Images of ノート:石黒荘
「苦楽園四番町」は、大正~昭和時代初期は明礬(みようばん)温泉場があるラジウム温泉地として栄えた町でした。1911(明治44)年に大阪の実業家 中村伊三郎氏が、この一帯30万坪程を購入して「苦楽園」の名称で町づくりを行なった地域です。やがて天狗獄でラジウム温泉が発見され、苦楽園四番町の三笑橋まで温泉を引いて共同浴場「苦楽園温泉」が開かれました。
関東大震災の後、谷崎潤一郎が関西で初めて身を寄せたのがこの苦楽園です。この付近の旅館「萬象館」に滞在し、ラジウム温泉三昧の日々を送ったそうです。往時の様子は、随筆『阪神見聞録』に記されています。また、湯川秀樹博士も三笑橋の近辺に昭和8~15年まで住んでいました。往時の苦楽園四番町には、黒田子爵の別邸や土方伯爵の別荘「養寿庵」、下村海南の海南荘、クラブ化粧品の中山太一氏の別邸であり大阪市の迎賓館だった「太陽閣」、「六甲ホテル」などがひしめき合っていました。
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