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松本清張記念館 については・・
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松本 清張(まつもと せいちょう、1909年- 1992年8月4日)は、日本の作家。「せいちょう」はペンネームで、本名は「きよはる」と読む。
1953年に『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞。以降しばらく、歴史小説・現代小説の短編を中心に執筆した。1958年には『点と線』『眼の壁』を発表。これらの作品がベストセラーになり松本清張ブーム、社会派推理小説ブームを起こす[。 以後、『ゼロの焦点』『砂の器』などの作品もベストセラーになり戦後日本を代表する作家となる。その他、『かげろう絵図』などの時代小説を手がけているが、『古代史疑』などで日本古代史にも強い関心を示し、『火の路』などの小説作品に結実した。
緻密で深い研究に基づく自説の発表は小説家の水準を超えると評される。また、『日本の黒い霧』『昭和史発掘』などのノンフィクションをはじめ、近代史・現代史に取り組んだ諸作品を著し、森鷗外や菊池寛に関する評伝を残すなど、広い領域にまたがる創作活動を続けた。
1956年5月31日付で朝日新聞社を退社。以後、作家活動に専念することになる。
1957年から雑誌『旅』に『点と線』を連載する。翌年刊行され、『眼の壁』とともにベストセラーとなった。「清張以前」「清張以後」という言葉も出て、「清張ブーム」が起こった。
その後も執筆量は衰えず、『ゼロの焦点』『かげろう絵図』『黒い画集』『歪んだ複写』などを上梓。執筆量の限界に挑んだ。
1961年、前年度の高額納税者番付で作家部門の1位に。 以降13回1位。杉並区高井戸に転居。『わるいやつら』『砂の器』『けものみち』『天保図録』を発表。
1964年、 初の海外旅行。ヨーロッパ・中東諸国を歴訪。
1968年、ベトナムの委員会からの招待で2月に北ベトナム各地、およびカンボジアやラオスなどの視察旅行に出発。帰国後の4月には来日したエドガー・スノーと対談した。
1969年 - カッパ・ノベルス版の発行部数が1000万部を突破。
1970年、『昭和史発掘』などの創作活動で第18回菊池寛賞を受賞。同年、『日本の黒い霧』『深層海流』『現代官僚論』で日本ジャーナリスト会議賞受賞。
1976年、毎日新聞社の全国読書世論調査で「好きな著者」の1位に。以降没年まで8回1位。
1990年、「社会派推理小説の創始、現代史発掘など多年にわたる幅広い作家活動」で1989年度朝日賞受賞。
1992年4月20日、脳出血のため東京女子医科大学病院に入院、7月に病状が悪化、肝臓癌であることが判明し、8月4日に死去した、82歳没。法名は清閑院釋文張。
1998年 - 北九州市立松本清張記念館が開館。書斎や書庫を再現している。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)