Images of 毛利両川
NHK大河ドラマ軍師官兵衛にちなみ、小早川隆景麾下、浦宗勝率いる毛利水軍を奇策をもって破り、官兵衛その人を一躍歴史の表舞台に押上げた合戦の地、姫路の英賀を訪れてみました。
写真は、英賀城址公園にある天守台風の石積みです。
これまで行った関連旅行記です。
第一編 広峯神社と御師屋敷跡
http://4travel.jp/travelogue/10845071
第二編 加古川(正室 光(てる)姫(幸圓)の故郷)
http://4travel.jp/travelogue/10852251
第三編 英賀(毛利水軍との合戦の地)&亀山本坊本徳寺
http://4travel.jp/travelogue/10865294
第四編 姫路文学館「播磨灘物語」展と姫路城
http://4travel.jp/travelogue/10866914
第五編 西播磨 佐用の三城(上月城、福原城、利神城)と飛龍の滝
http://4travel.jp/travelogue/10871054
第六編 書写山 圓教寺
http://4travel.jp/travelogue/10878436
第七編 妻鹿 国府山城、御着(姫路埋蔵文化財センター)
http://4travel.jp/travelogue/10867385
第八編 三木城址と秀吉本陣、平井山付城跡
http://4travel.jp/travelogue/10879951
第九編 備中高松城と庭瀬城(境目七城)
http://4travel.jp/travelogue/10888291
第十編 黒田家中興の地、備前福岡
http://4travel.jp/travelogue/10891040
第十一編 北近江 長浜
http://4travel.jp/travelogue/10904386
天正5年5月、毛利両川の一翼、小早川隆景麾下、浦宗勝率いる毛利水軍が突如姫路の南西、英賀の浦に約5千の兵で上陸、これに対し官兵衛麾下の黒田勢は僅かに1千足らずなるも、夕刻に上陸した毛利勢に対し翌早暁に急襲、寡兵の黒田方は篭城との油断と船旅の疲れで毛利勢は一時混乱状態となるも、名将浦宗勝、敵は寡兵と見抜き反攻に出ようと体制を立直しつつありました。その時、日の出と共に黒田勢の後方に突如現れたおびただしい旗や歓声、これを播磨方の後詰とみて毛利方は総崩れ、海路敗走となり、黒田勢の勝利となりました。この戦でキーとなった黒田方の後詰を装った地元の民、百姓、このような場に民、百姓の救援が得られるところなど、官兵衛の治世の妙が現れたでしょうか。いずれにしろ播磨の一豪族の家臣に過ぎない官兵衛が西国の雄、毛利を破ったという事実、姫路に知将有り、これは当時大きな衝撃となって伝わり、播磨に名将あり、官兵衛の名が世に知らしめられた瞬間だったのではないでしょうか。
前置きが長くなってしまいましたが、こういった歴史の舞台となった英賀という地を訪れてみました。また、今回は英賀に関連してJR姫路駅の南、山陽電車の亀山駅すぐにある亀山御坊本徳寺も合わせて訪れてみました。
今回英賀を訪れてみて感じたのですが、海岸沿いは埋め立てが進んで工業地帯となっており、当時の英賀の浦を忍ばせるような場所はどうにも見つけ出すことは困難、すると英賀の戦の際、毛利方についた三木氏の英賀城跡が公園となっており、先ずはこの英賀城跡から訪れてみることにしました。すると、この英賀には播磨における一向宗門徒の拠点、英賀本徳寺が存在し、三木氏と一向宗との繋がり、そして一向宗の本拠地である顕如の石山本願寺と毛利による信長包囲網など、様々な接点上にこの地があるとうことが見えてきました。毛利水軍による天正4年の石山本願寺への兵糧の搬入をめぐる木津川口の戦にもこの英賀が密接に絡んでおり、10年におよぶ織豊との対峙の末の和睦、英賀城落城後の英賀本徳寺の亀山への移転、これにより現在の亀山御坊本徳寺が成立、更に顕如没後、本願寺を継いだ准如、そして教如による東西本願寺の分離、これがこの播磨、姫路の地にも影響を与えていたなど、とても興味深いことを今回学ぶことができました。
また、地元のグルメ? 姫路でありながら結構本格的な博多風とんこつラーメンが味わえる店、元祖長浜ラーメン「金豚」にもよってみました。