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金子みすず、中原中也、種田山頭火の山口県の生んだ3人の詩人は、自分が歳を取るに連れ、その味わい深さが、まるで彼らの肉声を聞いているかのように、心にその詩や句の全く古びない普遍性を響かせてくれている。時にはささやくように。時には慟哭するように。そして時には飄々とした風のように。
ファインアートの定義を仮に、「それを受け取った人の常識と捉えていた地平を揺るがし、新たな価値観を提示してみせること」だとすると、優れた詩人というアーティストは、例外なく新たな価値観を内包した世界観をもって、読者を魅了してくれるものだ。
現代詩人で私が好きな、谷川俊太郎や住宅謙信も、その世界観に触れた時のシャッフル感というか、自分の中の認識が新たな目線を獲得するのが、何よりも第一に心地いいのである。
それは金子みすず、中原中也、種田山頭火も同様で、彼らが時を超えてこれだけ愛され、これだけの存在感を保っているという事実は、彼らの目線や世界観が少しも古びていなく、私たちの心を新たな地平に誘ってくれるからだろう。
「永遠に通じるものこそ常に新しい」という小津安二郎監督の言葉は、“普遍性”はどういうものかをもっとも平易に表したものだろう。それにつけても、彼らの言葉(ロゴス)の力はやはりすごいものである。
そして、近代詩人の中でも今なお際立った存在感を感じさせる3人が、山口県のわずか半径25km圏内、驚くことに3人の生家が1kmの誤差内で50kmの直線に並ぶという事実。
グーグルマップで線を引いてみてそれを発見した時は、見えなかった星座がそれと初めて分かった時のように、3つの星を結ぶ線がくっきりと見えた気がした。
それにつけても感じるのは、みすず・中也・山頭火が直接の交流はなかったにせよ、明治期の山口という片田舎で生まれ育ったという不思議(もはや奇跡と言ってもいいだろう)についてである。金子みすず記念から山頭火生家跡への直線がちょうど50.14kmで、その直線から外れること僅か500m足らずに中也生家跡にある中原中也記念館があるのだ。グーグルマップで検証してみて驚いたが、「才能は群生する」という極め付けの一事例のように感じる。
東京では同じ家に森鴎外と夏目漱石が相次いで住んだり、マンガ黎明期の手塚治虫や藤子不二夫などの巨匠たちが住んでいたトキワ荘の例もあるが、ことみすず・中也・山頭火の場合、あれだけの巨大な才能たちが、互いに影響を与え合ったとかの事情もなしに(以後研究が進むかもしれないが)、“ほぼ同時期に”、しかも“自然発生的に”この世に存在した事実は、もう身震いさえするばかりなのだ。
カオス理論を敷衍するなら、明治維新でまさしくホットポット(るつぼ)だった長州藩、今の山口県で起こったと思われる、著しい民意等の上昇により、高エネルギー帯で新星が生まれるように、みすず・中也・山頭火の、今なお光を放つ恒星たちが生まれたんじゃないだろうか。
しかしこの仮説は、維新もう一つの雄、薩摩には当てはまらないことなので、論文とするならそこら辺の考察も必要だろう。まあ地域性で片付けられる気がしないでもないが(=_=)
と、冒頭から熱いみす中火(みすず・中也・山頭火)論(笑)を展開してきて、今更言うのもアレだが、私は山口県下関市の大学に通っていたものの、当時高杉晋作や坂本龍馬に関する史跡はよく訪れていたが、恥ずかしながら中原中也以外は名前も知らなかった。
その中也も、国語の教科書で知っていたくらいで、不幸な人だったんだろうな(爆)くらいの認識しかなかった。
今思えば、大変もったいないことだったな〜と反省しきりである。
興味あるか、出席を取られる講義だけ出て(それも当時はほとんど代返でOKだった)、学生生活という日曜日を持て余し、サークル仲間や友人と「別府でゲップツアー(笑)」なんて下らないこととかにうつつを抜かすくらいなら、みすずの生まれ育った仙崎や山頭火の足跡を辿ったりした方がナンボかマシであった(-_-)
しかし、その頃の下らないことばっかりしていた恥ずかしい記憶も、光をとどめる懐かしい思い出のカレイドスコープであるし(ちょとイイこと言った(^-^)v、今回の旅はそんな学生時代の思い出探しと、みすず・中也・山頭火の残り香を探してみる文学ツアーという、またまた読者置いてけぼりの、自分の欲求に忠実な気ままな一人旅の始まりである。
まあ、言い訳させてもらうなら、ショーン=コネリーが老小説家役で出ていた、「小説家を見つけたら」という映画(ショーン=コネリーの映画では一番好きかも)での彼の一言、「自分のために書く文章は、他人のためのそれにまさる」という金言のように、自分の中からどんな文章が出てくるかが、自分が一番楽しみなのだ。
