Images of 1959年のチベット蜂起
1/72 1745年 ジャコバイト蜂起: チャールズ・ ステュアート & スコットランド騎兵 (兵士/馬各12体・12ポーズ)1/72 1745年 ジャコバイト蜂起: チャールズ・ ステュアート & スコットランド騎兵 (兵士/馬各12体・12ポーズ)
北海岸グレートハウスツアーの2日目、11時にオーチョリオス(Ocho Rios)のホテルを出発、北沿岸ハイウェイ(Northern Coastal Highway)をセントアンズベイ(St Ann's Bay)まで走ると、そこから南に向かって山を登る。12時過ぎ、このツアー、2つ目のグレートハウスで、最後の目的地のゲデスグレートハウス(Geddes Great House)に到着。
海抜約600mの山の上に建つこの邸宅は1755年頃に建てられたもの。ここを拓いたのはスコットランド(Scotland)出身のジェームズ・ローズ(James Rose)。1945年のジャコバイト蜂起(Jacobite rising of 1745)のメンバーでもあった彼は、牛とピメント(Pimento)のプランテーションをここで始め、スコットランドのクランローズ(Clan Rose)族の族長の息子だった彼は、故郷の荘園の名前を取ってゲデスエステート(Geddes Estate)と名付けた。
その後、1809年にジェームズの孫であるサミュエル・ホワイトホーン・ローズ(Samuel Whitehorne Rose)に引き継がれたが、1823年に妻のメアリー(Mary)の実家のパーク(Parke)家に近い農園に引っ越し、トーマス・ジョブソン(Thomas Jobson)にこのプランテーションを売却した。メアリーは奴隷たちの扱いがとても良かったようで、1833年の奴隷制度廃止以降、引っ越した彼女のところに野菜や果物を持ってかつての奴隷たちがよく訪ねて来、1876年の彼女のお葬式には多くの元奴隷とその家族が参列したと云う。奴隷制廃止の頃、多くのグレートハウスが焼き討ちにあってるが、焼き討ちされるかどうかは日頃の行いに依ったそうで、ここが焼き討ちされなかったのは、メアリーさんの人柄に依るのかもしれない。
イギリスのダラム(Durham)からジャマイカに出てきたばかりのイギリス人のトーマス・ジョブソンは、この邸宅に住み、奴隷制度廃止の年の1833年には23人の奴隷と100頭の牛を持っていた。彼は他の農園にも25人の奴隷と132頭の牛を持っており、1840年に2つの農園は合計1258エーカーあった。1900年頃に、そのもう一つの農園は売却されたがこの農園は1960年代までジョブソン家の農園であった。
1962年、トーマスの孫の孫のウィンチェスター・ジョブソン(Winchester Jobson)が亡くなり、ここはバーネット・ウェブスター(Burnett Webster)のものとなった。彼が購入した時には邸宅はハリケーンにより被害を受け、元々の18世紀の建物の一部しか残っていなかったそうだ。しかし、裕福な相続人であり、彼自身も才能あるインテリアデザイナーだったバーネット・ウェブスターは、この邸宅を修復し、さらに増築し、週末には頻繁にパーティーを開いていた。しかし、やがて彼は闘病生活に入り、その間、1988年にハリケーンギルバート(Hurricane Gilbert)で屋敷は大きな被害を受けた。
92年に彼が亡くなると、ここを相続した甥たちはここの売却を決め、パーキンソン・ラッセル(Parkinson Russell)が新しいオーナーとなった。彼の手によって邸宅の改修が行われ、彼もここで多くのパーティーや週末の滞在を楽しんだ。
2004年、ここは新たにスコットランド評議会メンバーのイアン・マッケイ(Ian McKay)のものとなる。彼はイギリスに住み、年に2か月だけここで過ごしたそうだが、テニスコートや2ベッドルームコテージを増築した。彼がオーナーの時代、年に2か月しか一家がいないので、敷地内に無断で住み着いた人々がいたそうだが、次のオーナーに引き継がれた時に、政府に乗り出してもらい、出て行ってもらったそうだ。詳しくは知らないが、ジャマイカでは50年(?)住み続けると、法的にその土地の持ち主になるらしい。
2012年、今のオーナーであるサラ・ルーカス(Sarah Lucas)の夫のイギリスのウェールズ出身の引退したビジネスマンのグラハム・ルーカス(Graham Lucas)がこの家を購入したが、わずか6ヶ月で妻と娘のアレクサンドラ(Alexandra)を残してこの世を去った。残された二人はここに住むと共にホテルとしてオープンすることにし、水回りを近代化し、部屋も増築して現在の形にした。700エーカーの敷地があり、グレートハウスは7エーカー(東京ドームの約2/3)の石灰岩の山の上に建てられている。山頂に建てられているので、四方の山並みを見通せる。とても素敵な眺め。星も綺麗だそうだ。
ウェルカムドリンクでの出迎え(表紙の写真)を受けた後、オーナーのサラさんと犬たちがグレートハウスを案内してくれる。ホテルとして開業しているので、どの部屋も綺麗。部屋数も多く、いろいろなタイプの部屋が揃っている。屋外プールもあり、プールの横には天文ドームがあり、星座の絵が飾られている。サラさんは黒人の方なのだが、イギリス人なので英語がきれい、と云うかドライバーさん曰くイギリス英語で、通常ジャマイカで話さされてるジャマイカ英語とは違い、私には分かりやすかった。この国に来て15か月経つが、パトワ語は全くで、その上未だにジャマイカ英語も分からん。
60年代から70年代に掛けて活躍したアメリカの兄弟バンド、オズモンド・ブラザーズ(The Osmond Brothers)の一員で、71年にソロの「ゴーアウェイリトルガール(Go Away Little Girl)」でビルボード(Billboard Hot 100)の1位のヒットも飛ばしたダニー・オズモンド(Donny Osmond)のゴールドディスクやシルバーディスクが飾られていたり、80年の映画、ブルースブラザース(The Blues Brothers)のジョン・ベルーシ(John Belushi)とダン・エイクロイド(Dan Aykroyd)の人形があったりするが、何につながりかの説明はなかった。
1時間足らず掛けて、ゆっくりと邸内を回った後、一休みの後は、料理コーナーの始まり。農園で採れた野菜や果物を自分たちで調理する。カボチャと青梗菜と人参の和え物(?)、アボカド、エスカロップ、ミニトマト、キューカンバなどのサラダ、レタス、パイナップル、キューカンバ、マンゴー、パンノキなどのサラダ。単に切るだけだけど、結構ヒマ掛った。で、2時過ぎてようやく昼食。メインのジャークチキン(Jerk Chicken)も出て来て、ようやく腹が満たされた。
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最後、みんなで記念撮影をして3時15分頃帰路に付く。帰りはモニーク(Moneague)へB11国道からA1国道で出て、ハイウェイ2000(Highway 2000)のT3高速に入り、5時には自宅に帰り着いた。ジャマイカのグレートハウスをようやく訪れることが出来て満足なツアーだった。
以上