Images of 大石邦彦
黒岳を下山後は、層雲峡を訪れました。まずは大函。そして、銀河の滝、流星の滝へ。二つの滝を眺められる双曝台まで登りました。
その後、上川町の中心街へ。うっかりしていましたが、上川町は女子スキージャンプ高梨沙羅選手の出身地です。以前から、高梨選手の実家がオーナーのセブンイレブンがあると聞いていたのだが、それはこの近くってことですね?と、急にテンションが上がった。調べてみると上川町にセブンイレブンは2軒しかなく、町の中心街と層雲峡温泉にあり、高梨さん関連は後者とのこと。何と、層雲峡温泉のセブンイレブンがそれだったとは!と驚き、宿に戻る際に立ち寄りました。
また上川町では、上川大雪酒造を訪れ、セイコーマートで「神川」を購入しました。
宿泊先の層雲峡ホステルでは、山岳カメラマンの石井邦彦さんが撮影の打合せをしていました。話しかければよかった!と嫁はんは後悔していました。
□ 8/ 6 羽田→新千歳 夕張 旭岳温泉泊
□ 8/ 7 大雪山旭岳、美瑛 旭岳温泉泊
□ 8/ 8 富良野、帯広 帯広泊
□ 8/ 9 池田、釧路 屈斜路泊
□ 8/10 知床 屈斜路泊
□ 8/11 雌阿寒岳 網走泊
□ 8/12 網走、北見 層雲峡泊
■ 8/13 大雪山黒岳 層雲峡泊
□ 8/14 富良野 千歳泊
□ 8/15 新千歳→羽田
■:当ページの旅行記で記述している部分です。
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東急東横線大倉山駅から山を登った横浜市港北区大倉山2丁目にある大倉山記念館は(財)大倉精神文化研究所図書館である。実業家で後に東洋大学学長を務めた大倉邦彦(1882年〜1971年)により昭和7年(1932年)「大倉精神文化研究所」の本館として創建された。昭和56年(1981)横浜市が寄贈を受け、大改修のうえ建物の保存を図るとともに、昭和59年(1984年)大倉山記念館として生まれ変った。
大倉邦彦は佐賀県神埼の生まれで、大倉洋紙店(現新生紙パルプ商事)に入社し、社長に見込まれて婿養子となり、その後社長に就任し、事業を大きく発展させた。地元で生まれ育っても大倉山記念館は大倉財閥が造ったと勘違いしている知人夫婦がいるが、越後新発田出身で大倉財閥(日本の中堅財閥)を創設した大倉喜八郎(1837年〜1928年)とは別人である。大型犬の散歩をしていたおばさんに駅までの道を尋ねたら、散歩道の途中まで送ってくれた。途中で大倉山記念館の話をしたら、やはり大倉財閥が建てたものだとばかり思っていた。地元の人でも大倉山記念館を建てたのは大倉邦彦であることを知っている人は案外少ないのでは?
東京急行電鉄の「太尾駅」も昭和9年(1934年)に「大倉山駅」と改称され、東京急行電鉄が乗降客誘致のために梅林を造って開園した「太尾公園」も「大倉山公園」に改められている。駅周辺は、かつては太尾町の街区の一部だったが、平成19年(2007年)以降に順次住居表示の変更が行われ、「大倉山1〜7丁目」になり、「太尾町」は消滅した。古くは武蔵国橘樹(たちばな)郡太尾村からの歴史がある太尾の地は動物(狐)の太い尾のような形から付いたとされるが、その尾がなくなったのだ。猿から人への進化のようなものなのか、「太尾」のを冠した建物などにその痕跡がいつまで残るのであろうか。
(表紙写真は大倉山記念館)