Images of 新ベオグラード宣言
ベオグラード観光を終えてコソボのプリシュティナにバスで向かいます。
コソボは旧ユーゴスラビア時代はセルビアの自治州のひとつでした。
2008年に独立宣言をして欧州で一番新しい国となりました。しかし国連加盟国の中でコソボを国と承認しているのは日本を含め6割り程度、他の国はセルビアの領土の一部とみなしています。
コソボと聞いてまず思い浮かぶのがコソボ紛争です。各メディアで取り上げられていたので記憶に新しく、その生々しい光景がまだ目に焼きついています。
近年治安が落ち着き北部を除き危険情報を解除した事もあり、周辺国も含めてバスで周遊することにしました。
しかしルートを決める上で大きな問題がありました。セルビアがコソボを自国とみなしているので、セルビアからコソボへは行けますが、その反対はセルビアに入国拒否にあうようです。
面倒なことは避けたいので、セルビア、コソボ、マケドニアという順番で訪問することにしました。
セルビアからコソボ行きのバスは20名ほどのバンで、所要時間は6時間です。コソボの首都プリシュティナに着いてまず驚かされたのは、アメリカの元大統領ビル・クリントンの名前を冠した大通りがあり、彼の銅像の横で星条旗がたなびいていた事です。独立を支援してくれたアメリカと当時の大統領に感謝し、かなりの親米家のようです。
またマザー・テレサは隣国のマケドニア生まれのアルバニア人です。コソボ人口の9割がアルバニア人ということもあり、町の中心には彼女の銅像も建ち、マザー・テレサ大聖堂もありました。
街の人はフレンドリーで、よく声をかけられました。小学校高学年くらいの兄弟が持っていたガイドブックを覗き込んで「連れて行ってあげる」と街を案内してくれました。公用語はアルバニア語とセルビア語なので、身振り手振りで意思疎通を図ります。市内の見所は彼らの案内でほとんど徒歩で回ることが出来ました。
もっと紛争の爪あとが残っているのかと思いましたが、微塵も感じることはありませんでした。
コソボは大半がムスリムで、プリシュティナにはオスマン朝時代のイスラム建築が残っています。また社会主義時代に建てられた斬新的なデザインの「若さとスポーツの宮殿」が目を引きます。イスラム寺院、キリスト大聖堂に加えて、社会主義時代の面影が残る町並みや近代的な建物が混在し、市場には物が溢れていました。予想に反して町全体が明るく、活気に満ちていました。
【行程】
行きはANA特典のCクラス、帰りは3月のコーカサスの残りのカタール航空です。
5/4 NH203 HND FRA 00:10 05:20
OS134 FRS VIE 10:50 12:10
OS773 VIE BEG 13:05 14:10
5/6 QR306 SKP DOH 12:45 18:40
5/7 QR806 DOH NRT 02:20 18:40
【レート】
1RSD(セルビア ディナル)=1.2円(クレカ)
1MKD(マケドニア ディナルナール)=2.2円(クレカ)
コソボは手持ちユーロ。
【宿】個室、シャワー付きBooking.com
プレイホステル(ベオグラード) プレイホステル25.5ユーロ(3630円)
モーテルビレッジ(スコピエ)15ユーロ(2026円)
ベオグラード
https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/11372720/
プリシュティナ←ここの旅行記
https://4travel.jp/travelogue/11374721/
スコピエ
https://4travel.jp/travelogue/11377367
11月7日14:10にマケドニアの首都、スコピエ鉄道駅前のバスステーションに着いた。マケドニアという国名は、有名なアレクサンダー大王のマケドニア王国の名に由来する「この地方の名前」。東ローマ帝国、ブルガリア帝国、セルビア王国、オスマン帝国、ブルガリア、セルビア(ユーゴスラビア王国)らの支配を受けた後1991年のユーゴスラビア解体に伴いマケドニア共和国を名乗って独立宣言。マケドニアの名前についてはマケドニア地方を有するギリシャが反発し一時経済封鎖をされたり、1999年にはコソボ紛争で50万人のアルバニア難民が流入したりして不安定な時期が続いたが現在は安定している。
23:30発ベオグラード行き夜行バスチケットを22ユーロ・3300円で買った。大きな荷物はバス会社が預かってくれたのですぐに街の観光へ。地図を見ながら旧鉄道駅だったスコピエ博物館を目指して歩くが、どんどん辺鄙なほうに向かっている。どうもおかしいと思って女性の2人連れに尋ねると、全く反対方向に来ているとのこと。2人は近くまで案内してくれると言う。鉄道駅に戻り、ヴァルダル川沿いを歩き、マケドニア広場の旧鉄道駅が見える場所まで案内してくれた。親切な人に出会って助かった。
スコピエ博物館は1963年の大地震で半壊した旧鉄道駅を利用したもので、スコピエで発掘された古い貨幣、彫刻やマケドニアの民族衣装などを展示している。
繁華街沿いにはマケドニア・スコピエで生まれ18歳まで育ったマザー・テレサ像がある。マザー・テレサ、本名アグネス・ゴンジャ・ボヤジュ(1910−1997)の父はスコピエに住むアルバニア人実業家。マザー・テレサは1931年からカトリック教会の修道女としてインドのダージリンやカルカッタで最下層の人達を救済した。この活動は世界中の人たちに感動を与え、、1979年のノーベル平和賞はじめ数々の受賞をして、2003年には死後6年目という異例の早さでの列福され聖女となっている。スコピエの地は素晴らしい人を生み出したものだ。
オスマン朝時代の石橋を渡ると城塞や1492年建造のイスラム寺院、ムスタファ・パシナ・ジャミヤなどがある。マケドニア広場の近くには大きなショッピング・センターがあり、そこで買い物、休養をした。23:30発の夜行バスは深夜0:40にセルビア国境に着いたが、審査は簡単で10分で済み、11月8日午前6時にベオグラードに着いた。
(マケドニアの費用)
宿泊費;600デナル・1560円x2=3120円
移動費;オフリドセンターからホテルまでのタクシー100デナル・260円、ホテルからバスセンターまでのタクシー70デナル・180円、オフリド−スコピエまでのバス420デナル・1100円、スコピエ−ベオグラードまでのバス22ユーロ・3300円 計4840円
食費;3130円
観光;ガイド1000デナル・2600円、大聖堂100デナル・260円 計2860円
雑費;2610円
合計;16560円
(写真はマケドニア・スコピエで生まれ18歳まで育ったマザー・テレサ像)