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小御所は、清涼殿の東、紫宸殿の北東に位置する南北棟の建物である。屋根は入母屋造、檜皮葺。会議、対面や皇太子の元服などの儀式に用いられた建物である。慶応3年(1867年、新暦では1868年1月)に徳川慶喜の処置を決めるためのいわゆる「小御所会議」が開かれた場所としても知られる。内部は身舎部分に3室を設け、東西南北にそれぞれ廂を設ける。身舎は畳敷きで格天井、廂は板敷きで化粧屋根裏とする。この建物は、建具に半蔀を用い、周囲に高欄をめぐらし、階段を設けるなど、外観には寝殿造風の要素があるが、内部は書院造風になっている。身舎の3室は南から北へ「下段の間」、「中段の間」、「上段の間」とする。上段の間には厚畳2畳を敷いた上に茵を置いて天皇の座とし、その背後には大和絵の四季絵の屏風を立てる。 御学問所は小御所の北に位置する南北棟の建物である。屋根は入母屋造、檜皮葺。小御所と異なり、平安復古調の建物ではなく、建具は舞良戸を用い、内部の主たる室には床、棚を設けるなど、内部外観ともに書院造の意匠とする。家康による慶長度の造営時に初めて設けられた建物で、御講書始などの行事が行われたほか、学問ばかりでなく遊興の場としても用いられた。内部は東西2列、各列3室の6室構成になる。東列は北から南へ「上段の間」、「中段の間」、「下段の間」とし、西列は北から南へ「菊の間」、「山吹の間」、「雁の間」とする。上段の間と菊の間には床と違棚を設ける。各室の障壁画は、狩野永岳、岸岱、原在照らの筆になる。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)京都御所(英:Kyoto Imperial Palace)は、京都府京都市上京区にある皇室関連施設。 1331年から明治2年(1869年)までの間の「内裏(禁裏)」、すなわち歴代天皇が居住し儀式・公務を執り行った場所である。現在は宮内庁京都事務所が管理している。 京都御所に現存する主な建物としては、紫宸殿、清涼殿、小御所(こごしょ)、御学問所(おがくもんじょ)、御常御殿(おつねごてん)、迎春(こうしゅん)、御涼所(おすずみしょ)、皇后宮御常御殿(こうごうぐう おつねごてん)、若宮・姫宮御殿(わかみや・ひめみやごてん)、飛香舎(ひぎょうしゃ)などがある。 京都御苑の北西寄り、築地塀で囲まれた面積約11万平方メートルの区域が京都御所である。御所の敷地は東西約250メートル、南北約450メートルの南北に長い長方形で、そこにはかつての内裏に属していた多くの建物と庭園が残っている。現存する御所の建物は安政度造営のものである。建物群は大きく3つのブロックに分けられる。南寄りには内裏の正殿であった紫宸殿、天皇が政務を執った清涼殿をはじめ、儀式や政務のために用いられた表向きの建物が残る。その北側、敷地のほぼ中央のブロックは、天皇の日常生活や内向きの行事、対面などに使用された内向きの建物群で、小御所、御学問所、御常御殿などがここにある。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)京都御所 については・・https://sankan.kunaicho.go.jp/guide/kyoto.html

小御所は、清涼殿の東、紫宸殿の北東に位置する南北棟の建物である。屋根は入母屋造、檜皮葺。会議、対面や皇太子の元服などの儀式に用いられた建物である。慶応3年(1867年、新暦では1868年1月)に徳川慶喜の処置を決めるためのいわゆる「小御所会議」が開かれた場所としても知られる。
内部は身舎部分に3室を設け、東西南北にそれぞれ廂を設ける。身舎は畳敷きで格天井、廂は板敷きで化粧屋根裏とする。この建物は、建具に半蔀を用い、周囲に高欄をめぐらし、階段を設けるなど、外観には寝殿造風の要素があるが、内部は書院造風になっている。身舎の3室は南から北へ「下段の間」、「中段の間」、「上段の間」とする。上段の間には厚畳2畳を敷いた上に茵を置いて天皇の座とし、その背後には大和絵の四季絵の屏風を立てる。

御学問所は小御所の北に位置する南北棟の建物である。屋根は入母屋造、檜皮葺。小御所と異なり、平安復古調の建物ではなく、建具は舞良戸を用い、内部の主たる室には床、棚を設けるなど、内部外観ともに書院造の意匠とする。家康による慶長度の造営時に初めて設けられた建物で、御講書始などの行事が行われたほか、学問ばかりでなく遊興の場としても用いられた。
内部は東西2列、各列3室の6室構成になる。東列は北から南へ「上段の間」、「中段の間」、「下段の間」とし、西列は北から南へ「菊の間」、「山吹の間」、「雁の間」とする。上段の間と菊の間には床と違棚を設ける。各室の障壁画は、狩野永岳、岸岱、原在照らの筆になる。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

