愛称はリュースケ。1986年3月に脱退しているが、1985年に無料配布されたソノシート「1985」で彼の演奏を聴く事が可能である(「1985」はベストアルバム『SUPER BEST』に収録されている) その他、彼が演奏する音源は比較的現存している また、映像としては「ブルーハーツが聴こえない〜HISTORY OF THE BLUE HEARTS」の1985年の映像は1985年12月24日都立家政スーパーロフト にて行われたTHE BLUE HEARTS初のワンマンライブ「世界一のクリスマス」であり、英がドラムを叩いているのも微かに確認することができる また、同ライブでは、甲本が「ブルーハーツより愛をこめて」前のMCでは英の名前をあげている。ブルーハーツ脱退後は中村あゆみや織田哲郎のバックバンドやスタジオミュージシャンとして活動。損害保険の調査員、トラックやタクシーのドライバー等を経験したのち、ホテルなどで馬車を運行する会社を立ち上げる。2017年1月、白血病にて他界。ブルーハーツ初のワンマンライブ。256人動員。幻のソノシート、「1985」を配布 「1985」はこの日が最後の演奏となった これまで無題だった「街」に曲名がついた。ブルーハーツとしては最初で最後のカバー曲を演奏した。爆風スランプのサンプラザ中野くんは、知人のつてで知ったメジャーデビュー前のブルーハーツの曲を聴いて衝撃を受け、当時自身がパーソナリティを務めていた『サンプラザ中野のオールナイトニッポン』でディレクターに、この曲を掛けたいと希望を出して番組で流したところ大反響を呼び、そこから一躍ブルーハーツのメジャーデビューにつながったという。劇団 第三舞台の主宰・鴻上尚史は、自身がパーソナリティを務めた『鴻上尚史のオールナイトニッポン』内で、幾度となくブルーハーツ好きを公言しており、ライブにも度々足を運び、感想を語っていた。「1985」(鴻上曰くソノシート音源)をフルで流したり、88年2月12日の武道館ライブを見に行った日の深夜の放送では、その日披露されたばかりの新曲「青空」のライブ音源を流したりと、この番組でしか聴けない音源も多かった 後に自身の映画に「青空」を挿入歌として使用している。1989年、作家の吉本ばなならが『僕の話を聞いてくれ』という、ブルーハーツを絶賛する本を出した。吉本ばななは、「I Love ザ・ブルーハーツ」というタイトルで寄稿し、本の帯に「ブルーハーツは全員、丸ごとの自分をきちんと大事にしている これは大変贅沢で、かなり素晴らしいことに違いない」と書いた。