Images of 吉野晃章
ヒロミ(1965年(昭和40年)2月13日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、実業家、レーサー、YouTuber。株式会社「ビィーカンパニー」代表取締役社長 トレーニングジム「スタジオ51.5」代表 オンラインショップ「ハチオウジ工務店」社長 「芸能文化人ガンクラブ」会長 八王子会代表 お笑いトリオ「B21スペシャル」のリーダーであり、関東を代表するお笑い第三世代。1985年、お笑い芸人になるために、都内のホストクラブに勤務していたヒロミは、同僚の中からルックスの良いアイドル志望の伊東努(デビット伊東)と、ミュージカル役者&ダンサー志望だった三宅康敏(ミスターちん)に声を掛け、必死で彼らを口説き落としてお笑いの道に引き込む。こうして1986年、コントグループB21スペシャルを結成。オシャレ感のない当時の若手芸人らとの区別をするため、衣装はDCブランドにしようというのはヒロミの発案であった。アルバイト先の新宿のショーパブの客から、ビートたけしと星セントを紹介された。敢えて尊敬するビートたけしではなく星セントを選び師事。その理由は「この3人で勝負したかったから」だという 最初の新宿のショーパブから、当時最も人気が高く、事務所やテレビ関係者が訪れていた六本木のショーパブ「バナナパワー」に移籍後に評判となった 店のスタッフがグッズを製作するなど、他の出演芸人が羨むほどのバックアップを受け(浅草キッド談)、新人ライブで勝ち抜いて名を馳せて行く 本格的にテレビ界へ進出すべく、横山やすしが司会を担当していた番組『ザ・テレビ演芸』に出演 「飛び出せ笑いのニュースター10週勝ち抜きシリーズ」にて10週連続で勝ち抜き、第4代目チャンピオンを獲得した 最終週で披露したネタ「六本木ステーション」は、審査員を担当していた糸井重里に「ネタだけなら今売れている芸人の誰にも負けない」と言わしめる。結果的に、下積み時代がほとんど無く、B21スペシャルはアイドルのような見た目とテンポの良いコントで評価され、視聴者に広がった。ヒロミ自身、一度死にかけた経験からか怖いもの知らずであったことから、先輩にも毒舌を繰り出し、強気のツッコミを武器にテレビの世界で人気を博す。2004年7月24日から25日にかけて放送された『27時間テレビ』のコーナー「生・笑わず嫌い王決定戦」で、10数年ぶりにB21スペシャルとして復活しコントを披露した しかしこれと同時期にごく一部のゲスト出演などを除いて芸能界から姿を消す この大きな理由としては親友だった吉野晃章の病死でショックを受けたことを挙げている 芸能界から離れたヒロミは、加圧トレーニングジムや岩盤浴の経営などに従事 芸能活動休止までの間は天狗になっていたが、経営者として仕事をするうちに、ヒロミは優しさや労いの気持ちを持つようになった 2014年以降、テレビバラエティに本格復帰 前年9月に東京オリンピックの開催決定した事が転機になったと語っている。また、休業中も連絡を取っていた中居正広から「いい加減にテレビ出たらどうですか?」と復帰を勧められていたことも関係しており、復帰直後からの節目で共演している。B21スペシャルでデビュー当時、横山やすし司会の『ザ・テレビ演芸』にてコントを披露し、関西弁を少しバカにするようなツッコミを入れた際、横山からネタ中に乱入され「なめとんか!」と蹴られたものの、ヒロミは「この人、何なんだろう」と当惑 アドリブで「おじさん、ちょっとそっち座ってな」と言ってコントを続行しようとしたところ、「お前いい根性しとる」「お前、おもろい」と気に入られた そこから10週勝ち抜き、審査員が選ぶ前にその前にやすしが『お前の勝ちや』と言い、それで勝利が決まっていた。その後も、やすしから気に入られ、食事を奢られる程。八王子出身者から慕われており、八王子会の代表を務めている。メンバーはフワちゃん、ROLAND、児嶋一哉(アンジャッシュ)、菊地英昭・英二兄弟(THE YELLOW MONKEY)、ファンキー加藤(FUNKY MONKEY BΛBY'S)、マキシマム ザ ホルモンの4人、高橋みなみなどがいる。基本的に芸能界に八王子出身者なら誰でも入れるので、正確な入会者は不明だが、この他にもメンバーはまだまだいるとの事。しかし、渡部建(アンジャッシュ)は入会拒否されており、その後に渡部の不倫騒動が発覚し、予言していたのではないかと噂が広まった。またヒロミの妹が渡部の相方・児嶋一哉と同級生である縁でヒロミに弟子入りを頼んだが、弟子は取っていなかったため、当時ヒロミが所属していた人力舎の養成所が設立されるとの事で、養成所を勧め紹介した。