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■豪雪?の中国山地を走る<井仁の棚田雪景色>
☆井仁の棚田/広島県山県郡安芸太田町中筒賀井仁
広島県安芸太田町筒賀の井仁の棚田は、1999年に「日本の棚田百選」の1つとして選定されました。
井仁は盆地状の地形で、西側斜面の標高450?500mくらいの範囲に棚田が広がっています。水田、畑を含め 合計12.7ヘクタールで水田は324枚有るそうです。
田乃尻川の上流に位置し、洪水や土砂浸食防止など環境保全の効果を担っています。この棚田の起源は中世末期に遡り、近世末期までに急傾斜の山腹を棚田に変えたと思われます。
☆井仁の歴史 WEBサイトより
太田川上流域の「大田郷」は平安時代末期から鎌倉時代(西暦1100年頃~1300年代)にかけて開墾が進められ、厳島神社社領に組み入れられ、領主制の中で農業生産の向上と農民の自立・土地所有が進んだとされる。
室町時代前期(1400年頃)に初期的な村落の形成が行われたとみられている。
一般に石垣技術は山城の築城から発達したと言われ、棚田は山を開墾して出た石を積み重ねて築かれた。
井仁で最も古いとみられる石垣は戦国時代(約500年前、室町後期)のものと推測される。
寛永15年(1638)の「地詰帳」には、耕地が現在とほぼ同じ広さがあったという記録がある。
秀吉の朝鮮出兵(「文禄・慶長の役」1592~1598)のとき、安芸国の山間部に本拠を持つ吉川氏も出兵を命じられ、山県郡内や太田地方からも、築城要員として多くの人夫が動員された。
この人たちが故郷に帰って、石割りや石積みの技術を広め、棚田の石垣の多くが築かれたといわれている。
【 手記 】
休日ゼロの毎日。実は、この日は今年初めての1日フル休みだったのです。雪景色でも見てリフレッシュしたくて・・・吉和・戸河内方面へ出かけていきました。
先週、豪雪の八幡高原を訪れたときは益田からの帰路、夕方だったこともあり雪景色を堪能できず満足なものではありませんでした。
雪山ドライブ、雪景色を堪能したあと、夜はおなかまの人と‘祝!Godzillaくんお休み記念日’という言い訳で飲み会がありました。