Images of 古城環
1). 旅の始めに
古濠河が 蠢き春の 目覚めかな
蘇州の中心市街地は、南北が長く東西が狭い長方形であり、その四方は「濠河」(通称「古城河」)で、囲まれている。その「古城河」沿いの、既存の歩道等を整備し、「古城河」を一周する歩行者専用の『環古城河健身歩道』が、昨年11月末に完成した。全長15.5 ㎞の「健身歩道」を歩こうと、「春節」前日、蘇州に出かけた。
2).東古城河沿い
①.蘇州大学コース(相門橋-〇門橋 1,244m)【東呉書香】
(但し、〇は、草冠に封)
「蘇州大学」の本部がある「東古城河」の西側沿いの「健身歩道」の情緒を、【東呉書香】と表現されている。「東呉」とは、「蘇州大学」の前身は「東呉大学」であり、「書香」とは、「読書人」つまり「知識階級」のことである。「蘇州大学」界隈は、嘗ての「東呉大学」の伝統を引き継ぐ、学問の府としての自負が、漂っているのであろう。
②.二郎巷コース (〇門橋-竹輝橋 605m)【東呉書香】
(但し〇は、草冠に封)
「蘇州大学」の南に隣接する地域で、校内の一部が「健身歩道」として利用されており、学問の府としての【東呉書香】の情緒が、感じられる。
3).南古城河沿い
①.桂花公園コース(竹輝橋-南園橋 1,208m)【城南故道】
「竹輝橋」を、南下すると,城内の東南角に「桂花公園」がある。「桂花」は、木犀(モクセイ)の事で、季節には、金、銀の木犀の香りが漂う。この辺りの情緒は、【城南故道】で、「故道」とは、古い河筋のこと。ここは、城内南側の河筋で、此処から、西に回る「古城河」と、南に真っ直ぐ向かう運河に別れる。
②.南門コース (南園橋-蟠龍橋 1,217m)【城南故道】
「南古城河」に沿って、更に西に行くと、「南園橋」に出た。この辺りの情緒は、「桂花公園」コースと同じ【城南故道】で、呉越時代からの河筋に当たる地域である。「南園北路」を西に行くと、「蘇州遊覧船波止場」に出た。
③.盤門コース (蟠龍橋-新市橋 1,527m)【水陸遺輝】
「南古城河」沿いを、西に向かうと、放物線状の「蟠龍橋」に辿り着く。「蟠龍橋」から、西を見ると、「呉門橋」と、奥に「盤門」、右手の方に、「瑞光塔」が見える。
春愁の 翳踏み渡る 呉門橋
「呉門橋」から、水陸の遺構がある「盤門」を眺め、【水陸遺輝】の情緒を、楽しんだ。「西古城河」の「新市橋」を渡り、城内の「西古城河」沿いを北へ向かった。
4).西古城河沿い
①.少年宮殿コース(新市橋-姑胥橋 1,122m)【水陸遺輝】
「新市橋」を渡り、「西古城河」沿いの「健身歩道」を行くと、「百花洲公園」に出た。その先に,放物線状の「万年橋」、その背後の「姑胥橋」が見え、その先に「胥門広場」があった。そこには、「伍子胥」の大きな石像があり、その辺りの城壁も復元され、蘇州の代表的な城門の「胥門」があった。更に、「万年橋」の先に見える「姑胥橋」の架かる「道前街」に向かった。この地区は、先の盤門コースと、地域的情緒は同じで、【水陸遺輝】の雰囲気が漂う地域であった。
②.石路コース (姑胥橋-景徳橋 1,114m)【古韻今風】
「姑胥橋」からは、「西古城河」の右手の河畔沿いを歩き、地下鉄1号線が通る「干将西路」を横切り、再び「西古城河」沿いに、北に向かった。
この一帯の城内側には、解放後の住宅団地(学士花園など)が広がっていた。古城河は、此処から大きく西にカーブし、東西に走る「景徳路」に架かる「景徳橋」(愛河橋)辺りは、古くからの住宅地で、【古韻今風】と言われ、古き良き時代の面影を残しながら、新しさをも感じさせる情緒が、漂っていた。
③.〇門コース (景徳橋-恵済橋 1,610m)【古韻今風】
(※ 〇印は 門構えに昌 )
「西古城河」に架かる「吊橋」を渡り、「〇門」(〇は門構えに昌)遺跡を見て、再び「吊橋」の手前近くまで戻り、「北〇頭」(〇は石偏に馬)に向かった。「北〇頭」の「健身歩道」は、メイン道路でもあり、春節の時期でもあり、結構な人通りであった。
「北〇頭」通りを北へ歩いて行くと、「西古城河」に架かる「五龍橋」が見えた。「五龍橋」の石段を上り、橋から北西の河筋を見ると、「西古城河」が、再び左へ流れが変わっていた。北に行くにつれ、道路は徐々に「西古城河」に近づき、河筋が大きく東へ曲がる地点に、「恵済橋」があった。「吊橋」を渡り、「〇門」(〇は門構えに昌)遺跡までは、良き時代の面影があり、新しく開発された「北〇頭」(〇は石偏に馬)の、現代的な風情とが交わり、まさに【古韻今風】と言う情緒であった。
5).北古城河沿い
①.平門コース (恵済橋-斉門橋 2,215m)【平斉水韻】
「恵済橋」から右にカーブを切った古城河は、「蘇州広済医院」を対岸に見て、その先の「蘇州駅」を眺めながらが行くと、「北古城河」と合流した。「平門」は、現在の「蘇州駅」の南口広場から、「北古城河」を挟んだ真向い付近にある。民国17年に、復元されたものである。この「平門」は、伍子胥が、大軍を率いて、この城門から出発し、斉の国を平定後、この城門から凱旋したので、「平門」と名付けられた。
僕は 城壁の上から「蘇州駅」を見て、城壁の下に降り、「蘇州城」の嘗ての「北門」を見ながら、北古城河」に架かる「平門橋」まで歩き、再び、北古城河畔の緑道を、「斉門橋」まで歩いた。この辺りの情緒は【平斉水韻】と表現されているが、「平門」「斉門」の前を流れる「北古城河」の水の調べを聞きながら、戦乱に生きる日々にあっても、心穏やかな一時を楽しんだのではなかろうかと、想像していた。
②.糖坊湾コース(斉門橋-婁門橋 2,078m)【平斉水韻】
「斉門橋」は、南北に走る幹線街路の「斉門路」・・・。
(以下 添付写真参照)
* Coordinator: H. Gu