Images of 1988年モナコグランプリ
一体何時の頃からかは知らないが、F1関係者の間では「モナコでの1勝は他のレースの3勝に値する」と言われている。
1988年のF1モナコグランプリ。2位に50秒近い大差をつけ独走するアイルトン・セナは、突然ポルティエで単独事故。レース後彼は「神を見た」と発言する。
昔からモナコグランプリに関する伝説は数多く語り継がれているものの、一体モナコグランプリは、何故にそこまでレーサーを魅了し特別な存在であるのか。それはただコースレイアウトがテクニカルであるとか、世界のセレブが集まる華やかな街を舞台であるとか、そんな単純な理由では説明できない何かがあるのではないか。今回の旅の最大の興味はそこにあった。このモナコ・グランプリ・ヒストリックは2年に1度だけ行なわれる上に今年はグランプリ開催100周年の記念の年。しかもF1モナコGPの1週間前に行なわれるこのイベントということで、行けばきっとなにかとてつもない神秘的な体験ができるだろうと密かな期待を抱いていた。
朝8時頃。駅につくと遠くの方からFJのエンジン音が聞こえてきた。思ったよりも人影が疎らでまだ麗しのモナコに着いたという実感はない。初日はラスカス、アントニーノーズ間と、カジノ前の二箇所の観客席を押さえてあったが、まずはパドックを取材することにした。
参加車が集うパドックは、F1のピットではなくレストラン・ラスカスから海の方に突き出た堤防に設けられていた。わたしはこれまでミッレミリアやモントレーヒストリックを見る機会が何度かあり、ちょっとやそっとのクルマが並んだくらいでは全く動じないつもりだったが今回ばかりは全く想像をはるかに超えていた。マセラティ250Fが5台、コンノートが6台、ERAが5台、アルファP3が3台・・・クルマ好きの方ならこれだけでもこのイベントの凄まじさをご理解いただけると思う。そこに集うクルマが一流なら、もちろんそれを駆る連中や整備する連中もこの世界の超一流の連中にちがいない。パドックに積み上げられた途方もない数のAVONのスペアタイヤやスペアパーツの数はとても素人の遊びの域を超越している。やはりモナコは特別だ。皆1929年から続く伝統を敬い、そしてこの歴史の一部になることを心より望み、この地に馳せ参じることを許された世界でも有数のエンスージアスト達。その一旦を垣間見た喜びと歴史の重みを感じ体の震えが止まらなくなった。まだイベントは始まってもいないというのに・・・
クルマにばかり気を取られていて全く気がつかなかったが、ふと振り返るとそこにはテレビや写真で見慣れた、白いクルーザーがびっしりと並ぶ紺碧の海の向うに林立する高層マンション群が。ここでようやくああ、ついにモナコに来たんだなという実感がわいてきた。ここはあの麗しのモナコ。ハリウッドからやってきた美しい王妃に愛された世界で最も美しく華やかな王国。
普通の人にしてみればただの急なカーブや長いだけの直線に見えるかもしれないが、クルマ好きにとってモナコの全てのカーブや直線は数々の名勝負を生んだ憧れの場所であり、名所旧跡を訪れるよりも刺激的な観光スポットだ。サンデボーテ、ボゥ・リヴァージュ、ミラボー・・・各コーナーに名づけられた美しい響きの名前を口に出すだけで何ともいえない興奮を得られるサーキットなんて他にあるだろうか。私は無謀にもこの全てを歩いてみようと思った。もちろんレース中のコースを横切ることは不可能なので、小さな観光地図と聞こえてくるエキゾーストサウンドと勘を頼りにまずはラスカスから丁度コースの反対側にあるローズヘアピンに行ってみることにした。
モナコのコースレイアウトは本やテレビで仕入れた知識で完全に頭に入っていたつもりだったが、やはり実際に見てみないとわからないことも沢山あるものだ。ラスカスは思ったよりも狭いと思ったし、ボゥ・リヴァージュの坂は想像以上の急坂だったし、また多重クラッシュの多いサンデボーテは案外広いように思えた。プールシケイン出口などはマシンが去った瞬間顔に何か小さなものがペシペシ当るのだ。最初気のせいかと思っていたがきっとそれはタイヤのカスであろう。
