Images of ウクライナ東方カトリック教会
Ukrainian Catholic Archeparchy of Philadelphia Archeparchy of Philadelphia Ukrainian Catholic Church Our Cathedral (Philadelphia)
ガリラヤ湖ほとりにて・・ (´∀`*)【初代教会】について、前回はお話しましたが、【初代教会】は”ペンテコステ”(聖霊降臨)によって生まれ(実はその前から生まれていたが)【エルサレム教会】(主の12使徒達が中心、 リーダーは【使徒ペテロ】、使徒殉教後には ”イエス様の御兄弟で使徒の『ヤコブ』”さんが リーダーとなります。) 【主の兄弟ヤコブ】はユダヤの高名な歴史家「ヨセフス」の記事にも登場(主の兄弟ヤコブの殉教)する史的に存在が認められる人物と言えます。 【主の兄弟ヤコブ】は一説では【12使徒の一人・アルファイアの子ヤコブ】と同一視され、さらに【アルファイの子、タダイ【ユダ・タダイ】と兄弟であり、共に【主キリスト】の御家族だったという説があります。彼らは【イエス・キリスト】に風貌がとても似ていたという伝承があります。 BC48年頃まで、 【使徒ペテロ】の死後 【エルサレム教会】の初主教となり、リーダーとして活躍したらしい。 (父の名が違うので、異父兄という噂あり。マリヤはヨセフの死後、ユダヤの慣習で再婚した。 ”カソリック”では絶対に認めない説)他に多くの”ユダヤ人”改宗者、”サマリヤ人”などが居た。”元ユダヤ教徒”が多いので、 「律法重視な所が残っていた」 (初期には”ユダヤ教のナザレ派”と”ユダヤ教一派”と思われていた。) 【12使徒達】は”福音書”は書かず、 (自らは書かず、口述筆記などでは書いたが【マタイによる福音書・ヨハネによる福音書】古代では、口述筆記なども著作と認められた経緯あり) もっぱら口頭中心で”福音宣教”を行い、 ”小アジヤ”(現トルコ・シリヤ・ヨルダン)に沢山の【教会】を作ってゆき、【巡回伝道】していた。 トルコの【アンティオケヤ教会】(ローマ3大都市)に、【使徒パウロ】が回心して”使徒”となると【使徒パウロ】は”ギリシャ系住民や地方在住裕福なユダヤ人”を中心に、”ギリシャ地方”に宣教を拡大(3回の大宣教旅行)を行う。)し、【異邦人】(ユダヤ人以外)に宣教が拡大された。ユダヤ人が多い【エルサレム教会】と、”ギリシャ人・異邦人”が多い大都市【アンティオケヤ教会】という二つの主要なリーダー的存在な【教会】は、反目した訳ではないが、多少な対立関係があったとも言われる。”キリストの直弟子12使徒”が居る【エルサレム教会】は”本家本元”と自負していたし、【使徒パウロ】中心【アンティオケヤ教会】は、こちらも”正統派”と自負していた。(ローマの学がある大都市教会)【12使徒の行伝】は、【聖書・使徒行伝】以外に知る物が無い。”使徒ペテロ・ヨハネ・フィリポ”などは登場するが、彼らの宣教状態、末路などは一部以外殆ど解らない。(それは”使徒行伝”以外に記録した物が無く、”使徒行伝”も彼らの死後数十年後に書かれたので、殆ど記録出来てない・・からである)【エルサレム教会】は、AD68年の”ユダヤ戦争”で”ローマ軍”に”エルサレム”は破壊され、 ”ユダヤ人”は追放され、離散した為、その地位を、【アンティオケヤ教会】に譲る事になったのだろう。しかし、その後”キリスト教”があらゆる迫害と闘いながら、”ローマ帝国”を席巻した後、”コンスタンティヌス大帝”の時に、ミラノ勅令”により、公認され、【エルサレム教会】も再建され(その前かもしれませんが?)、後に5大主教座に帰り咲くも、”ローマ帝国の東西分裂”の時に、今度は国が別れ、それぞれの地域で発展して、別れて行く事になる。【西方教会・ローマ・カソリック】と 【東方正教会】にそれぞれが別れる。 【東方教会】は”カルケドン会議”の内容を承認せず、それぞれがお互いは【異端】と言い張って別れてしまう。ここで”カルケドン会議”の決定とは何であり(他に”ニカイヤ会議”など多数の会議があり) 【東方正教会】現”ギリシャ正教”の違いを考えて見る。【東方正教会】は、「ローマ教皇」の存在を認めず、【マリヤの処女懐胎】も認めなかったらしいです。 【東方正教会の特徴】 ★神秘的・形而上学的と言われる!(”ローマ・カソリック”は合理的・理性的なんだそうです。(^^;)プロテスタントから見ると、かなり”カソリック”でも神秘主義的なのだが・・?)★【東方正教会とは】http://barbarossa.red/eeastern-orthodox-church/ ★”旧約聖書”を”信仰の基として重要視する!