Images of 知藩事
兵庫県東部の山間を東西に流れる、籾井川南岸に位置する篠山市福住(ふくすみ)は、京都丹波口から亀岡を経て篠山城下へ至る西京街道(但馬国へ至る丹波街道と同じ街道の別称)沿いの、亀山藩との国境近くにあったことから、篠山藩や柏原藩の参勤交代時の宿場町として整備され、格式の高い本陣や脇本陣が置かれていました。
明治維新とともに宿駅制度が廃止され、鉄道や道路網の整備が進行する中、明治32年に京都〜福知山を結ぶ鉄道が開通したことにより、宿場町としての福住の重要性は薄れ、徐々に旅籠や商店が廃業していきます。
その後は農業を中心とした農村集落としての性格を強めていきますが、昭和47年に篠山口と福住を結んでいた国鉄篠山線が廃線となったことから、益々福住の発展が阻害されることになってしまいます。
こんな時代背景が幸いしたことや、近年、国道372号線が町並みの北側にバイパスとして整備された結果、宿場町の風情を湛える、魅力的な町並が残されています。
町並みを構成する町家は、切り妻屋根の中2階建ての妻面に重厚な軒庇を付け、一見入り母屋造りに見えるこの地方独特のたたずまいが大きな特徴となっています。
では、町並みの中にある篠山市役所多紀支所の駐車場に車を停めさせてもらって、西の方から町歩きを始めます。
⬆︎ Top