Images of 城陽井手木津川バイパス
木津川サイクリングロード(CR)、我々が散歩で歩くのは、上流の玉水橋から下流の手原川合流までの部分。
玉水橋は山城大橋の約3㎞上流、奈良県生駒市と京都府井手町を結ぶ奈良県道・京都府道65号生駒井手線の東の端に架かる青い箱桁橋で、東詰の約700m東にJR奈良線玉水駅、西詰の約1㎞西にJR片町線三山木駅がある。2003年に開通した長さ474.5mの3代目の橋。初代の木造の橋は1904年(明治37年)に開通したが1953年(昭和28年)の南山城水害により流失した。3年後に2代目が完成したが老巧化が進み21世紀になって架け替えられた。玉水橋の上流すぐには京田辺にあった木津川の7つの渡しの一番上流の山本の渡し・船着場跡の碑があるそうだが、そこまでは行ってない。また、機会を見つけて行こう。
玉水橋の500m下流、飯岡(いのおか)丘陵の南東端に飯岡の渡し場跡の碑がある。京田辺では上流から2つ目の渡しで月の名所としても有名。近くにふ船休みと云う船型のベンチが置かれた公園があるが、トイレや水道はない。
飯岡丘陵には古墳時代の古墳が多く残り、また歴史ある神社も残っている(https://4travel.jp/travelogue/11625043)。この丘陵は木津川に突き出した千貫岬と呼ばれた大岩に続いており水不足に悩まされていた。江戸時代中期の1763年に、豊田武兵衛がこの岩を打ち抜き、用水・排水路を開削する工事に着手。難工事のすえ9年後に万年樋と呼ばれる230m余りの水路を完成させた。飯岡の渡しの碑の南側をこの樋が横切っており、その上に豊田翁の碑などが建てられている。
現在の飯岡は世界的に玉露の産地として知られている。1738年、宇治湯屋谷の永谷宗円がそれまでの一般的な製法である釜炒りや碾茶(抹茶)に手を加え工夫し、蒸し製法といいうものを確立させ煎茶が誕生したが、高級な煎茶として碾茶の栽培方法にある覆下栽培を取り入れ、1835年に江戸日本橋の茶商「山本山」の6代目である山本嘉兵衛が玉露を誕生させた。この玉露の栽培には砂地で水はけのいい土地が適しており、木津川が削り取ったこの丘陵は日当たりもよく玉露作りが広がった。
京田辺の玉露は全国茶品評会において1948年以来15回の玉露部門一等一席(農林水産大臣賞)を受賞している他、良質なお茶が出来る地域に贈られる産地賞も、11回受賞している。最近の品評会は、味の旨味や香りより、茶の形を重んじる傾向があり、苦戦をしているそうだが、出品茶販売会においては、他府県上位出品者よりも高値で入札され、ほんまもんの玉露として評価されているそうだ。
飯岡丘陵の少し下流、普賢寺川に至るまでの間の河川敷にセンダンの林があり、この時期(5月中旬)、淡紫色の花を多数、円錐状に付けており、とても綺麗(下の写真1)。センダンって初めて見た。なお、「大成する人は幼い頃から優れている」と云う意の「栴檀(センダン)は双葉より芳し」という諺があるが、これは中国の諺で、中国では白檀(ビャクダン)のことを栴檀と書くので、このセンダンではない。
下流に進み、普賢寺川が木津川河川敷に流れ込む辺りから河川敷には茶畑が多くある(下の写真2)。ここもほとんどは、玉露の畑でこの時期は黒い日除けで覆われている。飯岡と同じように砂地で水はけがよく、日当たりがいいので、京田辺だけでなく、城陽、井出、八幡の木津川河川敷には多くの茶畑がある。
さらに下流、初代の橋が1964年に開通するまでは府道として認定され、無料で渡ることが出来た草内の渡し場跡の碑を過ぎると山城大橋。1970年から国道307号線となった京田辺市と城陽市の間に架かる長さ540.5mの赤い色の単独単弦ローゼ橋。現在の橋のすぐ上流にあった初代の橋が幅員6mで歩道もなかったため、田辺バイパス開通に合わせて新橋建設が事業化され、1998年に開通した2代目の橋。近鉄京都線新田辺駅の約2㎞東、城陽側はJR奈良線の山城青谷駅と山城多賀駅の間になり、それぞれ駅まではやはり2㎞ほどある。京田辺市で木津川に架かる人が歩いて渡れる橋は、この橋と玉水橋の2つだけ。
山城大橋の京田辺側上流の河川敷には1978年に開設された草内木津川運動公園があり、茶畑の隣に軟式野球場1面が整備されている。台風で大雨になると、冠水してしまうグランドで、この10年では5回冠水している。一番最近では2017年10月の台風21号で冠水した(下の写真3)。グランドだけじゃなく、もちろん茶畑も冠水するから大変だよなあ(下の写真4)。
