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鶴ヶ城公園内にある、千利休の子・少庵が建てたと言われる茶室です。
豊臣秀吉の奥州仕置きによって天正18年(1590)蒲生氏郷が会津に入り(42万石のち92万石)、近世的支配を確立していきました。
氏郷は織田信長の娘婿であり、器がおおきく勇猛な武将であるうえ、この時代を代表する文化人で、特に茶道に親しみ、のち利休七哲の筆頭にあげられるほどでした。 天正19年(1591)2月28日、千利休が秀吉の怒りに触れて死を命じられ、千家が茶の湯の世界から追放された折り、氏郷は利休の茶道が途絶えるのを惜しんでその子、少庵を会津にかくまいました。 少庵は京都に帰って千家を再興し、千家茶道は一子、宗旦(そうたん)に引き継がれました。 そののち宗左、宗室、宗守の3人の孫によって表、裏、武者小路の3千家が興され、今日の茶道隆盛の基が築かれました。 かくまわれている間、氏郷のために造ったと伝えられているのが「麟閣」であり、以来、鶴ヶ城(若松城)内で大切に使用されてきました。
しかし、戊辰戦争で会津藩が敗れ、、鶴ヶ城が取り壊される際、森川善兵衛は自宅へ移築し、以来百二十年にわたり、森川家はその保全に努めてこられました。
会津若松市では平成2年9月12日、市制90年を記念してこの氏郷少庵ゆかりの茶室を後世へ伝えるため、鶴ヶ城内の元の場所へ移築いたしました。
(http://www.tsurugajo.com/rinkaku/index.htm より引用)
難攻不落の名城とうたわれた鶴ヶ城は、戊辰の戦役で新政府軍の猛攻の前に籠城一ヵ月、城は落ちなかった。石垣だけを残して取り壊されたのは明治7年のことである。至徳元年(1384)葦名直盛がはじめて館を築き、改修を経て天下の名城となった。
たくさんの方々の寄付により鶴ヶ城がよみがえったのは昭和40年9月のことである。平成23年春には幕末時代の瓦(赤瓦)をまとった日本で唯一の天守閣となりました。平成27年4月、天守閣再建50周年を記念にして、展示室が全面リニューアルされました。
(http://www.tsurugajo.com/turugajo/shiro-top.html より引用)
鶴ヶ城については・・
http://www.tsurugajo.com/turugajo/shiro-top.html