Images of ポルトガル系アンゴラ人
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5時半起床、6時朝食。眠気でよろめきながらロビーに出たところでガイドに掻っ攫われるようにタクシーに押し込まれる。10分ほどで港に着く。タクシーを降りると海からの涼しい風が吹き渡って少し目が覚めた気がした。
これからホルムズ島に向かう。実はバンダルアッバースに来たのはホルムズ島に向かうためである。私が通常の観光コースから大幅に外れてペルシャ湾に向かったのも、そのためである。そんなにしてまで行くほどの何かがホルムズ島にあるのかと言われると、実はよく分からない。ただ、中東できな臭いニュースが起きるたびに耳にするホルムズ海峡の名を負った島がどんなところかと思ったことと、どうやら大航海時代のポルトガルの城塞があるらしいと知ったという程度で、今回の旅程に押し込んだのである。イランの現地ガイドすら知らない、行ったことがないというホルムズ島、さてどんなところだろうか。
港の入り口から船の発着する埠頭まではそこそこ距離がある。ゴルフ場のカートみたいなのに乗って移動する。というか、日本のゴルフ場からそのまま持ってきたような日本語の注意書きがあるカートまで走っている。
埠頭からはいくつか桟橋が伸びていて、そのひとつがホルムズ島行きの船の乗り場だった。桟橋の入り口に小屋があって、そこが切符売り場らしい。売り場にはすでに数人が並んでいる。桟橋に泊まっているのは70~80人乗りくらいの高速船である。
定刻は6時30分発とのことだったが、船の出航は7時だった。客室内はほぼ満席である。イランの公共交通はバスも列車も男女の区画をはっきり分けているが(ちなみにバスだと前半分が男性、後ろ半分が女性と分けられている)、船は飛行機に準じるらしく、男女が隣り合わせに座ってもお構いなしである。
やがて左舷にバンダルアッバースの街が遠ざかると、右舷に島影が見えてくる。予想と異なり、ごつごつとした山容である。地図で見る限りいかにも小さい島だったので、真っ平な島かと思っていた。50分ほどで船はスピードを落とし、ホルムズ島の港に到着した。
迎えの車に乗ってまずは城塞に向かう。ホルムズ島に関する私の唯一の予備知識は、大航海時代にポルトガルが築いた城塞があるということだけである。知ってのとおり大航海時代の嚆矢となったポルトガルはアフリカからアジアにかけてのあちこちに拠点を築いた。そのうちアンゴラやモザンビーク、マカオのように20世紀までポルトガル領として400~500年ほど命脈を保ったところもあるが、ホルムズ島は100年ほどで追い払われてしまったようで、それ以来、島は細々と漁業で食いつなぐだけのぱっとしない存在のまま今に至っているようである。あとで島を一周したが、シーレーン上の要衝に位置しているにもかかわらず、島には海軍や沿岸警備隊の拠点らしきものは見当たらなかった。
城塞は集落の外れ、島の北端にあった。入口は赤紫色っぽい異様な色の石でできている。サファビー朝とイギリスに追い払われて以来放置されていたためか、ドームも壁も崩壊寸前の態である。城塞のすぐ脇にはなにかの工場か倉庫だったらしい建物がそびえているが、こちらは骨組みと屋根の一部が残るきりの廃墟となっている。ここがもう少しメジャーな観光地になったら撤去されるのだろうが、今のところは写真撮影の邪魔物として存在感を主張している。
比較的よく残っている城壁にうがたれた門をくぐると、けっこう広い中庭に出る。広場をぐるりと囲むのは崩れかかった石壁ばかりだが、一応、どこが司令官の部屋でどこが牢でというのは判明しているようである。中庭には地下の礼拝堂があって、中を覗くとそこそこ広さはあるが礼拝堂というよりは倉庫に近い雰囲気である。ポルトガル人たちも力を誇示するがごとき城塞を作っておきながら、礼拝堂はカタコンベみたいなシロモノで甘んじていたとは不思議なものである。
城塞の一番高いところに上る。といっても、階段や手すりが整備されているわけではないので、がれきに半ば埋もれた通路をよじ登るしかなく、足場はかなり悪い。なんとかよじ登ると、対岸のバンダルアッバースの街が見えた。直線距離で5キロほどという。反対側はアラビア半島のはずだが、ここから望むことはできない。
陽射しは強いが、ペルシャ湾を渡る風は心地よい涼しさである。イランは地域による気温の差がけっこう大きく、天気予報を見るとテヘランやイスファハンでは最高気温が5度とか10度となっているが、バンダルアッバースは25度という。その代わり真夏のバンダルアッバースは最高気温40~50度と死ぬほど蒸し暑いらしく、外に止めた車のボディで卵焼きができると島のドライバーが言っていた。