また、このグランドは1984年から毎年2月の第1日曜に開催されている木津川マラソンのスタート&ゴール地点となっている。木津川マラソンはこのグランドからサイクリングロードを上流に8.5㎞走り、精華町祝園で折り返し、21㎞下流の三川合流の近く、八幡市北浦まで走り、再び折り返してこのグラウンドに戻って来る。全国でも数少ない制限時間のないマラソン大会で、コースのアップダウンが少ないので初心者が走り易いのかしら?会社関係の知り合いが何人かは走ってるけど、私が自分で走ることには興味がないので聞いたことないわ。
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山城大橋から下流部に続く
2020年11月19日(木)朝の10時前、約1ヶ月振りに木津川沿いに走る木津川サイクリングロード(CR)へ。10月に山城大橋から下流に走り、上津屋(こうづや)流れ橋まで走ったが、今回は流れ橋を渡らずにさらに下流に向かう。
木津川CRに関して以前書いた旅行記は以下の通り。
<京田辺 木津川サイクリングロード>https://4travel.jp/travelogue/11625745
<京田辺 木津川CR山城大橋上流>https://4travel.jp/travelogue/11625747
<精華 木津川CR 玉水橋から上流>https://4travel.jp/travelogue/11628636
<木津 木津川CR 泉大橋まで>https://4travel.jp/travelogue/11628640
<京田辺 木津川CR山城大橋下流>https://4travel.jp/travelogue/11625748
<八幡 木津川CR 流れ橋上流>https://4travel.jp/travelogue/11665215
山城大橋から約30分走り、10時15分過ぎに上津屋流れ橋を通過。流れ橋のすぐ先(西側)に架かるのが第二京阪木津川橋。長さ430m。2010年に開通した京都伏見の鴨川東ICと大阪門真の門真JCTを結ぶ第二京阪が通る自動車専用道と側道の一般道(京都南道路)から成っており、一般道橋は新木津川大橋と云う名前を持っている。
この橋の北側に第二京阪の大阪方面専用出入口の久御山南IC、南側に京都方面専用出入口の八幡東ICがある。高速も一般道も何度も走ってるが、この時点では自転車では渡ったことはなかった。自転車も人も自転車通行可の歩道があるので、問題なく渡れる。
第二京阪をアンダーパスで潜るとすぐに上津屋樋門。木津川と並行して京田辺から八幡に流れる防賀川の木津川への排水路にある樋門で、木津川増水時の逆流を防ぐ(下の写真1)。この樋門の下流部には茶畑が広がるが、ここが木津川の一番下流の河川敷茶畑。
茶畑を見ながら5分ほど走ると国道1号線木津川大橋。全長398.40m。1966年に東京と大阪を結ぶ国道1号線の枚方バイパスとして開通。21世紀に入り、さらにそのバイパスである第二京阪道路の供用が開始されたが、依然として交通量は多い。ここは自転車道はいったん河川敷に降りて、登る。しんど。
正面に京都の西山連峰。高雄から愛宕山、小倉山、嵐山(と云う山もある)を経て、ポンポン山から天王山まで続く京都の西に連なる山々。全体が良く見える。進んでいくと左手前方には淀川のこちら側にある男山が見えてくる。そして、10分足らずで八幡排水機場。防賀川が流れ込む大谷川周辺の浸水被害の軽減のために、1966年に2機、1992年に4機のポンプが設置された排水設備。樋門もある(下の写真2)
10時半過ぎ、八幡排水機場を過ぎたところからサイクリングロードを外れて、八幡市内に降りたが、木津川のサイクリングロードは御幸橋まで続き、その部分は帰りに走った。時系列的には逆に回ったが、八幡排水機場の下流すぐにあるのが大阪ガスの近畿幹線第2東部ラインガス管専用橋。都市ガスの供給用ガスラインで、1978年に完成。さらに400m下流に京阪本線木津川橋梁。1927年竣工で、9連プラットトラス桁鉄橋の長さは328mあり、京阪電車で最長。
そして、木津川のサイクリングロードの一番下流には御幸(ごこう)橋が架かるが、この橋の話は後程。サイクリングロードは御幸橋を渡って、この先は桂川沿いを遡り、嵐山まで続く。この桂川部分、2003年から04年に掛けて走ったことあるが、かなり昔の話なので、また改めて走りたいものだ。
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サイクリングロードから八幡市内に降りるが、続く