タバココーナーの観客席は、文字通り有名なタバコ屋の前に組み上げられており、モナコの観客席の中で最も視界が広い。私達は日曜の本戦をここで観戦した。ここではヌーベルシケインを立ち上がって、目の前のタバココーナーを駆け抜け、プールシケインの途中までマシンを目で追うことができるのだ。コースの向うには海、そしてずらりとクルーザーが並ぶあのおなじみの光景が広がっている。運がよければクルーザーの上で脱いだビキニをマシンやコースマーシャルに振るトップレスの女性だって見ることが出来る。またここはすぐ裏のタバコ屋で簡単な食べ物や冷たいビールをゲットでき、しかも清潔な水洗トイレにすぐアクセスできる唯一のスタンドでもある。われわれを含め多くの観客はレースに夢中で食事の時間すらもったいないといった感じで、シンプルながらなかなか美味しいパニーニをほおばりながらレースを観戦する人たちを沢山見受けることができた。サングラスと日焼け止めクリームを忘れなければ最高の場所だ。駅からも近いのも嬉しい。
坂道をいくつも登ったり下ったり、細い路地をいくつも抜け、ようやく着いたローズヘアピンからトンネル入口付近は完全に閉鎖されていて覗き見ることさえできなかった。おまけにコースマーシャルに「バスで来ればよかったのに」なんて言われる始末。強烈な日差しの下、折角ここまできたのに残念。でも後悔はない。だって、ここはモナコだもの。
サーキットを一回りした後、レッドブル片手に腰を落ち着けてのんびりレースを観戦することにした。遠くから爆音が近づくとともに鼓動も正比例に速くなる。蒼や紅の影が目の前を横切ったあと、海からの気持ちよい風にのってオイルやブレーキの匂いがふわりと漂ってくる。そして一瞬の静寂。77年前、1929年の第一回モナコグランプリを見た人たちはどのような気持ちでレースを見ていたのだろう。街の風景やコースレイアウトは当時とは少し変わってしまったが、五感を刺激するこの感覚は当時と変わらないであろう。
このイベントの醍醐味は、何と言っても歴史的なレーシングカーが当時のまま全力でサーキットを駆け抜ける姿を間近で見ることができることだろう。ここに集まったドライバーの腕前は並ではない。現代のF1ではオーバーテイクが無理だと言われているこのコースだが、戦前の小柄なマシンが狭いラスカスでサイド・バイ・サイドのバトルを繰り広げたり、ブラインドのタバコでFJがドリフトを決めたり、F1がプールシケインをアクセル踏みっぱなしで駆け抜けたり、フェラーリパレードの参加者達にいたってはトンネル内で300km/hで突っ走ったり、プロ顔負け、いや往年のレーサーたちの魂が宿ったかのような本気の走りをまる二日間も見ることが出来るイベントは他にあるだろうか。ドライバーたちもきっと当時のドライバーに成りきって走っているにちがいない。だって、ここはモナコだもの。
全開で貴重なマシンを走らせればそれだけマシンをクラッシュさせるリスクも高くなる。実際クラッシュは何度も目撃することになったが、それだけ参加者は真剣に走っているのだから見ている方も興奮しないわけはない。だんだんと陽がかたむきかけてきて、いつのまにか日差しも和らいできてもずっとずっとここでレースを見ていたかった。
夜の7時頃、ついに最後のスポーツカークラスが終ってしまった。祭りの後というのはいつも決って寂しいものだ。レースが終るとサーキットは元の生活道路に一瞬にして戻り、街にはそろそろ街灯に明りがともり普段通りの静かな夜となった。ついさっきまで歴史的なイベントが盛大に行なわれていたというのに。あれは幻だったのだろうか?頭の中は77年の歴史が凝縮されたこの2日間に起こった数え切れない出来事がグルグルしていてまったく整理がつかない。最後にツアーのみなさんと一緒にイタリアンレストランでパスタを食べたが、みな強烈な日差しの下、足が棒になるまで歩いたからかレースの余韻か口数は少なかった。レストランの壁に、控えめに一枚の写真が飾ってあった。まだデビューした当時のミカ・ハッキネンと、今私の前に大盛りのパスタを置いた店の主人が一緒に写っていた。いつか彼や現代のF1も過去の伝説となって、このイベントに出てくる日がくるかもしれない。その時、私はどんな気持ちでイベントを眺めているのだろう。そして今のF1を知らない後の世代は、クラシックとなった今のF1をどんな気持ちで眺めるのだろう。
もう、これ以上は多くを語るまい。どんな美辞麗句を並べようがモナコの魅力の100分の1さえも伝えられないもどかしさが残るだけだ。セナの言うほどの神秘体験はできなかったけど、このイベントの魅力を伝えるにはこの一言につきる。だって、モナコだもの。ここでは何が起こっても不思議ではない魅力に溢れた王国なのだ。