Images of 浅沓
旅の行程
11月 3日 宇津ノ谷、東海道 岡部宿、花沢の里
11月 4日 蓬莱橋、東海道 島田宿 大井川川越遺跡、東海道 日坂宿、遠州森町
11月 5日 遠州横須賀、東海道 白須賀宿
静岡市駿河区宇津ノ谷は、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原攻めの際に大規模に道路整備されるほどの交通の要衝で、東海道五十三次の丸子宿と岡部宿の間に位置する、標高170mの宇津ノ谷峠の山腹にある静かな集落です。
律令時代にはすでに整備されていた東海道は、時代と共にその道筋が変更され、奈良時代から平安時代中期までは花沢から「焼津辺(やきつべ)の小径」を通って急峻な日本坂峠を越えていましたが、平安時代中期以降、戦国時代までは「葛の細道」と呼ばれる道筋になり、さらに、豊臣秀吉による小田原攻め以降、江戸時代に入ると現在の国道1号線と符合する宇津ノ谷峠を越える道筋が開かれ、これが東海道として一般に定着します。
かつて旅人たちが行き交った宇津ノ谷集落には、十団子や田楽などを提供する茶屋でしばしの休息を楽しむ旅人たちをもてなしていた頃の、温もりのある、ゆったりとした時間が流れています。
現在、殆どの民家は改築や建替えされていますが、峠への坂道に沿って、江戸時代の屋号を書いた看板を軒先に掲げた民家が連なる町並みは、三度笠に道中合羽を羽織った旅人が歩いていても全く違和感がなく、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような、不思議な感覚に陥ってしまいます。
そんな町並みの中の「御羽織屋」には、小田原攻めの豊臣秀吉の勝利を祈願して、新しい馬の沓を差し出した主人の行為に痛く感じ入った秀吉が、戦の帰路この茶屋に立ち寄り、褒美にと愛用の陣羽織を授け、茶を一杯飲みほしたとの逸話が残っています。
この話には後日談があって、後に「御羽織屋」に立ち寄った徳川家康が、この陣羽織を見て記念に茶碗を贈ったとのことで、豊臣秀吉からつかわされた陣羽織と、徳川家康から贈られた茶碗が、今も大切に所蔵されています。