(”ローマカソリック””プロテスタント”は 【新約聖書】に重きを置いている) ★”イコン”の存在! これは”オスマン・トルコ”支配からの、”ビザンチン文化”の影響だと思われるが、華麗な【聖画(イコン)】が”東方正教会”を埋め尽している。 ”イコン”は現在の”アイコン”の語源で、”肖像”という意味である。 、 (ロシヤで”ロシヤ正教会”で綺麗なポケット型の”イコン”をお土産に買いましたが”お守り”という感じでしょうか?)以下のVTRでも壁に”イコン”が飾れられている。 ★組織~【コンスタンチノープル】(現イスタンブール・トルコ)の主教が一番上で、【アレキアンドリヤ教会】(エジプト)、【アンティオケヤ教会】(トルコ)、 【エルサレム教会】がリーダーだが、 ”ローマ・カソリック”のような【ローマ法王】は居ない。★”修道院”制度あり! どうやら、この分裂は”ローマ帝国の東西分裂”に伴い、それぞれに”礼拝の仕方、主教の位置ズけ、礼典、儀礼”の違いが生まれ、そちらの違いが大きく、分裂したのかもしれませんね。”信仰内容”はそれほど相違が無いようです。 【ローマ・カソリック】が理性的、に対し 【東方正教会】は”神秘主義”であるらしいです。しかしここで【ローマ・カソリック】の 【修道院制度】が新たにこの”対立”に問題を投げかけます。 実は【修道院】とは【クムラン教団】が最も原始的な【修道院の初め】と言われるのです。実は 【ローマ・カソリック」】には【修道院】というものは、もともと無かったらしいのです。では、いつから【修道院】が生まれたのか?実はこの【修道院】は”東ローマ帝国の【東方教会】の制度でありました。 、【西方教会・ローマ・カソリック】は、実はこの流行ってきた【修道院】 (現世を捨てて神への修行をする) これを取り入れたのです。実は【修道院】は【東方教会】のものだったのです。驚きですね。皆さん、 【現世を離れ、世捨て人となり、神のみに仕える】= 【ユダヤ教エッセネ派=クムラン教団】 の教えなのです。 どうして、この【世捨ての修行】が【東方教会】に受け継がれてのか、 【ヨハネによる福音書】では、 【使徒ヨハネ、アンデレ】らが、実は”バプテスマのヨハネの弟子”であった事が書かれています。”バプテスマのヨハネ”は【エッセネ派】の噂が絶えない人ですが、世捨て人で、富、世間を捨て荒野で粗食!断食修行などを行う人でした。 【ヨハネ福音書】をあまりに後世に書かれている為、「???」と疑問視する”自由主義神学者”が居ますが、実は【ヨハネ福音書】が最も【キリストの救いの定義】をしてますデス! 【ヨハネ福音書】を疑ったら、すべての 【十字架の救い】がグラグラですよ~(笑) 【ヨハネ福音書】にだけ、何故【使徒ヨハネ・アンデレ】が”バプテスマのヨハネ”の弟子だと書かれたのか??・・それは本当だったとも思えませんか。 (ヨハネ福音書1:40 ヨハネから聞いて、 イエスに着いていった二人の弟子のうち一人は、 シモン・ペテロの兄弟「アンデレ」であった。) ”自由主義神学”では【 ヨハネの福音書】他”ヨハネ書簡”を 【ヨハネ共同体】なる思想集団(って何よ?誰が作ったのよ??)が制作したという説をマジボケで採用してますが 、その歴史的証拠は皆無です。 ”ブルトマンオヤジ”の説は、 実は自分達こそ 【史的証拠無し】な怪文書をタレ流すやからです。 ”自作・聖書・怪解釈本”で稼ぎたかった ”背教者オヤジ”だろう。 【使徒行伝】で【使徒ペテロ】は「悔い改めて、 バプテスマを受けよ」と宣教するのです。実は 【バプテスマ(洗礼)】は 【バプテスマのヨハネ、クムラン教団】で行われた儀式で、【イエス・キリスト】は”バプテスマ”を御自身で受けられたが、誰にも”バプテスマ”を授けていません。それは”洗礼者ヨハネ”の教えなのです。 ”キリストの使徒・弟子”と”イエス・キリスト自身”が”洗礼者ヨハネ”&”エッセネ派”と何となく関係が深いのですね。(イエス様と洗礼者ヨハネは親類、ヨハネから洗礼を受ける。使徒の数人がヨハネの元弟子)ここで【修道院制度】を誰が受け継いだのか?という疑問が生まれます。それは【東方教会】で始まった、【東方】~”エルサレム、トルコ”です。もちろん”バプテスマのヨハネ派”が生き残って、それを伝え、影響したとも考えられますが・? それらが、”自由主義”の言う【ヨハネ共同体】でしょうか?【修道院制度(クムランも原始修道院)】を伝えたのは【12使徒達】ではなかたたのか?・・と思えます。 少なくとも【使徒パウロ】にその要素が全くありません。