Images of 阿育王寺
王仁(わに・おうじん、生没年不詳)は4世紀末に百済(くだら・ペクジェ、B.C.18−A.D.660)から日本に渡来し「論語」10巻と「千字文(せんじもん)」を伝えたとされる。千字文は、子供に漢字を教えるために南朝・梁(502−549年)の武帝が作らせたと言われる1000の異なった漢字を用いた漢文の長詩。「古事記」には、和邇吉師(王仁)が応神天皇の統治時代(270−310年)に千字文と論語を伝えたとされており、千字文が成立する500年代以前に千字文が伝わったという矛盾がある。この矛盾については、古事記の記事が伝説で不正確であるとの説、別の千字の文が伝えられたという説などがある。「日本書紀」でも王仁は阿直岐(あちき)という学者の推薦を受け、応神(おうじん)天皇の招聘で渡来し、後に日本に帰化した学者であるとされている。
「古事記」「日本書紀」の記載年代の謎はあるが、王仁の功績に疑いは無く、漢字・学問・書物を初めて伝えた人物として日本の学問の祖「王仁博士(わにはかせ)」として尊敬されている。1938年大阪府指定史跡の枚方市の「伝王仁墓(でん わにぼ)」には1999年には韓国の金鐘泌総理も墓参、2006年10月に韓日文化親善協会によって百済門が建てられ、さらに墓所の環境が充実した日朝韓交流の史跡になっている。
「伝王仁墓(でん わにぼ)」と同じ枚方市にある百済寺跡は「百済寺跡の松風」として枚方八景の一つに指定され、大阪府下では大阪城とともに国の特別史跡にも指定されている。
奈良の東大寺大仏建立に際し、百済王(くだらのこにきし)の末裔である敬福(きょうふく)は749年、任地の陸奥の国(東北地方)から黄金900両を献上、その功により渡来氏族としては最高の従三位、宮内卿兼河内守に任ぜられ、750年に氏寺として百済寺、氏神として百済王神社を建立したと伝えられている。
百済寺跡の七堂伽藍の配置は日本では他に例が無く、新羅の寺院建築様式の影響と言われている。現在は建物の礎石と石段が残るのみだ。
百済寺跡の西隣に、百済王神(くだらおうかみ)とスサノオノミコト(牛頭天王)を祭神として祭る百済王神社(くだらおうじんじゃ)がある。百済寺は鎌倉時代に焼失し廃寺となったが、百済王神社は枚方(ひらかた)の中宮(なかみや)一円の氏神として存続している。本殿は、1828年に奈良・春日神社の社殿を譲り受けて移設してきたもの。石の鳥居や、石灯籠、狛犬なども江戸時代中期以降のもの。
百済王敬福は660年に新羅・唐連合軍によって滅亡させられた百済の第31代・義慈王(ぎじおう)の子孫。百済再興のために660年10月、百済王族の佐平・鬼室福信(きしつふくしん)が、倭国(日本)にいた百済の王子・豊璋(ほうしょう)の帰還と援軍を要請、661年9月、豊璋に5千の兵をつけて百済に帰還させた。
だが倭の水軍は、劉仁軌(りゅうじんき)の率いる唐の水軍と錦江の白村江で戦うが大敗し、百済の再興の夢は適わなかった。
百済滅亡前後に義慈王の子で豊璋の弟・禅広(ぜんこう)が来日していたが、白村江の戦い(はくすきのえのたたかい663年)に敗れ百済復興の夢が消えたため亡命、持統天皇(645−703年)は禅広に百済王(くだらのこにきし)の姓(かばね)を与え高級官吏として重用した。禅広の子・昌成(しょうせい)、孫・郎虞(ろうぐー737年)、ひ孫敬福(697−766年)と高級官吏を務めた。
枚方(ひらかた)の中宮(なかみや)を本拠とする百済王氏は、奈良時代末期から平安時代にかけて繁栄を続け、百済の武寧王(ぶねいおう462−523年)の子孫である高野新笠(たかののにいがさ、生年不詳−790。光仁天皇こうにんてんのう709−782年の大夫人)を母とする桓武天皇(737−806年)は、敬福の娘や孫にあたる百済王氏の女性を四人も妃にし、しばしば交野の山野で狩りを楽んだという。百済王氏一族は嵯峨天皇(さがてんのう786−842年)、仁明天皇(にんみょうてんのう810−850年)とも婚姻関係を結び、平安時代中期まで中級貴族として存続した。百済と倭国の関係は日本と朝鮮半島との歴史の中で最も親密な時期であり、この時代に天皇家と百済王家との深い結びつきも築かれた。
百済と倭国の蜜月時代の後、豊臣秀吉(1537−1598年)の文禄・慶長の役(1592−1598年)、日韓併合(にっかんへいごう1910−1945年)など日本の侵略によって朝鮮半島との関係は不幸な時期が多かった。
近年、2003年に放映された『冬のソナタ』を発端に韓国ドラマが人気沸騰し、映画、ドラマを共同制作するなど韓流ブームが続き日韓両国の距離は近くなってきている。
2004年製作、井筒和幸監督、好演が注目された:沢尻エリカ主演の「パッチギ」では1968年の京都での日本人の少年と在日朝鮮人の少女との許されない恋を描いている。映画で「日本人が住む鴨川の東岸とコリア・タウンがある西岸は世界が違う」と言い争いが絶えなかったコリア・タウン近くの鴨川河畔に行ってみた。
塩谷瞬演じる松山康介と沢尻エリカ 演じるリ・キョンジャがデートをしていた鴨川堤防は1960年代とあまり変わっていないように思えた。だが、偏見や文化の違いで相容れることがまだ難しかった1960年代と違い、近年は日朝韓の国際結婚も珍しくなくなっている。
今後、百済と倭国のように日本が漢字、仏教、農工業技術など大陸文化の伝達を感謝し、尊敬することで築いた強い信頼関係にさらに近づくことを願っている。
(写真は伝王仁墓の百済門)