Images of 村岡晋一
1972年『太陽にほえろ!』に出演を果たし、ゴリさんこと石塚誠刑事役を1982年の殉職まで10年間(525話)務め、『太陽にほえろ!』では出演俳優で最多の92話に主演した。撮影現場では、ゴリさんの役柄そのままに新人教育係を務めていた。2009年には缶コーヒーのCMで再び石塚誠を演じた 。1982年には放映開始からゴリさん役で10年間出演していた『太陽にほえろ!』を殉職という形でついに降板し、番組からの降板に際して、写真集『竜雷太in太陽にほえろ!』が日本テレビより販売された。『太陽にほえろ!』降板4か月後にTBS系列『金曜日の妻たちへ』に村越隆正役で出演 このドラマは当時『太陽』が終了して1時間後(金曜22時)からの放送であり、竜は「あれで変われた気がするね 普通の俳優さんになったって思う 」と語った。抜擢前はアルバイトで生活していたが番組に抜擢されると朝から晩まで撮影でアルバイトできずお金が入ってこなくなった。また、当時の安アパートには風呂がなく、銭湯に通っていたが、みんなが裸の自分を嘗め回すように見るので、お客がいない夜遅くでないと風呂に入れず、風呂付のアパートに引っ越させて欲しいと要請した。岡田晋吉はこれ以降、抜擢した新人にギャラの前渡しと風呂付のアパートを世話することにした。岡田晋吉が『太陽にほえろ!』で松田優作、勝野洋など多くの無名俳優を新人刑事として抜擢したのは、岡田が無名の新人だった竜を『これが青春だ』の主人公に抜擢して成功した経験による 『これが青春だ』は『青春とはなんだ』の主演を務めた夏木陽介が主役を務める予定だったが、クランクイン一か月ほど前に東宝から「夏木に映画の話がきたのでテレビには出演させない 」と一方的通告があり、一か八か新人を主役に抜擢して対処しようと考え、心中覚悟で竜雷太と芸名をつけ主役に抜擢した 当時ドラマの主役を新人が務めるのは全く考えられないことであったが、竜の成功で、岡田晋吉は、「主役が新人でも素質があれば視聴率が取れるドラマを作ることができる」ことを学び、新人刑事が中心人物となる『太陽にほえろ!』の企画を生み出した。石原裕次郎は当初『太陽にほえろ!』をワンクール、十三本ほどで終わるものと思っていた。岡田晋吉は、日本テレビやスポンサーには一年は続けると約束していたので、成城の自宅に出向き必死に頼んだが、映画で育ち、映画で国民的スターになった石原は渋っていた。「やっぱり映画だよ 」と言っていた石原が翻意したのは、酒が飲めない岡田の代わりに竜が朝まで飲み明かして「これからはテレビの時代です 」「テレビには長く出続けないと意味がない 」と進言して口説き落としたことによるという。石原が降板とならなかったのは、竜雷太のおかげであると断言してもいいと岡田は証言している。竜は高校・大学時代、石原にあこがれて、同じ32インチのパンツを引きずってはいていた。熱血漢で正義感溢れる「ゴリさん」の役柄そのままに、撮影現場の心得がわからない新人刑事に抜擢された俳優に対して、私生活では腰が低く、撮影所に来たら先ず全員に挨拶し、画面に出たら胸を張って演技に臨むという気持ちの切り替えを含め、細かく的確な指導をした それは、自らが無名の俳優からドラマの主役に抜擢された体験に裏打ちされた説得力あるもので、若い俳優が失敗すると、「長い目で見てやって下さい 奴は一生懸命なんですから 」とスタッフに頭を下げていた。