Images of 吉鷹弘
満州といえば劇団四季のミュージカルで公演されている「李香蘭」こと山口淑子(1920年2月12日、撫順生、現在85歳)と別冊で記述するが、こちらも映画、ドラマ、伝記などで有名な「男装の麗人、川島芳子」(1907−1948年)歴史の波に翻弄された2人のヨシコを忘れることができない。
山口淑子の父・文雄は南満州鉄道(満鉄)が経営する撫順炭鉱の社員に中国語を教える仕事をしていた。淑子も父の北京語の授業を炭鉱社員と一緒に受け、幼くして日本語、中国語のバイリンガルになっていた。父・文雄は瀋陽銀行総裁の李際春将軍と親しくしていた。中国では2つの家族が親しくなると養子縁組のようなことをするらしく、淑子は李際春の養女として李香蘭の名をもらった。北京の女子高に進学した淑子は白系ロシア人のリューバと出会い、亡命オペラ歌手ポドレソフの紹介を受ける。ポドレソフの指導で声楽の才能を開花した淑子はステージに立ちラジオ出演もする。1938年女学校を卒業した淑子に長春(旧新京)にできたばかりの満州映画協会(満映)から誘いの声がかかった。満映の理事長であり、関東軍の謀略工作参謀である甘粕正彦が、中国人として育ち、日中両方の言葉が堪能で歌唱力があり、しかも表紙写真の通り絶世の美人である淑子に目を付けたのは当然の流れだったのかもしれない。
淑子は「日本と満州の親善のため」との美名に従い18歳で女優・李香蘭となる。李香蘭は中国人女性の代表として日本人男性代表の長谷川一夫などと共演し、日中のラブ・ストーリーを描く映画などで瞬く間にトップスターに駆け上がった。李香蘭は1943年まで6年間満映が企画する日本を礼賛する映画に中国人女優として出演、映画挿入歌で今も歌われる「夜来香(イエライシャン)」はアジア全土で大ヒットした。
李香蘭は中国人の中でも人気スターであった一方、反日中国人達からは日本帝国主義の片棒を担ぐ「売国奴」と言われ非難されていた。1945年8月15日、彼女は上海で玉音放送を聞いている。終戦の安堵も束の間、中国軍に逮捕され「中国人でありながら日本軍に協力した漢奸(売国奴)」の容疑で軍事法廷に立たされる。李香蘭は銃殺刑が宣告される寸前に古い戸籍票で日本人、山口淑子であることの証明に成功し、処刑を免れた。
強制収容所から放免された淑子はアメリカのハリウッドに渡り女優を続け、1951年に世界的彫刻家、イサム・ノグチと結婚、1955年離婚、1958年外交官大鷹弘と再婚し映画界から引退する。1969年にはフジテレビの「3時のあなた」のキャスターとして人気を博し1974年から1992年まで3期18年間参議院議員として世界平和や環境問題に尽力した。
李香蘭は冒頭の劇団四季のミュージカルを始め、映画、テレビドラマ、伝記など数多く紹介されている。それは、彼女が中国人と日本人の二つの顔を持ち、日本の中国侵略に利用されるという不幸な時代の辛酸を舐めた生き証人だからだ。李香蘭は日本と中国の不幸な時代を物語る、決して忘れてはならない歴史の偉人と言っても過言ではないだろう。
(写真は満映時代の李香蘭)