた。ある程度下った所に海軍のものと思しき井戸があった。次は車でスカイラインを北上して行き、夕陽ヶ丘キャンプ場分岐に駐車した。その南の藪尾根には、建設途中で終戦を迎え、そのままになったと思われるレーダー基礎支柱が八基、八角形の形に置かれており、その西の窪地には、スカイライン造成時に破壊されたレーダー関連施設の基礎の残骸が放置されたままになっている。キャンプ場分岐東下には二棟の兵舎基礎がある。キャンプ場への道路を少し進んだ所の谷から斜面を上がると、西に小径が続いており、数基の巨大な素掘り居住隧道跡が並んでいた。隧道は皆、入口諸共崩落しているが、この崩れ方からすると終戦時、GHQが来る前に軍の資料を隧道に入れて燃やし、その後爆破した可能性がある。小径(軍道)を西から北に進んで行くと、スカイラインからキャンプ場に下る階段道に出た。これを上って途中から南の尾根に乗り、登っていくと段になった箇所があり、その段上西端には海軍の境界標柱があった。そこからスカイラインに上がる。その南方の三叉路奥には高知県一有名な廃墟「スカイレスト・ニュー室戸」がある。その西には国交省室戸岬中継所があり、南にはドコモの無線中継所があるが、その尾根にL字型塹壕や海軍境界標がある。ニュー室戸裏手にはNHK中継放送所があり、その尾根の下方には直径3mほどの擂鉢状の機銃陣地がある。大きさは足摺岬のもの程度だが、銃弾置き場は素掘り。北東上にあるRKCテレビ中継放送所の南東には直径4mほどの機銃陣地があり、そこから中継放送所北側に回りこんだ所には短い塹壕が残っている。その後、室戸岬山頂展望台で景色を堪能した後、駐車場で野良猫と戯れ、スカイラインを引き返して行った。](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/11/12/40/650x_11124012.jpg?updated_at=1461325476)
[コウモリの棲家の陣地と猫マンション]
海軍は足摺岬同様(http://4travel.jp/travelogue/11081750)、室戸岬にも複数の電波探信儀見張所(レーダー基地)を設営していた。昭和16年末から大阪海軍警備隊によって複数の電探施設が建設され、翌年から紀伊防備隊によって運用されていた。
足摺岬の基地のような、複数のきれいな状態のレーダーの台座基礎は、室戸スカイライン造成や各種電波塔建設時に破壊され、残っていないが、工事が中断されたレーダーの基礎の一部や隧道跡、機銃陣地が現存する他、出入り口が二ヶ所ある地下陣地がきれいな状態で残っている。
一方、室戸岬山頂展望台(津呂山)の駐車場隅のゴミ置場跡のような箇所には、何段にも積まれ、マンション化した猫ハウスがあり、高知県随一の野良猫スポットとなっている。
地下陣地は南北に走る素掘り隧道と東西の隧道を地下広間で結ぶような形状で、広間には沢山のコウモリが棲息しており、地面にはグアノ(コウモリの糞)が堆積している。
隧道入口は室戸スカイライン沿いの四国霊場第24番札所・最御崎寺駐車場の東方、寺田寅彦先祖住職墓所案内板のやや手前。山中に鳥居が見えると思うが、その東側に南北に走る隧道入口がある。因みに、二つ目の駐車場の斜め向かい辺りの斜面に、狭い擁壁のような不自然なコンクリート壁があるが、これも隧道跡だと思われる。
隧道に入って数十メートル行った突き当たりには広間があり、天井一面にコウモリが張り付いている。そこで隧道は直角に向きを変え、東に向うが出口までずっと上り坂になっている。
東進の隧道も長さは南北の隧道と同じ位で、出口は寺田寅彦先祖住職墓所の谷(涸れ谷)を挟んだ西の斜面に開口している。
この陣地は恐らく、上陸してきた敵軍を南北の隧道から広間に誘い込み、東西の隧道から攻撃するようにしていたのではないだろうか。
涸れ谷は軍道としても利用されていたようで、登りつめた丘には室戸岬測候所、西方には無線方位信号所がある。この丘の地形はそれらの造成で原形を留めていないが、位置的にここにも何らかの軍の施設があったことだろう。
無線方位信号所の西には隧道入口近くにあった鳥居の神社(祠)がある。そこから尾根を下ってみたが、特に壕跡はなかったため、北の谷状地形を下ってみた。ある程度下った所に海軍のものと思しき井戸があった。
次は車でスカイラインを北上して行き、夕陽ヶ丘キャンプ場分岐に駐車した。
その南の藪尾根には、建設途中で終戦を迎え、そのままになったと思われるレーダー基礎支柱が八基、八角形の形に置かれており、その西の窪地には、スカイライン造成時に破壊されたレーダー関連施設の基礎の残骸が放置されたままになっている。
キャンプ場分岐東下には二棟の兵舎基礎がある。キャンプ場への道路を少し進んだ所の谷から斜面を上がると、西に小径が続いており、数基の巨大な素掘り居住隧道跡が並んでいた。隧道は皆、入口諸共崩落しているが、この崩れ方からすると終戦時、GHQが来る前に軍の資料を隧道に入れて燃やし、その後爆破した可能性がある。
小径(軍道)を西から北に進んで行くと、スカイラインからキャンプ場に下る階段道に出た。これを上って途中から南の尾根に乗り、登っていくと段になった箇所があり、その段上西端には海軍の境界標柱があった。そこからスカイラインに上がる。
その南方の三叉路奥には高知県一有名な廃墟「スカイレスト・ニュー室戸」がある。その西には国交省室戸岬中継所があり、南にはドコモの無線中継所があるが、その尾根にL字型塹壕や海軍境界標がある。
ニュー室戸裏手にはNHK中継放送所があり、その尾根の下方には直径3mほどの擂鉢状の機銃陣地がある。大きさは足摺岬のもの程度だが、銃弾置き場は素掘り。
北東上にあるRKCテレビ中継放送所の南東には直径4mほどの機銃陣地があり、そこから中継放送所北側に回りこんだ所には短い塹壕が残っている。
その後、室戸岬山頂展望台で景色を堪能した後、駐車場で野良猫と戯れ、スカイラインを引き返して行った。