Images of 河野保人
ルーキーの1958年は、オープン戦で7本の本塁打を放つなど、活躍の期待が高まるなかで開幕戦を迎えた。4月5日、対国鉄スワローズ戦に、3番サードで先発出場してデビュー。国鉄のエース金田正一に4打席連続三振を喫し、そのすべてが渾身のフルスイングによる三振であったことが伝説的に語り継がれている。また、翌日の試合でもリリーフ登板した金田に三振を喫している。オープン戦の最中、ある解説者が長嶋を褒め称え「金田など打ち崩して当然」といった趣旨の発言をしていたのを偶然耳にした金田は激昂、この日の登板のために特訓を重ね、肩のピークがちょうど来るようにしたという。しかし、その後は長嶋も金田を打つようになり、翌年の開幕戦では本塁打を放っている。長嶋の最終的な対金田通算対戦成績は、打率.313、18本塁打。2020年開催予定だった東京オリンピックの聖火ランナーの有力候補に挙げられていたが、胆石での長期入院によって以前のリハビリで鍛えた筋力が入院生活で落ちてしまい、夏の時点では参加が不可能な状況だった。しかし、東京オリンピックの開催が2021年に延期され、長嶋は秋からリハビリを再開。胆石での入院以降、表舞台にあまり登場しなくなっていた長嶋だが、2021年には東京ドームで開幕戦を観戦するまでに回復。そして、2021年、6月下旬頃に大会組織委員会から正式にオファーを受け、迎えた2021年7月23日のオリンピック開会式、国立競技場での聖火リレーに王貞治、松井秀喜とともに参加。吉田沙保里と野村忠宏から、長嶋が左手に持ったトーチにトーチキスを受ける役割を担った。そのトーチを王に渡し、松井に背中を支えられながらゆっくりと場内を歩んだ。苦手のコースや球種の少ない長嶋は、敬遠を受けることが多かった。初年度の1958年には6試合連続敬遠を記録。1961年には年間敬遠数が35にも達し、8月29日の阪神戦では小山正明に走者無しの場面で敬遠された。1960年の国鉄との開幕戦では、5回二死一塁の場面で、カウント1ストライク2ボールとなったところで捕手の平岩嗣朗が立ちあがり、長嶋を敬遠しようとした。村田元一は捕手の構えた位置に投げたが、長嶋は強引にバットを振りに行き、左翼席中段への本塁打となった。同年7月16日には、投手が敬遠で投げた球を無理やり打ちに行き、二塁打を記録した。また、1962年7月12日の中日戦でも、9回表の二死二・三塁の打席で河村保彦の敬遠球を打ちにいき、レフト前に逆転適時打を放っている。