一番高い塔に隣接して貯水塔がある。意外に中は深い。往時は5000人の兵士がいたというが、この島の水源はもっぱら天水というから、このくらいの大きさは必要だったのだろう。貯水塔から中庭を見下ろすと、団体旅行客が入ってくるところだった。ガイドによればイラン人旅行客ということで、イランの中では一応観光地とされているらしい。外国人は滅多に来ないそうだが。
城塞を出てホルムズの街に入る。これからミュージアムに行くという。城塞から見渡したホルムズの街は、大きな建物がほとんどなく民家が密集した集落のような雰囲気だが、その中にミュージアムはあるという。
家並みの中にあいた広場に車を止めると、壁に鮮やかな絵が描かれていた。絵はずっと続いていて、この絵を辿るとミュージアムに着くのだそうだ。
家並みの奥にそのミュージアムはあった。ホルムズ島が気に入って住みついたアーティストのナダリアン氏が民家を改装してつくったということで、決して大きいわけではないのだが、内部は濃密な世界である。ナダリアン氏のアートのひとつが砂浜アートのようで、砂の上に描いたアートが波に飲まれる写真もあったりする。日本にも行ったことがあるそうで、ご本人によると鎌倉にインスピレーションを受けたのだとか。
ナダリアン氏のアートを解説する力量は私にはないので、どんな作品かは写真を見ていただくとして、個人的にはこのミュージアムに行くためにホルムズ島を訪ねる価値はあると思った。
ホルムズの街は島の北側にある。では南側は何があるかというと、船から見えたごつごつした山である。まずは島の西側に向かう。少し内陸に入ったところに、岩山に囲まれた谷がある。ところどころ雪のように白くなっているのはすべて塩である。周囲の岩山はすべて岩塩で、そこから流れ出た塩分が堆積しているとのこと。岩山の一部は白く覆われていて雪山のように見える。小さい島にいるとは思えないほど雄大かつ荒涼とした風景である。
今度は海岸沿いに走る。道路は高いところを通っているので広々とした砂浜を見渡すことができる。砂浜の一部はなにやら色がついている。ここもナダリアン氏のカンバスらしく、毎年巨大な砂浜アートを作るのだそうである。
それにしても、これほどの砂浜に人影がないのはモッタイナイとしか言いようがないが、遠くに家族連れらしいグループが遊んでいるのが見えた。天気はいいし、海は穏やかだし、いかにも海水浴日和である。
海から少し内陸に入ったところで車が止まった。面白いところに案内するという。案内されたのは洞窟で、中に入ると壁一面が白い。すべて岩塩ということで、どうやら先ほどの岩塩の谷を囲んでいた岩山の海側らしい。
さらに車を進める。すでに道路から海岸は見えず、灌木がちょろちょろ生えているだけの岩山の間を走る。道路から内陸側に谷が開けたところで車が止まる。ここはレインボーバレーだという。なにがレインボーかというと、岩がカラフルで、いくつも重なる尖った岩山が、先に見た城塞の入り口のような赤紫だったり、より赤みがかった色だったり、さらには黄土色や灰色や黒や、実にいろいろな色の岩が露頭している。いったいこの島の地質はどうなっているのか興味が尽きない。遠くには岩塩で白い山が雪山のようにそびえている。ひとつひとつの岩山はけっして大きくもないのだろうし、標高も大したことはないのだろうが、なぜか眺める景色がとても雄大に見えるのが不思議である。
レインボーバレーは看板ひとつない無人の谷だったが、次に行った場所はそれなりに観光地らしく、売店が一軒ある。もっとも人家はその売店があるきりである。岩山に囲まれた谷が、こんどは海の方向に開けている。10人くらいの団体客が道端に止めてあったトラックの荷台に乗り込む。この島でのツアー客の移動手段は無蓋のトラックが一般的なようである。
一見、なにが見どころなのかよく分からない荒れ地だが、ガイドに促されてよく見ると、両側に岩山は特徴的な形をしている。ガイドがある山から突き出した岩を指して右向きのニワトリだと言うが、私には左向きの馬にしか見えなかったりする。まあ確かに変わっていることは間違いない。
さて、そろそろ昼も近くなってきたし、陽射しがさらに強くなってきた。面白い岩はもう結構なのでそろそろ街に戻って飯にしませんかとガイドに言うと、この先に面白い場所があるとドライバーが言っているという。といっても、すでに谷は狭まって岩山にふさがれている。
こっちこっち、というようにドライバーは身軽に高い敷居のような岩の壁をまたぎ、そそり立つ岩壁に挟まれた狭い隙間の石がごろごろしている岩肌を降りていくが、暑さでへばり気味の私は滑り落ちないようによたよたついていくのがやっとだし、肥満体のガイドはさらに苦慮している。両側を高い岩壁にふさがれている曲がりくねった狭い谷間を進むので視界が利かないし、閉塞感がハンパない。と、突然視界が開けた。そこは断崖の上だった。そして眼の前に広がるのはペルシャ湾。
