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1987年10月『上海紅鯨団が行く』を引き継ぐ形でスタートした『ねるとん紅鯨団』(関西テレビ放送制作、フジテレビ系)がヒット 初年度から深夜枠ながらバラエティ年間平均視聴率ランキング3位にランクインした 当時IVSテレビ制作で番組の企画・総合演出などをしていた伊藤輝夫(現:テリー伊藤)や後藤喜男と出会ったのがこの時期 一般参加者による集団お見合い形式の企画が好評を得、集団お見合いパーティーそのものが『ねるとんパーティー』と呼ばれることもある また1986年から火曜ワイドスペシャルで数回特番を行い、1988年10月からは、『とんねるずのみなさんのおかげです』がレギュラー放送を開始 番組内では、『仮面ノリダー』『保毛尾田保毛男』などのコントやパロディを披露した 当時裏番組として、国民的人気番組であるザ・ベストテンがTBS系列で放送されていたが、2週目の放送で辛勝 3週目でダブルスコアをつけての完勝となった 初年度から年間平均視聴率21.4%という驚異的な数字を叩き出し、1989年から94年にかけて年間平均視聴率ランキングで、全局・全ジャンルで1位をキープした 1989年3月のスペシャル時には番組シリーズで過去最高29.5%の視聴率を記録した 更にこの頃には、13本のCM契約もしていた 1991年10月には、『闘牛』『カートグランプリ』『PK対決』などロケ主体のコーナーが人気を得た『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(日本テレビ)が開始した。若手芸人との共演は、当時無名だったナインティナイン、よゐこ、ココリコ、ネプチューンの原田泰造(ネプチューン結成以前の素人時代)が『ねるとん紅鯨団』出演を境に積極的になる ナインティナインはこれを機に、東京での知名度上昇に成功している その後、岡村隆史は1997年3月の『とんねるずのみなさんのおかげです』最終回の「仮面ノリダー最終回スペシャル」にてノリダーの分身役を演じた。その後も、ナインティナインの番組にはとんねるずが出演するなどしている。1987年12月、つのだ☆ひろの作品「メリー・ジェーン」をそのままもじった「ジャニー・ジェーン」なる歌を披露 この際、サプライズゲストとしてつのだ本人が階段から「メリー・ジェーン」を歌いながら登場した。1989年5月17日、「律子に乾杯~スピーチの代わりに~」の3番目の歌詞を歌唱中に番組前半(21時台)部分の提供クレジットが被ってしまい、フルコーラスで歌えないままCMに行ってしまうハプニングが起きた。しかし、これはとんねるずが画策したドッキリ的パフォーマンスであり、本来は2コーラスの演奏のみであった。このドッキリはとんねるず2人とプロデューサーの渡邉光男しか知らなかった。CM明けでとんねるずがネタバラシをしたが、事前にそれを知らなかった司会の古舘伊知郎と柴俊夫は大いに困惑し、古舘に至っては歌えなくなってしまったことに責任を感じ激怒した。この回においては、『仮面ノリダー』で共演していた小林昭二とチビノリダーの伊藤淳史が応援ゲストとして駆けつけた。難極物語 - 二人でペンギンの衣装を着て出演した。ちなみに、当時のプロデューサー王東順にセリフもない台本読みに呼ばれたことが相当悔しくて、ラ・ポルトのサンドイッチが食えなかったそう。これを売れていなかった時代の汚点として、以後、かくし芸に出るたびに「○年前はペンギンでした」と発言している 後に、仮面ノリダーの「ペンギン男」の回では石橋が第2制作部(当時)に乗り込み、王から謝罪を勝ち取っている。1989年1月30日放送の『大爆笑!テレビ30年夢のオールスター大集合 (生) スペシャル』では、他の出演者がオリジナルソング(番組内では『お祝いの歌』と表す)を普通に歌っていたのに対して、木梨が『仮面ノリダーぶっとばすぞのテーマ』の1番の歌詞に変えて歌い始めてしまい、会場からは大爆笑が巻き起こった。司会の芳村真理は、もう一度歌うよう促すも、その後木梨はアドリブの替え歌を歌い出し、会場を盛り上げた。またこのとき石橋が、番組のビッグバンドからエレキギターを借り、弾く真似をしたため、もう一人の司会であったタモリからは「ギターの弦が切れた」と伝えられた。
お笑いスター誕生 とんねるず 司会:山田康雄 中尾ミエ Striped Top, Japan, Retro, Tops, Women, Fashion, Moda, Fashion Styles, Retro Illustration
1980年、帝京高校の同級生である2人によりコンビ結成。1982年に『お笑いスター誕生!!』でグランプリを獲得 1980年代半ばに『オールナイトフジ』『夕やけニャンニャン』の出演によって若者を中心に爆発的な人気を獲得 同時期の1985年に始まった『とんねるずのオールナイトニッポン』は、目玉のフリートークと数々の名物コーナーが受け「ハガキ職人」を多数輩出、多くのリスナーに多大な影響を与える深夜ラジオ史に残る名番組となる 1987年には『ねるとん紅鯨団』が始まり「ねるとんブーム」を起こし、深夜番組ながら視聴率上位常連の大ヒット番組となる 翌1988年には彼らの代表番組となる『とんねるずのみなさんのおかげです』が始まり、開始直後から20%越えの高視聴率を記録 社会現象になるほどのお化け番組と化し、彼らの地位を確立した その後も『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』『とんねるずのハンマープライス』『とんねるずのみなさんのおかげでした』などの名番組を輩出する。1995年には、一時期疎遠状態になっていたTBSでの初のレギュラー番組『ねる様の踏み絵』(その後番組名『とんねるずのカバチ』に変更)が開始 さらに同年1月には『ねるとん紅鯨団』の後継番組として開始したバラエティ番組『とんねるずのハンマープライス』(『ねるとん』と同じく関西テレビ制作、フジテレビ系)も開始した。1997年3月、『とんねるずのみなさんのおかげです』が完全終了した 同年6月に『とんねるずのみなさんのおかげでした』と改題、リニューアルし放送開始。この頃には出演する番組が軒並み高視聴率を記録している。なお、とんねるずのみなさんのおかげでしたはスタート初年度から年間平均視聴率ランキングでは3位にランクインし、とんねるずの生でダラダラいかせて!!も1999年まで常にベスト5をキープ、とんねるずのハンマープライスも裏番組に苦戦しつつもベスト10常連の番組であった。石橋単独出演のうたばんも音楽番組では2000年まで最も平均視聴率が高く、その後も1位争いを繰り広げていた。またコンビ・個人合わせて最もレギュラー番組を抱えていたのがこの時期である。