Images of 膠州湾

昔の搭乗記で恐縮ですが、旅ログとしてpostさせていただきます。
初の中国・青島訪問です。
初めての社会主義国家への訪問で、出発前、訪問中も漠然とした緊張感の漂う旅だったことを思い出します。
入国には当時はまだビザが必要でした。
パスポート1ページまるまる使った大判のステッカータイプのマルチプルビザでした。
中国入国の第一歩は山東省青島。
上空から見た茶色く濁った膠州湾と流亭空港の古びたターミナルビル(新ターミナル開業前)から受ける少しうらぶれた印象と、青島市内の高層ビル群と香港中路の賑わいから受ける近代社会の印象とのギャップを感じた、中国への始めの一歩でした。
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https://flyteam.jp/airline/jal/review/15650
大いなる国への小さな第一歩。初の中国 ①/③

膠州路は上海市の静安区と普陀区を跨る1本の南北に向う道です。南は愚園路を起点に、北は長寿路に達します。長い1868m、幅は12.5m〜18.3mまであります。昔からの路で膠州路の沿道は南端に住宅地区があり、北へ行くに従がって労働者の工場地区になります。有名な住宅が膠州路260弄ある、膠州路522弄の龍コン氏の住宅、膠州路561号など。1930年代、米国の耶蘇会は康定路の交差点に金科中学(高校)を創設します。1935年、公共の租界は膠州路とシンガポール路(今余姚路)の交差点に40ムーの膠州公園を建設しました。体育活動を支援しました。1937年の淞濾の会戦の中で西蔵路橋の袂の四行倉庫を謝普元将軍は孤軍奮闘し日本軍を撤退させます。抗日戦争後の国民政府は膠州公園を晋元公園に改名します。1949年以後に静安区工人体育場に変えて、北部は江寧映画館を建設します。
上海優秀歴史建築。
第4回 司米托莫銀行 上海対外経済研究中心/全球経済発展中心
静安区膠州路510号
第4回 氏花園住宅 宝鋼老干部活動中心 静安区膠州路522号
第4回 上海市政委員会電力部住宅 上海古典建筑装飾工程一公司
静安区膠州路561号
第4回 上海市科学館 業余大学 静安区膠州路601号