【7】建築デザインの開花。関東大震災後の復興事業・土地区画整理事業を推進したは、建築家・構造学者の佐野利器。内務大臣後藤新平が帝都復興院を置いて総裁に就き、その依頼で佐野も帝都復興院理事・建築局長に就任。芸術としての建築より、工学としての建築、特に耐震工学に重きを置き「構造派」と呼ばれていた。単純な箱を提唱していたのでなく、デザインも重視していた。都市不燃化の一環として100を超える、当時まだ珍しい鉄筋コンクリート造の復興小学校建築に当たった。震災前から建築に新しい意匠を模索する動きがあったが、復興を機に多様となった。復興にあたり官民の建築は、機能重視のインターナショナルスタイル(白木屋デパート)、バウハウスの影響が見られる表現派、帝国ホテルを設計したライトの様式、従来からの装飾が多い様式的折衷的な建築、和風屋根をかけた帝冠様式(歌舞伎座)など様々なデザインで一斉に建築され、東京にモダニズムの空間が生み出されていった【7】1921年(大正10年)頃・(東京名所)日本橋 Old Photos, Vintage Photos, Modern Japanese Architecture, Historical Architecture, Old Photography, Paris Skyline, Louvre, Views, Olds