それだけでも十分にドラマチックな展開なのだが、ドライバーはこっちに来いと左側の岩肌に案内する。足元は絶壁なのだが、この岩肌に寄りかかると、島の海岸線がよく見えるという。果たしておっかなびっくりで岩肌に寄りかかり、顔を上げると、そこに広がるのは絶壁が一気に落ち込んだところにある細長い砂浜だった。
私たちがいる岩壁は黄土色だが、少し向こうの岩壁は石灰質なのか白灰色である。そしてその下にある小さな砂浜は、いかにもシークレットビーチといった趣である。砂浜の向こうに見える陸影はゲシュム島だそうである。地図で見るとホルムズ島の西にある島で、けっこう大きい島である。ゲシュム島のほうが観光地としてはメジャーで、ホテルやレストランといった観光客向けの設備も整っているのだそうだ。
さて、首を左に向けると、そこはホルムズ海峡である。タンカーが一隻、ゆっくりと東に向かって航行する。前夜のニュースでは、イラン軍がホルムズ海峡に向けた発射実験ということで地対空ミサイルをブチ込んだと伝えてたし、日本にいてホルムズ海峡という単語を耳にするときは、たいていきな臭いニュースでしかなかったから、晴れた空の下、少し霞がかった海峡の穏やかな風景は、私の勝手な想像を裏切って実にのんびりとしている。遠くにうっすらと見えるのはオマーンだという。
意外すぎる展開にしばらく岩肌に寄りかかったまま飽かず景色を眺めていた。ガイドもこの景色は素晴らしい、いい機会をありがとうと言う。シラーズを出たときには、なんでアンバルアッバースだのホルムズ島だの訳の分からんところに行くのだとぶつくさ言っていたが、ここはぜひ次の客にも案内したいと言い出すのだから、イランの観光地の案内に慣れたガイドの眼にも見どころとしての価値はあるようである。
ほらね、来てよかったでしょうという私にしても、まさかここまですごい場所があるとは想像すらつかなかった。ちなみに島のパンフによるとここはSunset Towerというらしい。夕陽の沈む頃にはまた格別な眺めになるのだろう。
景色は素晴らしかったが、いかんせんアクセスは悪すぎるくらい悪い。バリアフリーの対局にあると言っていい。ようやく車まで戻ったときには疲れ果てていた。
このあたりは島のほぼ南端らしい。やがて車は東海岸に入る。海を望む海岸が鮮やかな赤茶色の土になっている場所があった。ここはケトル(と聞こえた)という鉱石の採石場だそうである。その先に進むと、今度は石灰質らしい断崖の上に出る。白い岩壁の下は白い砂浜になっていて、ウミガメが産卵に訪れるという。
すでに時刻は2時半である。街に戻り、遅い昼食となる。この島にはレストランは存在しないようだが、観光客向けに食事を提供する家はあるらしい。そんな家に案内される。玄関から入ってすぐのところに居間があって、ソファにかけて待つよう言われる。ひとつだけあるダイニングテーブルでは他の客が食事中である。と、通されたのは隣の部屋である。ここは絨毯敷きの小部屋で、やがて食事が運ばれてきた。
食後はしばし休憩。実のところ疲れと眠気がマックスだったのでありがたい。絨毯の上に寝転がってしばし眠るとする。
3時半に起こされて港に向かう。船はすでにほぼ満席で、なんとか席を見つけて座ることができたが、埠頭にはまだ多くの人が残っている。そして多くの人を残したまま船は4時に出航した。
ガイドによると、島にはホテルもレストランも全くないので、いまのところ観光客がホルムズ島で観光しようと思うと、先ほどのような家で食事をしたり泊まるしかないという。観光資源はあるのに、ゲシュム島のような受け入れ態勢がないのが残念である。5時、バンダルアッバース到着。
ホテルに戻り、ガイドとお茶を飲みながら少し話して、あとは陽が暮れたホテルの敷地を散歩して、海に面したベンチに腰を下ろしてぼんやりする。7時にガイドが手配したタクシーがやってきて空港に向かう。
夜になっても空気が生暖かい。いまは真冬だが、こういう気候のせいか空港のターミナルの中ではアイスクリームを売っている。けっこううまい。30,000Rというからほぼ1ドルである。
なんだかよく分からないまま30分くらい遅れるのがイランの交通機関らしく、テヘラン行きの飛行機も30分遅れの22時20分に離陸する。機体はちょっと時代を感じるフォッカーである。2時間ほどでテヘラン到着。無事ドライバーにピックアップされるが、こんな時間でも空港の駐車場から出るのに大渋滞で30分ほどかかる。1時20分ホテル着。とにかく眠い。
1910年頃、ポルトガル領マデイラ島で撮影された祭り衣装の少女の写真。 Vintage Couture, Samurai Gear, Snow White, Culture, Costumes, Shit Happens, Clothes, Drapery, Island