京都御所(英:Kyoto Imperial Palace)は、京都府京都市上京区にある皇室関連施設。 1331年から明治2年(1869年)までの間の「内裏(禁裏)」、すなわち歴代天皇が居住し儀式・公務を執り行った場所である。現在は宮内庁京都事務所が管理している。

京都御所に現存する主な建物としては、紫宸殿、清涼殿、小御所(こごしょ)、御学問所(おがくもんじょ)、御常御殿(おつねごてん)、迎春(こうしゅん)、御涼所(おすずみしょ)、皇后宮御常御殿(こうごうぐう おつねごてん)、若宮・姫宮御殿(わかみや・ひめみやごてん)、飛香舎(ひぎょうしゃ)などがある。

京都御苑の北西寄り、築地塀で囲まれた面積約11万平方メートルの区域が京都御所である。御所の敷地は東西約250メートル、南北約450メートルの南北に長い長方形で、そこにはかつての内裏に属していた多くの建物と庭園が残っている。現存する御所の建物は安政度造営のものである。建物群は大きく3つのブロックに分けられる。南寄りには内裏の正殿であった紫宸殿、天皇が政務を執った清涼殿をはじめ、儀式や政務のために用いられた表向きの建物が残る。その北側、敷地のほぼ中央のブロックは、天皇の日常生活や内向きの行事、対面などに使用された内向きの建物群で、小御所、御学問所、御常御殿などがここにある。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

京都御所 については・・
https://sankan.kunaicho.go.jp/guide/kyoto.html

【中古】新装版 - 赤猫始末 - 闕所物奉行 裏帳合(三) (中公文庫 う 28-10 闕所物奉行裏帳合 3)

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公文中的字体归纳

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赤猫始末[本/雑誌] (中公文庫 う28-10 闕所物奉行裏帳合 3) / 上田秀人/著

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京都御所(英:Kyoto Imperial Palace)は、京都府京都市上京区にある皇室関連施設。 1331年から明治2年(1869年)までの間の「内裏(禁裏)」、すなわち歴代天皇が居住し儀式・公務を執り行った場所である。現在は宮内庁京都事務所が管理している。 鎌倉幕府が擁立した光厳天皇がこれを里内裏として以降、明治天皇の東京行幸に至るまで約550年間にわたって使用され続けた内裏である。現存の内裏は安政2年(1855年)に、寛政内裏の様式をほぼ踏襲して再建されたもので、安政内裏と呼ばれている。幕末の慶應年間に今日の敷地面積が確定したものである。 明治天皇が京都御所の様子を嘆き、『京都御所を保存し旧観を維持すべし』と宮内省(当時)に命じた。 京都御所に現存する主な建物としては、紫宸殿、清涼殿、小御所(こごしょ)、御学問所(おがくもんじょ)、御常御殿(おつねごてん)、迎春(こうしゅん)、御涼所(おすずみしょ)、皇后宮御常御殿(こうごうぐう おつねごてん)、若宮・姫宮御殿(わかみや・ひめみやごてん)、飛香舎(ひぎょうしゃ)などがある。 京都御苑の北西寄り、築地塀で囲まれた面積約11万平方メートルの区域が京都御所である。御所の敷地は東西約250メートル、南北約450メートルの南北に長い長方形で、そこにはかつての内裏に属していた多くの建物と庭園が残っている。現存する御所の建物は安政度造営のものである。建物群は大きく3つのブロックに分けられる。南寄りには内裏の正殿であった紫宸殿、天皇が政務を執った清涼殿をはじめ、儀式や政務のために用いられた表向きの建物が残る。その北側、敷地のほぼ中央のブロックは、天皇の日常生活や内向きの行事、対面などに使用された内向きの建物群で、小御所、御学問所、御常御殿などがここにある。建築様式は、表向きの建物である紫宸殿や清涼殿が平安時代の住宅建築様式である寝殿造を基調としているのに対し、これらの北にある内向きの建築群は書院造や数寄屋造の要素が強くなっている。ただし、表向きの建築物にしても外向きの建築物にしても寝殿造への復古は平面関係や障壁画や建具などについてであり、外観や立面関係、細部の建築方法は平安時代とは異なった江戸期の技術を用いたデザインとなっている。江戸期の庭園は、紫宸殿の南庭(「だんてい」)や清涼殿の東庭が一面に白砂を敷き詰めた儀式の場としての庭であるのに対し、小御所、御学問所、御常御殿などに接した庭は池と遣水(やりみず、流水の意)を中心にした日本式の庭である。各建物の内部は、それぞれの部屋の格や用途に応じた、さまざまの障壁画で飾られている。これらの障壁画には、狩野派、土佐派、円山四条派をはじめ、江戸時代末期の日本画壇の主要な絵師たちが絵筆を振るっている。京都御所は、平安時代の内裏とは位置が異なり、建物も江戸時代末期の再建であるが、建築、庭園、障壁画が一体となって日本の伝統文化の粋を今に伝えている。 京都御所は敷地の四方を築地塀(延長は東西約250メートル、南北約450メートル)で囲まれている。築地塀は5本の筋の入った、もっとも格式の高いもので、計6か所の門がある。すなわち、南面には建礼門、北面には朔平門、東面の南寄りに建春門、西面は南から北へ宜秋門、清所門、皇后門である。(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)京都御所 については・・https://sankan.kunaicho.go.jp/guide/kyoto.htmlhttps://www.travel.co.jp/guide/article/3242/