(彼は地方在住の裕福なユダヤ人で、 エッセネ派との関係が皆無) そういう意味で 【使徒パウロ】は現”カソリック的”であります。(理性的、合理的)・・しかし”ローマ・カソリック”には”神秘主義”が生きています。これも【12使徒的】なんですね。こう考えると、 【ローマ・カソリック】の起源が、 【使徒パウロ派】だけでなく【12使徒】であり、”ローマ教会”を建てたのが【使徒ペテロ】であった事がにわかに有力に見えてきますね。 【12使徒】は【エッセネ派】の ”教え”を最初から持ちこんだいます。 【初代教会の原始共産体制】~”初代教会”ではすべての”信徒”に財産を提供させ、中央に集め必要に応じて”再分配”する 【原始共産主義】が行われ、 ”富む者”と”貧しい者”が存在せず、平等が維持された。 これが”キリスト教”が爆発的に、下層階級に広がった理由でもある。(貧しい者が飢えなくて良い世界)を作った訳で、これすら”画期的”である。 (使徒行伝2:43~47『信者となった者は皆いっしょにいて、いっさいの物を共有していた。そして資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて分配した。そして毎日、心を一つにして、宮に集まり、家でパンを裂き、喜びとまごころを持って食事を共にし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。』) これはどう見ても、 【12使徒達】& 【イエス・キリスト】が 【クムラン・エッセネ派】と深い関わりがあったのを暗示している気がします。 【隠者のように暮らす・ 原始共産主義者(クムラン共同体に入るには全財産を捨てなければならなかった)・・ まさに 【修道院】なのです。 【エルサレム崩壊】後の ”12使徒達”の行方はどこにも書かれて居ないのですが、 【彼らの教え】が【修道院制度】として現代に生き残っているのかもしれません。 【エッセネ派】は最古に近い 【修道院】と言われています!【東方正教会】は自分達こそ、【12使徒の教え】を継ぐ正統派だと”カソリック”に対抗して言っているが、(両者は和解している)、【東方正教会】に、確かに 【12使徒達の原型の教え】の片鱗を見る事が出来る。それは【使徒パウロ派】(アンティオケヤ派)に無いもので、 【ユダヤ教的な”律法重視・ 旧約聖書重視・クムラン的神秘主義・クムラン的修道院制度・ クムラン的原始共産主義共同体】に見る事が出来るのでは無いだろうか? 【12使徒(キリストの直弟子)】の伝えた【原型の教え】はどのようなものであったか? それは【東方正教会】を見ると、見えてくる。 ”自由主義”連中が言う、 『キリストも12使徒も居なかった』という寝とぼけた説が、全く歴史を知らない”無知蒙昧な暴説である事が解る。 【12使徒達】はまぎれもなく存在し、【キリストの教え】を 伝え、【初代教会】を作ったのだ。 【東方正教会】は、15世紀の 【オスマン・トルコ】の侵攻で征服されたので、 多大な”ビザンチン文化”(トルコ風)の影響を受ける。 その後、中近東を離れ、実はロシヤに逃れ 【ロシヤ正教】となって栄えるのだ。(玉ねぎ頭の教会が”ロシヤ正教”・・トルコの影響が大である。) ”3大福音書”(マタイ・マルコ・ルカ)自体が 【アンティオケヤ教会派】によって書かれたとも言われ(「ルカ福音書」の著者医者のルカは 【使徒パウロ】の弟子、自由主義神学者が特に言っているがかくたる歴史証拠は乏しい)、 ここでは ”ユダヤ主義的・律法主義”は 「行いによる救いを説いている」とけん制されました。(そういう”異端派”ユダヤ人も多々いた。) 【12使徒達】は”福音書”は自らは書かなかったが、”口述筆記”などで”マタイ福音書””ヨハネ福音書・ヨハネの黙示録(使徒ヨハネからの口述筆記)・・正統派キリスト教はこちらの説をとる (リベラル派は他人が使徒のなりすまして書いたを採択する(笑)) しかし人としての 【イエス・キリスト】は 【ユダヤ人】・・ 【12使徒もユダヤ人】であり、 【キリスト】の言葉は正しく書かれており、 『この天地が滅びるまで、【律法】の一点一画すら滅びる事はありません。』 『愛は律法を全うする』 『私の言葉 を聞いて実行するものは救われる』・・など 【行い】を重視する言葉は多々あり、 『【聖書】は無条件で救われるから、何をやってもいい。』(リベラル派は何故か良く言う)というのは、 【聖書的な教え】ではなく、 【キリストの教え】も 【12使徒の教え】も継いではいないのではないでしょうか?