したがって大変申し訳ないが、みすず・中也・山頭火の足跡を観光ガイド的に辿る旅行記を期待していたら、4トラベル事務局に違反報告を寄せたくなるかもしれません。
いやね、以前渋谷のブラジル祭りの旅行記の表紙にフザケて、金正○とガチャピンとムックが揃ってピースしてる画像載せてたら、事務局から直々にメールで警告が来ましたから(驚)
そんな遊び心も解らないのかってムカついたからそのままなんですけどね(=_=)
自分がまず第一に面白いと思える旅&文章にしたいと思うので、ツボが合えばまあ楽しさは伝わるかなとは思います(またまた少し弱気)
では序章から始まり始まり〜。
さて、旅に出掛ける前の下準備を、珍しく今回はそこそこ力を入れてやってみることにしました。
やはり観光ガイドの通り一遍の足跡を辿るにしても、作品は元より、違った角度からの理解も必要なように思ったからです。向かったのは図書館と山口観光物産館。
図書館ではみすず・中也・山頭火の人生にも触れてある詩集を借りる。
そして日本橋の丸善本店(座って本読めて○)の裏の方にある山口観光物産館には、山口県の各市町村発行のパンフレットがあり、彼らに関わりありそうな市町村パンフレットをもらって帰る。
一度学生時代にサークル仲間たちと中也ゆかりの渓谷へ行ったことがあるが、碑があったので結果としてそう知っただけで(どこか忘れちゃったし;;)、川沿いの細い道をさんざん歩いて、折り返し地点の茶屋のコタツで疲れて居眠りした、他愛もない思い出しかない。
卒業後、岡山に帰ってから尾崎豊研究会のみんなで山口市へ行く機会があった時、私の提案で中原中也記念館へ行くには行ったが、閉館間際で入れなかったこともあった。しかもその後帰りに大雪となり、スタッドレスタイヤを買ってようやく帰り着いた笑い話もある。
まあ個人的な思い出話はこれぐらいにして、山頭火の足跡を見ていて、「長門峡(ちょうもんきょう)」の文字を発見する。
そうだ!思い出した。中也の碑があったのも長門峡だ。山頭火も放浪の旅で寄っていたのだ。その後、山頭火は萩を経由して日本海沿岸を南下しているので、道沿いで萩からも近い、みすずの故郷・仙崎にも立ち寄ったはずである。歴史ロマンツアーも味わい深いが、文学ロマンツアーも同じくらい楽しいな〜。
さて、いきなり私的文章観をブチかます。詩を書く時に陥ってしまいがちだが、詩という「清」を表現しようとするあまり、誰もが持つ「邪」を無意識の内に排除した、言葉遊びに終始してしまうことが多々ある。
むろんそれでも観察力が新たな刺激を獲得していた場合、人の心に残るということはあるが、ほとんどは物事の表層をなぞっただけで、同じく人の心の表面を何の引っ掛かりも残さず滑落していくものが多い。
つまりは、ナルシスティックな表現は、殊文学作品ではほとんど評価に値しない場合が多いと思われる。
・・・のだが、困ったことに中原中也はおそらく、というよりかなり重度のナルシストである。
それでいて永劫に輝きを失わない、誰かしらの心には刺さり続けるだろう言葉を獲得しているのが、中也が手に入れた普遍性だろう。
おそらく今後、ここまで思春期の共感を得れる詩人が現れる可能性はないだろう。
中也以降にいたとするなら、歌手の尾崎豊が唯一同じ種類の力を感じさせるが、それはまた別の機会に触れることにしよう。
ではなぜ中也はナルシストでありながら、人の心を揺さぶる力を手に入れれたかだが、徹底的なナルシストでありながら、苦悩もまた容赦ないものだったからだと私は考える。
黄昏の淡い光の中、音もなく青い炎に灼かれているようなタナトスへの希求。
もっと言えば、掛け値なしの自殺願望が透けて見えるからこそ、同じくそこまで考える思春期の苦悩がシンクロ率を高めるのだ。
私もまた、中也が囚われた永遠の牢獄に共感を覚えた一人である。
金子みすずの魅力は、やわらかな感性こそが最大の魅力であるが、私が感じるのは、子を持つ親の、真理に触れたかなしみ。あるいは子を喪った親のかなしみを通り越した何か。主観でしかないが、そんな深さをみすずには感じる。
そして実は三人の中で最も好きなのが、種田山頭火である。「酔うて こほろぎと寝ていたよ」と「朝焼け夕焼け 食ふものがない」の二句は、まともな人間では逆立ちしたって創ることはできない。よしんば書けたとして必ず作為的なものが入ってしまうだろう。なぜなら、この二句は山頭火のどうしようもないダメ人間の「面」をも表しているからだ。
そこまで晒していながらも、なお山頭火の句に惹かれるのは、山頭火のそんな「面」ではなく、「人」としての魅力によってではないだろうか。
そんな彼らを追い掛けての、山口九州四国の旅日記。実はまだ半分くらいしか書いていないのだが4万字を軽く超えてしまったので、おそらく読み切ってくれる人は誰もいないと思われます(笑)
がまあしかし、自分のために旅日記を正確に残しておきたいと思うので、いつかUPするかもしれません。。