京都御所(英:Kyoto Imperial Palace)は、京都府京都市上京区にある皇室関連施設。 1331年から明治2年(1869年)までの間の「内裏(禁裏)」、すなわち歴代天皇が居住し儀式・公務を執り行った場所である。現在は宮内庁京都事務所が管理している。

鎌倉幕府が擁立した光厳天皇がこれを里内裏として以降、明治天皇の東京行幸に至るまで約550年間にわたって使用され続けた内裏である。現存の内裏は安政2年(1855年)に、寛政内裏の様式をほぼ踏襲して再建されたもので、安政内裏と呼ばれている。幕末の慶應年間に今日の敷地面積が確定したものである。 明治天皇が京都御所の様子を嘆き、『京都御所を保存し旧観を維持すべし』と宮内省(当時)に命じた。

京都御所に現存する主な建物としては、紫宸殿、清涼殿、小御所(こごしょ)、御学問所(おがくもんじょ)、御常御殿(おつねごてん)、迎春(こうしゅん)、御涼所(おすずみしょ)、皇后宮御常御殿(こうごうぐう おつねごてん)、若宮・姫宮御殿(わかみや・ひめみやごてん)、飛香舎(ひぎょうしゃ)などがある。

京都御苑の北西寄り、築地塀で囲まれた面積約11万平方メートルの区域が京都御所である。御所の敷地は東西約250メートル、南北約450メートルの南北に長い長方形で、そこにはかつての内裏に属していた多くの建物と庭園が残っている。現存する御所の建物は安政度造営のものである。建物群は大きく3つのブロックに分けられる。南寄りには内裏の正殿であった紫宸殿、天皇が政務を執った清涼殿をはじめ、儀式や政務のために用いられた表向きの建物が残る。その北側、敷地のほぼ中央のブロックは、天皇の日常生活や内向きの行事、対面などに使用された内向きの建物群で、小御所、御学問所、御常御殿などがここにある。
建築様式は、表向きの建物である紫宸殿や清涼殿が平安時代の住宅建築様式である寝殿造を基調としているのに対し、これらの北にある内向きの建築群は書院造や数寄屋造の要素が強くなっている。ただし、表向きの建築物にしても外向きの建築物にしても寝殿造への復古は平面関係や障壁画や建具などについてであり、外観や立面関係、細部の建築方法は平安時代とは異なった江戸期の技術を用いたデザインとなっている。
江戸期の庭園は、紫宸殿の南庭(「だんてい」)や清涼殿の東庭が一面に白砂を敷き詰めた儀式の場としての庭であるのに対し、小御所、御学問所、御常御殿などに接した庭は池と遣水(やりみず、流水の意)を中心にした日本式の庭である。
各建物の内部は、それぞれの部屋の格や用途に応じた、さまざまの障壁画で飾られている。これらの障壁画には、狩野派、土佐派、円山四条派をはじめ、江戸時代末期の日本画壇の主要な絵師たちが絵筆を振るっている。京都御所は、平安時代の内裏とは位置が異なり、建物も江戸時代末期の再建であるが、建築、庭園、障壁画が一体となって日本の伝統文化の粋を今に伝えている。

京都御所は敷地の四方を築地塀(延長は東西約250メートル、南北約450メートル)で囲まれている。築地塀は5本の筋の入った、もっとも格式の高いもので、計6か所の門がある。すなわち、南面には建礼門、北面には朔平門、東面の南寄りに建春門、西面は南から北へ宜秋門、清所門、皇后門である。

(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)

京都御所 については・・
https://sankan.kunaicho.go.jp/guide/kyoto.html
https://www.travel.co.jp/guide/article/3242/

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Japanese

公文所

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くもんじょ

English

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