Images of エディンバラの歴史
![エディンバラは私が中学生の頃、弟がエディンバラに住む子と文通をしていたので、小学生の弟の代わりに私が代筆をしていた。「日本の家は、紙と木で出来ていると聞きましたが、寒くないですか?」などの文面を良く憶えている。その頃からの憧れのエディンバラはいつか行ってみたい場所であった。今回チャンスに恵まれて、スコットランド初一人旅を体験することになった。すべてを個人手配したが、その中でヒストリック・スコットランド・エクスプローラ・パスという英国観光局発行のパスをインターネットで注文した。これはスコットランドにある77箇所もの遺跡の入場ができるお得なお買い物ということで、14日中7日間は入場自由のパスである。¥5490支払うとメールでバウチャー(引換証)が送られてくる。印刷してエディンバラ城かスターリング城などで引き換える仕組みになっている。早速エディンバラ城に着くと、入場券売場ではない事務所みたいなところでパスポートを提示しバウチャーを渡すと、小さな入場券の半券みたいな物を渡された。これでいいのですか?(エクスプローラ・パスのつもり)と聞くとOKだと言う。たぶん、この半券状のものでどこでも通用するパスなんだ、と疑わなかった。4日後にアイオナ島のアイオーナ・アビーに入場する時に出したパスと信じていた物は単なる半券であると判明した。仕方なく7.1ポンド(約1,300円)を支払って入場した。納得がいかなかった。オーバンのホテルに戻ってからレセプションにあるパソコンを使ってなんとかもう一度エクスプローラ・パスのバウチャーを印刷出来ないものかと、係が来るのを待っていると、先に待っていた長身の男性にこの経緯を話し、パソコンを使いたいと話した。私のたどたどしい英語であったが彼は、良くわかった、と言いやがて戻ってきた係の青年に私の言いたいことを伝えてくれた。私のモバイル端末のメールをパソコンに移しバウチャーを出すまで彼と係の青年は何度もやり直しついに印刷することに成功させた。二人の並々ならぬ親切に感謝しつつ部屋に戻った。翌朝、タクシーで岬の先端にあるダンスタフネイジ城という城まで出かけた。案内書にはあまり書かれていない小さな城だが、調べたところによると、血塗られた歴史のあるいわくつきの城らしい。入場時間は調べてあったが、あえて2時間前の誰もいない静かな城を訪れたのだった。中に入らなくても充分その雰囲気は伝わってきた。やがて入場の時間が来て、若くて美しい親切な係のお姉さんに昨夜苦労して印刷したバウチャーを見せてエディンバラ城での経緯を話すと、「確かにこのバウチャーのバーコードで見ると有効です。ここではパスを発効する権限はありませんが、入場券を買わずにお入りください」と言ってくれた。「エディンバラ城では書類が日本語だったので分からなくて行き違いがあったのでしょうね」とフォローを入れた。この後エクスプローラ・パスを使ったのはスターリング城、そしてエルギン大聖堂だけだった。アーカート城はネス湖ツアーに含まれているので必要としなかった。前回、エディンバラ城では痛恨の出来事などと、思わせぶりなことを書いてしまったので、しまった、大したことでは無いのに・・・と、どう書いたらいいのか、まさか捏造するわけにはいかないし、正直に打ち明けるしか無いだろうと、・・・事の顛末はこんなものだったのだ。](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/11/01/96/650x_11019617.jpg?updated_at=1437513308)
エディンバラは私が中学生の頃、弟がエディンバラに住む子と文通をしていたので、小学生の弟の代わりに私が代筆をしていた。「日本の家は、紙と木で出来ていると聞きましたが、寒くないですか?」などの文面を良く憶えている。
その頃からの憧れのエディンバラはいつか行ってみたい場所であった。今回チャンスに恵まれて、スコットランド初一人旅を体験することになった。すべてを個人手配したが、その中でヒストリック・スコットランド・エクスプローラ・パスという英国観光局発行のパスをインターネットで注文した。
これはスコットランドにある77箇所もの遺跡の入場ができるお得なお買い物ということで、14日中7日間は入場自由のパスである。¥5490支払うとメールでバウチャー(引換証)が送られてくる。印刷してエディンバラ城かスターリング城などで引き換える仕組みになっている。
早速エディンバラ城に着くと、入場券売場ではない事務所みたいなところでパスポートを提示しバウチャーを渡すと、小さな入場券の半券みたいな物を渡された。これでいいのですか?(エクスプローラ・パスのつもり)と聞くとOKだと言う。たぶん、この半券状のものでどこでも通用するパスなんだ、と疑わなかった。
4日後にアイオナ島のアイオーナ・アビーに入場する時に出したパスと信じていた物は単なる半券であると判明した。仕方なく7.1ポンド(約1,300円)を支払って入場した。納得がいかなかった。
オーバンのホテルに戻ってからレセプションにあるパソコンを使ってなんとかもう一度エクスプローラ・パスのバウチャーを印刷出来ないものかと、係が来るのを待っていると、先に待っていた長身の男性にこの経緯を話し、パソコンを使いたいと話した。
私のたどたどしい英語であったが彼は、良くわかった、と言いやがて戻ってきた係の青年に私の言いたいことを伝えてくれた。
私のモバイル端末のメールをパソコンに移しバウチャーを出すまで彼と係の青年は何度もやり直しついに印刷することに成功させた。二人の並々ならぬ親切に感謝しつつ部屋に戻った。
翌朝、タクシーで岬の先端にあるダンスタフネイジ城という城まで出かけた。案内書にはあまり書かれていない小さな城だが、調べたところによると、血塗られた歴史のあるいわくつきの城らしい。入場時間は調べてあったが、あえて2時間前の誰もいない静かな城を訪れたのだった。中に入らなくても充分その雰囲気は伝わってきた。
やがて入場の時間が来て、若くて美しい親切な係のお姉さんに昨夜苦労して印刷したバウチャーを見せてエディンバラ城での経緯を話すと、「確かにこのバウチャーのバーコードで見ると有効です。ここではパスを発効する権限はありませんが、入場券を買わずにお入りください」と言ってくれた。「エディンバラ城では書類が日本語だったので分からなくて行き違いがあったのでしょうね」とフォローを入れた。
この後エクスプローラ・パスを使ったのはスターリング城、そしてエルギン大聖堂だけだった。アーカート城はネス湖ツアーに含まれているので必要としなかった。
前回、エディンバラ城では痛恨の出来事などと、思わせぶりなことを書いてしまったので、しまった、大したことでは無いのに・・・と、どう書いたらいいのか、まさか捏造するわけにはいかないし、正直に打ち明けるしか無いだろうと、・・・事の顛末はこんなものだったのだ。