Images of フィンランドの世界遺産
サンクトペテルブルク滞在中の週末、フィンランドの世界遺産3ヶ所を巡った。フィンランドには合計8つの世界遺産があるがいずれも地味なもので、ヘルシンキにあるスオメンリンナ要塞以外はかなり不便なところにあり、週末の1泊2日で訪れることができる場所は限られている。サンクトペテルブルクからヘルシンキは特急「アレグロ」で約3時間半で、早朝6時40分発に乗れば、時差もあり9時16分には到着するが、その先は厄介だ。フィンランドの西の端の町ラウマと、15kmほど離れたところにあるサンマルラハデンマキを、翌日にヴェルラの製材所を訪れることにした。宿はヘルシンキの案内所で紹介してもらったラウマ市内にあるベスト・ウェスタンを押さえた。ヘルシンキからトゥルクまではICがアレグロと接続している。しかしその先は鉄道の便はなくバスになる。当然本数は少なく、夕方に到着すると翌日早朝のバスで同じルートでヘルシンキに戻るしか方法はない。
ラウマに午後3時半ころ到着、ラウマの旧市街は時間の制約はないので、まずサンマルラハデンマキを先に訪れることにした。しかしこのマイナーな世界遺産には夏のシーズン以外には交通機関はなく、ラウマのバスターミナルでタクシーを見つけるしかない。周りにはタクシーは見当たらないので少々焦ったが、10分ほど待ってやっと1台がやってきた。運転手は全く英語は解らないというが、何とか行き先がサンマルラハデンマキ(長い地名だ!)であることは通じ、値段交渉はできた。フィンランドのタクシーは必ずメーターが付いており、まずぼったくりはなく安心できる。愛すべき平和的な国民だ。
予想はしていたとはいえ、これまで訪れたなかでもサンマルラハデンマキほど驚かされた世界遺産は少ない。価値があると思って見て見ないとこれはただの石積みだ。考古学者か、余程の物好きでない限りここを訪れる価値を見出すことは難しい。紛れもなく世界遺産3大ガッカリの筆頭だ。
ここサンマルラハデンマキはラッピという町にある青銅器時代の墓地遺跡、古いものでは3000年以上遡る、紀元前1500年頃から前500年頃のものであり、スカンジナビア半島にある青銅器時代の遺跡の中では最重要のもののひとつで、1891年に考古学者ホッグマンが発掘したものであるという。元々はボスニア湾岸にあったのだが、土地の隆起によって、いまは海岸線から15km離れた場所に位置しており、遺跡の花崗岩製の石塚群のうち、33の石塚がユネスコの世界遺産に登録されている。繰り返しになるが、考古学者か、余程の物好きでない限りここを訪れる価値を見出すことは難しいだろう。
タクシーは20分ほどでラウマのベスト・ウェスタンに着いた。チェックインした後、夕暮れのラウマの旧市街を散策した。ラウマは人口4万人ほどの小都市、トゥルクの北92kmに位置する。元はスウェーデンの支配下で1442年に町が作られた。主要産業は造船業、製紙・パルプ工業、金属工業などで、フィンランド第5位の港でもある。
ラウマ旧市街は特徴ある木造建築が並びユネスコの世界遺産に登録されている。ほとんどが平屋で、600軒ほどの建設現場で見る仮設事務所のような高級とは言い難い家屋が並んでおり、約800人が暮らしている。元々の町は1640年と1684年の大火で焼失したこともあって、現存する最古の家屋は18世紀のものである。ほとんどの家屋は今も一般市民が暮らしており、大通り沿いと町の広場の周りでは商店、レストランとして使われている。船乗りなど家を離れた人々が自宅を見つけやすいようにと、黄色、茶色、赤色など目立つ原色を使った色使いに特徴があり、とは言え町全体の調和が失われていないところがラウマの特徴と言える。木造建築がほとんどのこの町であるが、聖十字教会、中世の絵画が所蔵された15世紀の旧フランシスコ会修道院付属教会、1776年建造のタウン・ホールなどの石造建築物も現存する。
人口500万人ほどの小国フィンランド自体がまさに質実剛健、ノキアのような緻密な精密機械製造を得意とする。ロシアから国境を越えてやって来ると、穏やかで笑顔を持って接してくれる国民性にホッとさせられる。鉄道の時間もほぼ正確で信頼性も高い。日露戦争で強国ロシ アを破ったアジアの小国、日本への関心も高く親日国の一つである。小生はすっかりこの国のファンになってしまった。この日はラウマに1泊して、明日はヴェルラに向かう。