Images of ロシア・ツァーリ国
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サンクトペテルブルグの南、約150km走ったところにある「新しい町」を意味するノヴゴロドは、実はロシアで最も古い町のひとつである。人口は約21万人、小都市の佇まいを残した落ち着いた古都である。
町の起源は北欧のヴァイキング活動に由来する。乱れる国土を収めるためにこの地に招かれたルーシ(スウェーデンのヴァイキング部族)のリュ−リクによって862年にノヴゴロド公国が建てられた。古代貿易路の中心地にあり、中世にはハンザ同盟との貿易を独占して発展した。ハンザ時代のノヴゴロドは、ヴェーチェという民会によって行政が行われる 一種の共和国であった。
コンスタンティノープルに近いキエフが政治の中心になるに従って、ノヴゴロドは商業・工業に優れた独自の自由都市、ノヴゴロド公国へと変遷していく。名目上の長として外部から公を招きつつも、大主教や都市貴族を中心とした民主共和政体が敷かれており、公が大主教や都市貴族達の意に沿わなくなると自由に罷免する権利を有していた。
13世紀、モンゴルのバトゥが侵攻し、キエフその他ロシア主要都市のほぼ全てが灰燼に帰す中、奇跡的に破壊を免れたノヴゴロドは、その後モスクワがロシアの歴史の表舞台に登場するまでの間、ロシアの中心都市として機能することになる。
1478年にノヴゴロド公国はモスクワ大公国によって併合された。 1570年この時期のツァーリであるイヴァン4世(雷帝)により町全体における粛清が行われる。原因はイヴァン3世によって力づくでロシア領に組み入れられてしまった結果、重税をかけられ、思い通りの交易もままならぬ状態に住民の不満が、最高潮に達していた事、またノヴゴロドはハンザ同盟の中枢であったことから、住民の持つプライドが高く、 これらの要素がイヴァン4世にノヴゴロドのポーランドへの寝返りを確信させた事によるとされる。当時のノヴゴロドの人口4分の3にあたる約6万人もの住人が拷問の末虐殺され、死体は氷の浮いたヴォルフ河に葬られたとされる。
17世紀初頭、ロシアでは大動乱という内戦が起こり、1611年にノヴゴロドは介入してきたスウェーデンのグスタフ・アドルフ(後スウェーデン王)に占領された。そして同年、ツァーリ不在のロシアにスウェーデン王子カール・フィリップがノヴゴロドにおいてツァーリに選出された。しかしツァーリはロシア全体では認められず、自称に止まり、スウェーデンで国王が代替わりした後、1618年に撤退、ノヴゴロドはその輝かしい時代を終え、一地方都市となった。
ノヴゴロドはロシアの歴史発祥の地として、今なお「偉大なるノヴゴロド公」と敬意を込めて呼ばれている。ロシア文化の原点であり、私の職場の仲間と出かけた時も、ロシア人にとって京都のような心のふるさとであることがわかった。ノヴゴロドを訪れたのは2007年10月、気温は氷点下0〜5℃前後であったと思うが、ロシア人はやはり寒さに強い。彼らは屋外でのガイドの説明を最後までしっかりと聞いていたが、我々日本人は、寒さで観光もそこそこ早く暖かい建物の中に入りたかった。
ノブゴロドのクレムリンを取り囲んで11世紀ころに建設された城壁(写真1−4)がある。ソフィア大聖堂(写真5−7)は、キエフのソフィア大聖堂をモデルとし、1045年に立てられた現存するロシア最古の建築である。6つのドームを持ち、窓が少なく小さいので要塞のようにも見える。ユーリエフ修道院(写真8、9)はエストニアでの勝利を記念してヤロスラフ賢帝により1030年に建設された修道院。中心にドームを持つゲオルギー聖堂が建つ。
ロシア1000年記念碑(写真11)は、リュ−リクの即位から1000年を記念して1862年に造られた記念碑。ロシアの歴史を飾った6人の英雄たち、リュ−リク、ウラジ−ミル公、ミハイル・ロマノフ皇帝、ピョートル大帝、ドミトリー・ドンスコイ将軍、選ばれしロシアの6人である。
ロシア1000年記念碑の前で職場の仲間達と記念撮影(写真12)を撮った。ひたすら寒かった。
ノブゴロドの中心から車で10分ほど走ったところに、ノヴゴロド地区の伝統的な建築20余りを、当時のままの状態で移築・保存した、明治村のような野外木造建築博物館がある。16世紀に建てられた風車(写真13)、農家(写真14) 、納屋や教会(写真15)が保存されている。中をのぞいて歩いていると、中世ロシアにタイムスリップしたような気分になる。