Images of 小嶋仁八郎
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津軽三味線(つがるじゃみせん)は、津軽地方(現在の青森県西部)で成立した三味線音楽。本来は津軽地方の民謡伴奏に用いられるが、現代においては特に独奏を指して「津軽三味線」と呼ぶ場合が多い。撥を叩きつけるように弾く打楽器的奏法と、テンポが速く音数が多い楽曲に特徴がある。
津軽三味線の楽曲の原型は、新潟地方の瞽女(ごぜ)の三味線と言われる。その他、北前船によって日本海側各地の音楽が津軽に伝わり、津軽民謡は独特の発達をみる。しかし、津軽地方においてはボサマと言われる男性視覚障害者の門付け芸として長く蔑まれていた。そのためもあり、津軽三味線の起源をたどることができる文献はごく僅かで、歴史に関してはおおむね口伝に依る。
大條によると、津軽三味線の始祖は、幕末に五所川原の金木地区に生まれたボサマ「仁太坊」(にたぼう)。それまで地味な門付け芸だった三味線音楽に革新的な奏法を取り入れ、津軽三味線の原型を築いたという。仁太坊と共に、黒川桃太郎や梅田豊月らが競い合いつつ、さらに時代がくだり、高橋竹山・白川軍八郎・木田林松栄らの演奏家が出るに及んで、津軽地方の三味線は他の三味線音楽とは全く異質な音楽として発達を遂げる。三味線も細棹ないし中棹から太棹に変化し、奏法も「叩き」を中心とする打楽器的な奏法が主流を占めた。
三味線は、それまで瞽女と同じ中棹や細棹を用いていたものが太棹になり、撥は速弾きに適した小振りなものとなり、音楽もまた一部に「叩き」と呼ばれるパーカッシヴな奏法を用いた、複雑かつハイテンポなものに変化していった。竹山自身、「三味線なんて音が大きく出ればそれで良かった。音が大きいから太棹を選んだんだ」と語っており、より目立つため、技量を誇示するために、大音量で複雑かつ高度な技術を盛り込んだ音楽が発達したと言える。
昭和40年代の民謡ブームで一世を風靡、それまで単に「津軽もの」などと呼ばれていたこの三味線音楽を、三橋美智也らが「津軽三味線」と称して、以後定着をみる。本来は単なる伴奏楽器として、観客に見えぬよう舞台袖で演奏するものだったが、時代が下るにつれ、三味線のみで演奏する前奏部分(前弾き)が独奏として独立してゆく。
味線本体の寸法は義太夫の三味線とほぼ同じで、棹材には稽古用として花梨、舞台用で高級なものになると紅木を用いる。後者の方が材質が固い為音質が良く、棹の摩耗(勘減り)が少ない。通常三分割できる構造になっており、継ぎ目に「金ホゾ」と呼ばれる金細工を施してある場合がある。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)
津軽三味線会館については
http://www.kanagi-gc.net/syami/index.html
http://www.city.goshogawara.lg.jp/16_kanko/syami/syamikaikan.html#1
三橋 美智也(1930年11月10日 - 1996年1月8日)は日本の演歌歌手。本名は、北沢 美智也。北海道函館市近郊の上磯町(現・北斗市)で生まれ、函館市で育つ。愛称は「ミッチー」。
民謡をベースにした伸びとつやのある美声で、春日八郎、村田英雄らとともに長年歌謡界をリードしてきた、戦後日本を代表する男性流行歌手。多くのヒット曲を連発し、昭和30年代には「リンゴ村から」「哀愁列車」「母恋吹雪」「おさらば東京」「夕焼けとんび」「古城」「達者でナ」「星屑の町」などをはじめ18曲ものミリオンセラーを出し、歌謡曲黄金期を代表する男性歌手となった。
さらに、長年の民謡の業を元に、民謡三橋流を創設。津軽三味線を演奏し、レコードも出している。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)
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