Images of 日根紘三
1993年結成。結成最初期のメンバーはIZAM、NIY、NIYの弟という編成だったが、結成から少し経った後にギターを担当していたNIYの弟が脱退。しばらくバンドにはギタリストが不在の状態で、メンバーの募集をしたところ、ほどなくしてA・O・Iが加入。更にその後、ドラム担当として当時既に別のバンドを組んで活動していたKATSURA(後述)も加入し、4人編成でインディーズデビューを果たした。ヴォーカル・IZAMが学生時代にカルチャー・クラブのボーイ・ジョージから影響を受けた中性的なルックスと、1980年代のヒット・チャートを思わせる軽快な楽曲でインディーズながら爆発的な人気を博した。のちにSHAZNAの代表曲となる「Melty Love」を収録した自主製作のミニアルバム『Melty Case』は、3000枚を完売した。2007年8月8日に10周年記念アルバム『10th Melty Life』を発売した エンハンスト仕様で、「Melty Love」のラスト・インディーズ・ヴァージョンのPVが収録されている 8月19日には十周年記念公演「Summer Celebration☆10th Melty Life☆」を恵比寿LIQUIDROOMにて開催した 9月5日にはベスト盤『SINGLE BEST SHAZNA & IZAM』を発売した。本名は日根 良和(ひね よしかず)。身長180cm。父親は国鉄スワローズの投手だった日根紘三。インディーズ時代のバンドネームは「葵翠 -kisui-」「IZANE」「IZAMÜ」「IZAMU」など活動時期・ミニアルバムの発売ごとに変わり、インディーズラストアルバム『Promise Eve』にて現在の「IZAM」名義となる。AOIとのバンド「alcali-5」では「十六夢(いざむ)」名義で活動。初期は「A・O・I」名義 活動休止後はソロとして「AOI UNPLUGGED」にてVocal&A.Guitarによる単独公演を開催。ショートフィルム『ガラクタノココロ』を「葵圭介」名義で自主制作。インディーズムービー・フェスティバルにおいてグランプリを受賞した。SHAZNAに加入する前はオーディションを受けており、ライヴハウスのスタッフの紹介で新宿のマクドナルドでメンバーと顔を合わせた。AOIは「僕も下手だから一緒に頑張ろうよ」と言い、SHAZNAに加入した。2人兄弟で、A O IがSHAZNAに加入する前は弟がギターを弾いていた。しかしNIYの弟は、音楽性の違いと当時高校に通っていて、単位が取れなくなるとの理由により、結成後すぐに脱退した。インディーズデビュー直前に一般人女性と結婚。一児を儲けたが、妻の浪費癖等によるトラブルなどで長男が小学生の頃に離婚。長男の親権は妻が持っている。活動休止後は「FANBLE」のベーシストとしても活動。解散後は主にエムキチ・ビートにて舞台俳優として活動していた。神奈川県出身。血液型O型。身長158cm。インディーズ時代にドラムを担当。当時のメンバーでは唯一のバンド経験者であった。1996年8月1日に発売されたインディーズアルバム『Raspberry Time』を最後にSHAZNAを脱退。翌1997年、BAISERのメンバーとしてメジャーデビューを果たしたが、2000年5月に同バンドは解散。その後はインディーズに戻り、様々なヴィジュアル系バンドを転々とした後、音楽活動を引退。現在は野球チームをやっている。